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最果てアーケード

小川洋子「最果てアーケード」読了。

だいぶ昔に買ったまま積ん読になっていたもの。暮れに本棚に入りきらない本をかなり整理したんだけど、その時に「読まないまま売るか読んでから売るか」と少し迷って「やっぱり読んでから売ろう」と思って読み始めた。

買ったばかりのときに一瞬読みかけて、何故それきりになってしまったのか忘れていたのだが、再度読み始めてみてなんとなく止まった理由はわかった。小川洋子の小説にしては軽い、というかslightなのだ。似たテイストといえば「ブラフマンの埋葬」あたりだろうか。

あれだって決して嫌いではないんだけど、「猫を抱いて象と泳ぐ」あたりのもう少し容赦のない残酷さに比べると、どうにもslightであるとしか言いようがなくて、例えば小川洋子作品、もっと言えば小説じたいあまり読んだことのない人には勧めやすそうだな、とは思ったんだけど、そのときもう少しコクがある感じの文を読みたかった私は、すぐ別の本に移ってしまったのだと思う。

今この小説を読んで前に読んだ時よりもいいなぁと思ったのは、たぶん物語に登場する小さなお店やさんたちの少し変わった商売(義眼の店やドアノブの専門店、遺髪のレース編み職人など)がどれも魅力的で、今の仕事はとても体力的に60過ぎても同じパフォーマンスで続けられるような気がせず、歳とったらいったい何を仕事にすればいいのか、という漠然とした不安を抱えている今の自分に時期的にしっくりきた、ということなんだろうなと思う。

今日は日曜の午後にカフェ難民になった挙句、地元のおじいちゃんおばあちゃんが来るような30年近くある喫茶店に入ってこの小説を読んでいたんだけど、カウンターの私の反対側に座ってた腰の曲がったおばあちゃんの佇まいがすごく良くてですね。

折り曲げたみたいに背中が曲がっていて、プカプカとタバコをふかしてコーヒーを飲んでた。帰る時2000円以上払ってたから、3杯以上はそんな感じでカウンターでタバコをふかしながら座ってたんだと思う。帰る時は杖をついて、ゆっくりゆっくり歩いていった。

まるで小説の中にいそうなおばあちゃんだった。40年後にもしも生きていたら、自分もこんな風に時間が止まったような喫茶店のカウンターで、日曜日の何時間かを過ごすようになるのかなぁ、と思った。Wi-Fiが飛んでて電源もある快適なカフェで読むんじゃなく、こういう空間で読めてよかったかな。

そんなわけで、読み終えた本は「読んでから売る」のではなく「もうしばらく本棚に置く」本になってしまった。またタイミングが変わったら手放すかも知れないけど。こんな調子でなかなか本が減らない。

写真は読みながら飲んでたカプチーノ。こういう一人一人違うカップで飲み物飲むのも、考えてみたら久しぶりだった。

#本のこと #小川洋子 #最果てアーケード #小説


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