見出し画像

豊臣秀吉と「知足」

最初にお断り。
私、豊臣秀吉推しではないので。推しの方、読まないでください。

足軽の子とも農民の子とも、言われる豊臣秀吉。それくらい、出自が不明です。
何も持たたない、それゆえ失うものが何もない青年は、持ち前のバイタリティーとコミュニケーション能力の高さで、天下統一を実現。
その、成り上がり根性は嫌いではないです。

でもね。
だんだん、おかしな方向に行くんですよね。
特に、朝鮮出兵あたりから。

日の元(日本のこと)は俺のもの。でも、これで満足する俺じゃないって。

「手に入れることが目標になってしまったな」
と、思います。

2023年10月8日の『どうする家康』では、母である大政所が亡くなる前、秀吉の正室寧々に、
「(秀吉は)自分が、本当に欲しいものが分からなくなっている」
息子の非礼を詫びながら亡くなります。

思い浮かぶのが、禅宗の「吾唯足知」の「知足」。
自分の持ち分に満足して欲張らないこと、です。

朝鮮出兵の結果は、悲惨なものですね。
九州に出兵していた徳川家康は、秀吉の死去を知ると、あっという間に撤退しました。

最近考えるは、秀吉は天下統一した後のことを考えていたのかな、ということ。秀吉の天下は明智光秀ほどではないけど、短いから。
対して家康は、江戸幕府を開いた後のことは、考えていました(実現するのは、その後秀忠・家光…ですが)。

その差は、天下を取ることが目的になっているか、いないか。

私も、手に入れることだけが目標になっていないか?必要以上に欲しがっていないか?
歴史を振り返ることで、自問自答したいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?