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読書のすゝめ "なぜ働いていると本が読めなくなるのか2/3"

読書を生活にどう位置づけるか

 昨日は、読書に対してのスタンスを問いながら日本における読書習慣の変遷について取り上げてきました。今日も三宅さんの著書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の内容を取り上げながら、情報過多時代における読書について深掘りしていきましょう。

現代社会は、かつてない規模の情報過多に直面しています。三宅香帆さんは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において、この状況が読書に与える影響を鋭く分析しています。

例えば情報社会学者の吉見俊哉(1957-)は、著書『メディア文化論』(2004)で次のように述べています。

「私たちは今や、情報の海の中で溺れかけている。そこでは、意味のある情報と無意味な情報の区別が曖昧になり、真の知識の獲得が困難になっている」

『メディア文化論』(2004)

吉見の指摘は、現代社会において「読書」という行為が持つ意義を再考する必要性を示唆しています。三宅さんも同様の問題意識から、単なる情報の消費ではなく、深い思考や批判的な読解を可能にする読書の重要性を強調しています。

この情報過多の時代において、読書は以下のような新たな意義を持つようになったと三宅さんの分析から考えることができます。

  1. 情報の取捨選択能力の養成:膨大な情報の中から価値ある情報を見出す力を培うこと。

  2. 深い思考の訓練:断片的な情報の消費ではなく、一つのテーマについて長時間考え抜く機会をつくること。

  3. 批判的思考力の育成:多様な視点や意見に触れることで、物事を多角的に捉える力を養うこと。

  4. 創造性の涵養:既存の情報を組み合わせ、新たな発想を生み出す基盤を作っていくこと。

しかし、こうした読書の意義を実現することは、現代社会においては容易ではありません。情報技術研究者の新井紀子(1962-)は『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(2018)で、次のような警鐘を鳴らしています:

「インターネットやSNSの普及により、若者の読解力が著しく低下している。これは単に本を読まなくなったということではなく、文章を深く理解し、批判的に考える力が失われつつあるということだ」

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(2018)

この指摘は、現代の情報環境が私たちの認知能力そのものを変容させている可能性を示唆しています。三宅さんは、この問題に対処するためには、教育システムの再考から個人の読書習慣の見直しまで、多角的なアプローチが必要だと主張しています。

また、情報過多時代における読書の新たな形態として、三宅さんは「ソーシャルリーディング」の可能性にも言及しています。これは、SNSなどを通じて読書体験を共有し、他者と対話しながら理解を深めていく読書のスタイルです。このような読書形態は、孤独な作業になりがちな従来の読書に比べ、より能動的で社会的な体験を提供する可能性があるでしょう。

労働環境の変化と読書時間の減少

 三宅さんの著書の核心的な問いは、なぜ現代人が働きながら本を読むことが困難になっているかという点であり、多角的に労働と読書の関係性を深ぼっています。この問題を考える上で、現代の労働環境自体の変化も無視できない要因とされています。

労働社会学者の熊沢誠(1943-)は、『働きすぎに斃れて』(2010)で次のように述べています。

「日本の長時間労働は、単に量的な問題だけでなく、労働の質的な変化、すなわち仕事の密度の高まりと関係している」

『働きすぎに斃れて』(2010)

熊沢の指摘は、現代の労働が単に時間を奪うだけでなく、精神的なエネルギーも大きく消耗させることを示唆しています。三宅はこの観点から、労働時間後の「余暇」においても、人々が積極的に読書に取り組むことが困難になっている状況を分析しています。

三宅さんは上記も踏まえて、現代の労働環境が読書を阻害する要因として、以下の点を挙げています。

  1. 長時間労働:物理的に読書の時間を確保することが困難になっている。

  2. 仕事の高密度化:限られた時間内により多くの成果を求められ、精神的な余裕がなくなっている。

  3. 常時接続の労働:スマートフォンやPCの普及により、勤務時間外でも仕事から完全に切り離されることが難しくなっている。

  4. 成果主義の浸透:短期的な成果を求められるため、直接的に仕事に役立たない読書が軽視される傾向がある。

  5. ストレスの増大:労働によるストレスが高まり、余暇時間に積極的に知的活動に取り組む意欲が減退している。

これらの要因は相互に関連し合い、複合的に読書を阻害していると三宅さんの著書の中では分析されています。この中で仕事をしていて思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか。

一方で、労働環境の変化が読書に与える影響は、必ずしも否定的なものばかりではありません。例えば、テレワークの普及は、通勤時間の削減や柔軟な時間管理を可能にし、潜在的には読書の時間を確保しやすくなることもあるでしょう。また、知識労働の増加は、仕事の中で読書の必要性が高まることも意味しています。

しかし、三宅さんは、これらの潜在的な可能性が必ずしも実現されていない現状を鋭く指摘しています。テレワークによって生まれた時間が必ずしも読書に充てられていないこと、仕事のための読書が必ずしも個人の知的成長につながっていないことなどが、その例として挙げられるでしょう。

デジタル技術と読書体験の変容

 現代の読書を取り巻く環境で無視できないのが、デジタル技術の影響です。電子書籍やオーディオブックの普及は、読書の形態そのものを変容させてきました。それらの利便性は読書にどのような影響を与えるのでしょうか。

メディア研究者のニコラス・カー(1959-)は、『ネットバカ』(2010)で次のような懸念を示しています。

「インターネットの普及により、私たちの読書は浅く、断片的なものになりつつある。深い没頭を必要とする長文の読解能力が失われていく危険性がある」

『ネットバカ』(2010)

