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構造主義の光と影、そしてこれから。 "野生の思考4/4"

構造主義への批判

 今日まで扱ってきたレヴィ=ストロースの「野生の思考」は、その革新性ゆえに多くの賞賛を受けると同時に、様々な批判にも晒されてきました。特に、彼の構造主義的アプローチに対しては、多くの批判が寄せられています。今日はそうした視点から解説を始めていきましょう。

最も一般的な批判は、レヴィ=ストロースの理論が静態的で歴史性を欠いているというものです。彼の構造主義的アプローチは、文化の変化や個人の主体性を十分に考慮していないという指摘があります。

人類学者のクリフォード・ギアーツは、レヴィ=ストロースの理論について次のように批判しています。

「レヴィ=ストロースの構造主義は、文化の複雑さと多様性を過度に単純化している。それは、生きた人間の経験を抽象的な図式に還元してしまう危険性がある」

クリフォード・ギアーツ『文化の解釈学』、1973年

この批判は、レヴィ=ストロースの理論が実際の社会や文化の複雑性を十分に捉えきれていないという指摘です。確かに、「野生の思考」が描く世界は、時に現実の社会よりも整然としすぎているように見えるかもしれません。

西洋中心主義的視点への批判

 レヴィ=ストロースの理論が西洋的な二元論(自然/文化、具体/抽象など)に基づいているという批判もあります。これは、彼が克服しようとした西洋中心主義的な思考の枠組みに、結局のところ囚われているのではないかという指摘です。ポストコロニアル理論の先駆者であるエドワード・サイードは、『オリエンタリズム』の中で次のように述べました。

「レヴィ=ストロースの理論は、『他者』を理解しようとする試みではあるが、結局のところ西洋的な枠組みの中で『他者』を解釈しているにすぎない」

エドワード・サイード『オリエンタリズム』、1978年

この批判は、レヴィ=ストロースが非西洋社会を理解しようとする際に、無意識のうちに西洋的な概念や価値観を押し付けているのではないかという指摘です。

個人の主体性の軽視

 敢えてさらに批判を掘り下げていきます。レヴィ=ストロースの理論が個人の主体性や自発性を軽視しているという批判もあります。構造主義的アプローチは、個人の意識や意図よりも、その背後にある無意識的な構造を重視しているからです。社会学者のアンソニー・ギデンズは、この点について次のように述べています。

「構造主義は、社会的行為者の知識や意図性を軽視している。しかし、社会構造は個人の行為を通じて再生産され、変化していくのだ」

アンソニー・ギデンズ『社会学の新しい方法規準』、1976年

この批判は、レヴィ=ストロースの理論が社会や文化の変化を十分に説明できないという指摘につながるのではないでしょうか。とても的確な指摘だと思います。

「野生の思考」の再評価

 ここまで敢えて批判的な意見を取り上げてきましたが、これらの批判にもかかわらず、「野生の思考」の重要性は今日でも広く認められています。むしろ、これらの批判を通じて、レヴィ=ストロースの理論はより深く理解され、再評価されているとも言えるでしょう。

例えば、ポストコロニアル理論の先駆者であるホミ・バーバは、レヴィ=ストロースの理論を批判的に継承し、文化的ハイブリディティの概念を発展させました。バーバは次のように述べています。

「レヴィ=ストロースの『野生の思考』は、文化の純粋性という神話を解体する上で重要な役割を果たした。しかし、私たちはさらに一歩進んで、文化の混淆性や流動性に注目する必要がある」

ホミ・バーバ『文化の場所』、1994年

このように、「野生の思考」への批判は、新たな理論的展開を促す原動力ともなっているのです。流動性という観点はバーバらしい非常に面白い柔軟性のある観点ですね。

現代における「野生の思考」の意義

 改めて考えると、現代社会において、「野生の思考」の意義はむしろ高まっていると言えるかもしれません。情報技術の発達により、私たちは膨大な情報に囲まれています。しかし、その中から意味を見出し、創造的に問題解決を行う能力はますます重要になっています。認知科学者のスティーブン・ピンカーは『心の仕組み』の中で次のように述べていました。

「現代社会では、既存の知識を組み合わせて新たな解決策を生み出す能力が重要になっている。これは、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で描いたブリコラージュの概念と通じるものがある」

