反実在論は広義の実在論
(2020.06.03に書いたブログ記事を転記したものです)
心理学を始めた頃は素朴でした。なぜという理由もとくになく「“心”は実在する」と考えていました。
ですが,ある日「性格(“心”の一種)なんて実在しない」という話を耳に(目に?)します。素朴だった私には衝撃でした。「え?性格は実在しない?でも,私に性格あるし,あの人も性格あるよ!」「というか,実在するとか,実在しないとか,どういうこと?」。日々悩んだことを今でも覚えています。
そのときに実在とはどういうことかについて教えてくれたのが,『科学哲学の冒険──サイエンスの目的と方法をさぐる──』(戸田山和久)でした。科学哲学の入門書で,「科学とはどういう営みなのか?」を対話形式で教えてくれました。この本がなければ,あの日の悩みはもっと続いたことと思います。
最近,久しぶりに同書を読み返しました。というのも,「反実在論」ってなんだったけ?とよくわからなくなったからです。私が知っている反実在論は独立性テーゼ(人間の認識活動とは独立に世界は存在し,秩序も存在する)を認める立場でした。しかし,独立性テーゼを否定することを「反実在論」と言う人を見かけ,あれ?と思い,同書を読み直しました。
結論から言うと,科学哲学においての反実在論と,分析哲学においての反実在論はどうも違う使われ方をすることがあるようだということがわかりました。科学哲学における反実在論は上記の使われ方で問題ないのですが,分析哲学においては実在論(独立性テーゼを認める立場)に反対する立場=独立性テーゼを認めない立場に対して反実在論と呼ぶこともあるそうです。なんとややこしい…
また混乱することもあるかもしれないので,ここで一度,科学哲学における実在論,反実在論,観念論の関係についてまとめておきたいと思います。なお,以下は原則『科学哲学の冒険』から引用しています。同書からの引用の場合はページ数を,同書以外からの引用の場合は出典を記します。
独立性テーゼと知識テーゼ
実在論とは〇〇,反実在論とは〇〇,観念論とは〇〇,というように文章で理解することも可能ですが,それぞれの関係性をわかりやすくまとめた方が理解しやすいと思います。そのような実在論と観念論,科学的実在論と反実在論の関係を整理するためにわかりやすい枠組みが独立性テーゼおよび知識テーゼです。
独立性テーゼ:人間の認識活動とは独立に世界の存在と秩序をみとめる考え方
知識テーゼ:人間が科学によってその秩序について知りうることをみとめる考え方(p.148)
科学的実在論とは独立性テーゼと知識テーゼの両方を主張する立場,反実在論は独立性テーゼをみとめる一方,知識テーゼをみとめない立場,観念論は独立性テーゼをみとめない一方,知識テーゼをみとめる立場です(図1)。すなわち,科学的実在論は独立性テーゼをみとめる点で反実在論と同じであり(広義の実在論),一方,実在論(科学的実在論と反実在論)は独立性テーゼを認めない点で観念論と対立しています。
ただし,反実在論は世界についてのすべての知識を否定しているわけではなく,観察不可能なものについては知りえないと考える立場です。逆に言えば,観察可能なものについてはその法則を知りうると考えています。たとえば,椅子とか台風とか観察可能なものの存在とその法則については反実在論も科学的実在論も意見は一致します。一方,電子のような観察不可能なものに関して,科学的実在論は正しい知識が得られると考えるけれども,反実在論ではそう考えないという考え方の対立があります。
以上のことを心理学に引きつけて言うならば,こんな感じだと思います。
科学的実在論:“心”は認識とは独立に存在するし,“心”の法則も知りうる
反実在論:“心”は認識とは独立に存在するけれども,“心”については知りえない
観念論:“心”は認識活動に他ならないので,その認識活動の解明こそが“心”の解明である
ちなみに,勝手な印象ですが,この3択でいえば,心理学者に多いのは科学的実在論かなと思っています。
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