ニコラス・カーの指摘は、デジタル技術が読書の質を変えてしまう可能性を示唆しています。三宅さんも同様の問題意識から、「まとまった時間をかけて一冊の本を読む」という行為の価値を再評価する必要性を説いています。

三宅さんは、デジタル技術が読書に与える影響について、以下のような点を指摘されています。本来は読書の利便性を高めるような技術であるものが読書自体にあらゆる影響を及ぼしてしまう点は面白い点です。

  1. 読書の断片化:スマートフォンなどでの「スキミング」(ざっと目を通す)読みが増加し、じっくりと本を読む機会が減少している。

  2. マルチタスク化:読書中でも他のアプリケーションの通知に気を取られるなど、集中力の持続が困難になっている。

  3. 情報の平準化:電子書籍では、紙の本のような物理的な厚さや重さを感じられず、情報の重要度の判断が難しくなっている。

  4. 読書体験の個人化:SNSなどを通じて読書体験を共有する一方で、アルゴリズムによる推薦システムにより、個人の嗜好に偏った読書傾向が強まる可能性がある。

  5. 読書の即時性:電子書籍やオーディオブックの普及により、いつでもどこでも読書が可能になった反面、じっくりと本と向き合う姿勢が失われつつある。

しかし、三宅さんはデジタル技術の影響を一方的に否定的に捉えているわけではありません。例えば、電子書籍の検索機能や辞書機能は、より効率的で深い読書を可能にする可能性があります。また、オーディオブックは、通勤時間や家事の合間など、これまで読書が困難だった時間帯での「読書」を可能にしています。

三宅さんは、これらのデジタル技術を適切に活用することで、現代社会における新たな読書のあり方を模索できると主張しています。ただし、その際には、デジタル技術の特性を理解し、従来の読書の価値を損なわないような工夫が必要だと指摘しています。

「教養」概念の変容と読書の意義

 三宅さんの著書で特に興味深いのは、「教養」概念の歴史的変遷を踏まえつつ、現代における読書の意義を問い直している点です。

文化人類学者の青木保(1938-)は、『「日本文化論」の変容』(1990)で次のように述べています。

「現代日本では、かつての「教養主義」が衰退し、より実用的で即効性のある知識が重視されるようになった。しかし、それは同時に、人間の内面的成長や社会全体の文化的深化を損なうリスクも孕んでいる」

『「日本文化論」の変容』(1990)

青木の指摘は、「教養」の衰退が単に個人の問題ではなく、社会全体の問題であることを示唆しています。三宅さんも同様の視点から、現代社会における読書の意義を、単なる知識の獲得ではなく、人間性の涵養や社会の文化的基盤の形成という観点から捉え直すことの重要性を説いています。

現代における「教養」と読書の関係についてまとめてみます。

  1. 「教養」の多様化:従来の人文学中心の教養観から、科学技術や社会科学を含む幅広い知識が「教養」として求められるようになっている。

  2. 「教養」の個人化:社会全体で共有される「教養」の基準が曖昧になり、個人の興味や必要に応じた「教養」の追求が主流になっている。

  3. 「教養」の実用化:純粋な知的探求としての「教養」よりも、実生活や仕事に役立つ「教養」が重視される傾向がある。

  4. 「教養」の国際化:グローバル化に伴い、異文化理解や多言語能力も「教養」の一部として認識されるようになっている。

  5. 「教養」の再評価:AI時代の到来を前に、人間らしさの核心としての「教養」の重要性が再認識されつつある。

情報過多時代における読書の意義

 これらの変化を踏まえ、三宅さんは現代における読書の新たな意義を以下のように提示しています。読書それ自体の行為に焦点を当て、意義を捉えるという点は「何を」読むのかという点に重きを置きがちな読書という行為において「どう」読むのかという視点も与えてくれています。

  • 複雑な社会を理解するための多角的な視点の獲得

  • 急速な社会変化に対応するための柔軟な思考力の養成

  • 異なる文化や価値観を理解し、共生するための想像力の涵養

  • テクノロジーでは代替できない人間固有の創造性や批判的思考力の育成

  • 自己と社会を相対化し、より良い未来を構想する力の醸成

三宅さんは、これらの意義を実現するためには、読書を単なる個人的な趣味や自己啓発の手段としてではなく、社会全体の文化的基盤を支える重要な活動として再評価する必要があると主張しています。そのためには、学校教育や社会教育の場での読書推進、企業における読書の奨励、公共図書館の充実など、社会全体で読書を支援する体制づくりが不可欠です。

現代社会における読書は、情報過多、労働環境の変化、デジタル技術の影響、そして「教養」概念の変容という複合的な要因によって、その意義と実践の両面で大きな課題に直面していることが分かりました。三宅さんの著書は、これらの課題を多角的に分析することで、現代人が直面する「読書の困難」の本質に迫っていると言えるでしょう。

同時に、三宅さんの分析によって、こうした読書への困難を乗り越え、新たな読書文化を創造していくための重要な示唆を提供してくれています。明日は三宅さんが述べる「半身の働き方」について取り上げ、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の締めくくりとしていきます。


yohaku Co., Ltd. のメンバーも私を含めて読書習慣が根付いています。しかし、読書をする上で重要なのは読書後の他者との対話です。それはnoteなどの記事を読むこと、考察動画を見ること、そうしたことでも多少解決できますが、一番重要なのは直接対話をすることだと考えています。私も無目的的な対話の材料を蓄える為に、毎日読書をすることを意識しています。
他者との対話をしたい!という方は是非yohakuのサービスもご覧ください。

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