『ベルサイユのばら』、逃げるは恥だが役に立つ。
2023年に入っても、『ベルサイユのばら』のハマっている私。ということで、今年も勝手に考察記事を投稿しちゃいます。
※写真は、「ベルサイユのばら展」東京会場にて。
今回は、マリーアントワネットとルイ16世の「逃げ」から感じたことを。なぜか、東條英機と後鳥羽上皇も引き合いにされます。
1789年フランス革命勃発。1791年、ルイ16世とマリーアントワネットの国王一家は、海外逃亡を企てますが失敗(ヴァレンヌ逃亡事件)。その後、パリに戻るも王室の権威は失墜。
1792年、フランスは正式に共和国になることを宣言。ルイ16世に対し、王政の廃止と退位を通告。さらに、国民公会で投票の結果ルイ16世の処刑が決定。
淡々と書きましたが、辛いです…。
でもね。処刑に賛成361票で反対360票。ギリギリの結果だったのです。
もし(歴史に「もし」はタブーだけど)、逃亡しなかったら結果は変わっていたのかも。つい考えます。
私は、王政の廃止とルイ16世の退位は、免れないと思います。でも、冠位をはく奪されて、流罪で済んだかもしれないと。
2022年は『鎌倉殿の13人』にもハマっていた私。最終回、1221年承久の乱で鎌倉幕府に負けて後鳥羽上皇は流罪。これを見て、流罪もありだと思いました。
また、最初読んだとき、「逃げなきゃよかったのに」と思いました。でも、この後のルイ16世とマリーアントワネットは、終始毅然としています。死を逃げずに、受け入れるという。それは、一度「逃げ」を経験したからこその態度だと思います。
ここで、元陸軍大臣で第40代内閣総理大臣の東條英機のことを思い出しました。1945年8月15日の終戦から1か月後の9月、戦犯として逮捕は免れないとして拳銃自殺を図りますが、未遂に終わります。その後、東京裁判に出廷。(いろいろな意見はありますが)言い訳をせずに、戦争の全てに責任を負う覚悟でのぞみました。そして、極刑。
彼も、一度「逃げ」を経験したから覚悟を決められたんだと、改めて思いました。
「逃げない」のは、理想です。でも、人間そんなに強くないよね。覚悟を決めるための「逃げ」は、ありかもしれないです。
再び、『鎌倉殿~』の話に戻ります。
後鳥羽上皇は、隠岐(島根県隠岐島)に流されて20年余りをそこで過ごし一生を終えます。質素ながらも、衣食住は保証されていたようです。元々歌人としても名高く、和歌を数多く詠んだり、刀匠を呼び寄せて刀剣の製作を普及させたり(刀剣オタク)、しました。地元民には「ごとばはん」と呼ばれ、京に戻りたいと野心を持ちつつも、それなりに流刑ライフ?を楽しんでいたのかもしれません。
で、ルイ16世。もし流刑になったら、趣味の錠前作りに狩りに読書を楽しんでいたんじゃないかな。適応能力高そうだもの。そして、マリーとその子ども達と穏やかに暮らして、地位も財産もないけれど、「大変だったけど、いい人生だったね」なんて言い合って亡くなったのかも。
妄想はここまでにして。
ルイ16世とマリー、逃亡に失敗してパリに戻って来てからが、一番好きです。2人の夫婦としての在り方も。
勢力が大きく変わる転機と言う意味で、フランス革命と承久の乱は似ているかも。といいつつ、鎌倉幕府の目的はあくまでも、ラスボス後鳥羽上皇の処分で、朝廷や皇室をなきものにしようとは、考えていないけど。
また、日本史とからめてしまいました。お腹いっぱいですよね。
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