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『ベルサイユのばら』と『逃げ上手の若君』に見る、主従の関係

18世紀フランスが舞台の『ベルサイユのばら』と、14世紀鎌倉幕府滅亡直後の日本が舞台の『逃げ上手の若君』。
どちらも私がハマっているマンガです。
 
今回はこの2作品を無理矢理コラボして、そこで見える主従の関係について、思ったことをつらつら書きます。
 
主(主人)に当たるのは、ベルばらでは、伯爵令嬢で近衛隊隊長のオスカル。逃げ若では、鎌倉幕府14代執権(※1)北条高時の子息北条時行。
 
※1 しっけん 現在の内閣総理大臣的な存在 

従(家来、この言い方で統一)に当たるのは、ベルばらでは、平民でジャルジェ家(オスカルの家)の使用人アンドレ。逃げ若では、郎党(※2)の弧次郎、玄蕃、吹雪(この3人は少年)、雫、亜也子(この2人は少女)
 
※2 ろうとう:中世日本の武士社会の主家に対する従者
 
アンドレは、オスカルの遊び相手兼お守り役として8歳で、ジャルジェ家に引き取られました。以来ずーっと一緒。

時行は、次期執権になるはずでしたが、鎌倉幕府が滅亡(1333年)して、父高時は自害。諏訪大社の諏訪頼重にかくまわれ、素性を隠して天下を取り戻す日を狙っています。そのときのために、一緒に戦う仲間兼友だちとして選ばれたのが先の5人。
 
主従関係というと、家来が、「ご主人様を、生命を賭けてお守りする」という風にとらえられがち。
だけど、オスカルと時行は、主人である自分の方から「家来を、生命を賭けて守る」という姿勢です。だから家来は「ご主人様を、生命を賭けてお守りする」という図式になる。良い意味でのトップダウンだと思います。
 
それが分かるエピソードを紹介すると。
 
ベルばらでは。
(単行本2巻)王太子妃マリーアントワネットが馬に乗りたいとせがみ、アンドレは側で馬の世話をします。ところが、馬が暴走してマリーはケガを負います(軽傷ですが)。
王室にケガをさせては死刑の可能性も。アンドレも覚悟しますが、オスカルは不可抗力でアンドレに罪はないことを告げ、
「アンドレの責任は主人であるわたくしの責任。まずここでオスカル・フランソワの命を絶ってから(処罰)にされるがよい!」とルイ15世に言い放ちます。
当事者のマリーと、現場にいたフェルゼンもアンドレに罪はないことを主張して、お咎めなしで済みました(日頃の行いは大事です)。

そしてアンドレは、
「オスカル…おれはいつか…おまえのためにいのちを捨てよう」と自分に誓います。そして、その通りに生きるんですよね。
 
逃げ若では。
(単行本6巻)足利尊氏と戦う前に、京に偵察に行った時行たち。京観光もしていたのですが(せっかくの機会だし)、玄蕃が賭けすごろくで負けて破産寸前。それを見た時行は、他の郎党たちに有り金を全部出すように指示(自分の分も、もちろん出す)。「すまないがこれで、解放してくれないか」とお願いします。
時行は郎党のために即座に身を切り、郎党も迷うことなく金を出す。強固な信頼関係ができているんですよね。

でもお金ではなく、時行の代わりに雫が賭場の元締めの佐々木道誉(※3)の娘魅摩と、すごろくで戦うことになります(2人とも神力みたいなものを持っている)。
 
※3 ささきどうよ:鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。ばさら大名とも呼ばれる。
 
雫は魅摩に
「…暗愚な主君に巡り合う人も多い中で、こんな優しくて郎党思いの主君に出会えたのはすごい幸せ。だから私たち郎党は、命に代えても兄様(時行)を守るの…」
この後、雫の勝利で終わります(いろいろあるけど、割愛)。
 
「生命にかけて」と家来に思わせ、それに答えようとする主人。理想の関係ですよね。
そして「友だち」であることも忘れない。
今の私たちには「生命をかけて」なんて、必要ないし、そもそもそんな状況になってはならないけれど。
こういう出会いをしたものだと思いました。
 
話変わって。オスカルと時行、国も時代も異なりますが、どういう位置関係なのでしょうか?気になるのは私くらいでしょうが、あえて妄想しました。
 
18世紀革命前のフランスに当てはめると。
ルイ16世とマリーアントワネットには王太子がいますが、時行はその王太子に匹敵する地位だと思います(父高時が、ルイ16世)。ちなみにどちらも時期国王・執権になれないのも共通点。
で、そこに仕えるオスカル達貴族。
 
14世紀鎌倉時代末期の日本に当てはめると。
執権北条高時とその子息時行。オスカルは、そこに仕える御家人に匹敵する地位だと思います(朝廷は、政治に直接関与していない)。
 
今回わかったこと。時行の地位、半端なく高いです。
 
ちなみに時行8歳から、物語は始まります(その年で大事な人たちと死に別れ、無一文になり涙😢です。アンドレが母と死別して、ジャルジェ家に引き取られたのも同じ年齢)。
元はやんごとない身分なので、素性を隠しても上品さがダダ洩れ。

一方の王太子ルイジョゼフ。こちらも品があって賢い。三部会が開かれることを何となくわかっていて、自分は時期国王になるという誇りを持っています。病気のため7歳で亡くなるのが、これまた涙。
「育ち」は「品」に影響を与えるものです。

さらに余談。アンドレは平民ですが、貴族社会で生きています(ここに彼の葛藤がありますが)。後に、平民中心に編成される衛兵隊にオスカルと共に、加わります。細かい話は割愛しますが、同じ平民であってもアンドレの立ち居振る舞いには、品があります(ここが私の萌ポイント💛)。
「氏より育ち」とは、こういうことだなと思いました。


時代も国もあえて違う作品を読み比べてみると、いろいろな発見がありますね。
 
 

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