スティーブン・ピンカー『心の仕組み』、1997年

つまり、「野生の思考」が示した創造的思考のあり方は、現代社会においてこそ重要性を増しているのです。

また、環境問題や文化の多様性の尊重など、現代社会が直面する様々な課題に対しても、「野生の思考」は重要な示唆を与え続けています。全体論的な世界理解や、具体と抽象を結びつける思考法は、これらの複雑な問題に取り組む上で有効なアプローチとなりうるでしょう。

普遍性と多様性の狭間で

 今日まで4日に渡り、「野生の思考」の基本的な知識から応用、そして批判と再評価について詳しく見てきました。レヴィ=ストロースの理論は様々な批判を受けながらも、現代社会においてなお重要な意義を持ち続けていることが分かります。

今回は私たちyohaku Co., Ltd.のアプローチととても通ずることがあるので、今日の観点からも関連性を説いてみたいと思います。例えば"余白"それ自体は「野生の思考」への批判に対する一つの回答にもなっています。

  1. 静態性への批判に対して:yohakuのOpen Dialogは、固定的な構造ではなく、対話を通じて常に新たな意味が生成されるプロセスを重視しています。これは、構造主義の静態性への批判に対する動的なアプローチになることを期待しています。

  2. 西洋中心主義への批判に対して:yohakuの「余白」の概念は、東洋的な思想とも共鳴するものです。これは、西洋と非西洋の二元論を超えた、より普遍的な価値の探求の可能性を示唆できるでしょう。(したい!)

  3. 個人の主体性軽視への批判に対して:yohakuのCoaching & Self Counselingサービスは、個人の主体性や自発性を重視しています。これは、構造主義が軽視したとされる個人の能動性に焦点を当てるアプローチでもあります。

結論:「野生の思考」の遺産と未来への展望

 クロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」は、20世紀の人類学と哲学に革命的な影響を与えただけでなく、21世紀の今日においても重要な示唆を与え続けています。

この著作は、「未開」と「文明」という二項対立を超えて、人間の思考の普遍性を探求しました。それは同時に、文化の多様性を尊重しつつ、人類共通の基盤を見出そうとする試みでもありました。

「野生の思考」が提示した視点は、現代の認知科学、環境倫理学、多文化共生論など、様々な分野に影響を与えています。特に、具体的な事物や経験を通じて抽象的な概念を理解するという「ブリコラージュ」の考え方は、人間の創造性や問題解決能力を理解する上で重要な視点を提供し続けています。

今後、人工知能技術の発展や環境問題の深刻化、グローバル化の加速など、人類は新たな課題に直面していくでしょう。そのような中で、「野生の思考」が示した、多様性の中の普遍性を見出す視点は、ますます重要になると考えられます。

一方で今日解説したように、「野生の思考」への批判も、私たちに重要な示唆を与えています。静態性や西洋中心主義、個人の主体性の軽視といった批判点は、レヴィ=ストロースの理論をより深く理解し、発展させる契機となっています。これらの批判を踏まえつつ、「野生の思考」の洞察を現代的に解釈し、実践していくことが求められているのです。

結論として、「野生の思考」は、私たちに人間の思考と文化の本質について深く考える機会を与え続けています。その洞察は、半世紀以上を経た今日でも、認知科学や哲学、環境倫理学、多文化共生論など、様々な分野に影響を与え続けています。同時に、「野生の思考」は、現代社会が直面する様々な課題に対しても重要な示唆を与えています。AI技術の発展、環境問題、グローバル化など、複雑化する現代社会において、具体と抽象を結びつける創造的思考や、多様性の中の普遍性を見出す視点は、ますます重要性を増しているのではないでしょうか。

しかし、「野生の思考」を単に過去の遺産として称揚するだけでは不十分です。それを批判的に継承し、現代的に解釈し、実践していくことがこれからも求め続けられるでしょう。

「野生の思考」の遺産を受け継ぎ、さらに発展させていくこと。それは、複雑化する現代社会を生きる私たちの責務であり、同時に人間の創造性と可能性を広げる機会でもあるのです。

人類学者のティム・インゴルドの『メイキング』の言葉で締めくくりたいと思います。

「私たちは、世界について考えるのではなく、世界と共に考える必要がある。それは、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で示した、具体的な経験を通じて抽象的な概念を理解するというアプローチの現代的な展開だ」

ティム・インゴルド『メイキング』、2013年

この言葉は、「野生の思考」の現代的意義と、その実践の重要性を端的に表現しています。世界と共に考え、創造的に問題解決を行っていく。それこそが、「野生の思考」が私たちに示唆する未来への道筋なのかもしれません。



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