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読書スタンスの変遷 "なぜ働いていると本が読めなくなるのか 1/3"

なぜ本を読めない時があるのか

 今日からは少しテイストを変えて、そもそも「読書」についての課題を掘り下げている本をご紹介していきます。これまで6冊の本を紹介してきましたが、そもそもその本を手に取る、そして日常的に読む(そして考えて行動する)という行為に対してハードルが高い時もあるのではないでしょうか。かくいう私も、あまりに仕事が忙しい時は読書習慣が途絶えてしまう時もあります。そんな根本的な読書に対してのスタンスを考えていきましょう。

近代日本における読書文化の形成

 近代日本における読書文化の形成は、明治時代の文明開化と密接に結びついています。三宅香帆さんはご著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の中で、この時期の読書文化が「教養」という概念と共に発展したことを指摘しています。

明治期の知識人たちは、西洋の文化や思想を吸収するために、積極的に外国語文献を読み、翻訳作業に従事しました。福沢諭吉(1835-1901)は『学問のすゝめ』(1872-1876)において、「学問」の重要性を説き、広く一般の人々に読書を奨励しました。福沢は次のように述べています。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心とを以て此世に生を受け」

(福沢諭吉『学問のすゝめ』)

この言葉は、読書と学問を通じて社会的地位の向上を目指すという近代的な価値観を表現しており、多くの日本人の心に響きました。

しかし、この時期の読書文化は、必ずしも万人に開かれたものではありませんでした。当時の識字率は低く、また書籍も高価であったため、読書は一部のエリート層の特権でした。三宅さんは、この点に注目し、近代初期の読書文化が社会階層の分化を促進した側面があることを指摘しています。

また、この時期の読書は、単なる娯楽ではなく、国家の近代化という大きな目標に結びついていたことも重要です。例えば文豪として誰もが知る夏目漱石(1867-1916)は『私の個人主義』(1914)で次のように述べています。

「私共は西洋の文明を取り入れるために、一生懸命に勉強して居るのです。さうして其勉強の結果が、少しづゝ効を奏して来て、今日では昔の日本人とは打って変つた新しい日本人が出来上がつたのです」

『私の個人主義』(1914)

漱石の言葉は、読書が単なる個人的な教養ではなく、国家の近代化という社会的な文脈の中で捉えられていたことを示しています。三宅さんは、この点を踏まえ、近代日本の読書文化が個人の成長と国家の発展という二つの目的を同時に追求していたことを分析しています。

余談ですが、夏目漱石の「私の個人主義」に記されている漱石の講演録は素晴らしいので、近いうちにご紹介したいと思います。

大正・昭和初期の「教養主義」と読書

 大正時代から昭和初期にかけて、日本では「教養主義」と呼ばれる文化的潮流が生まれました。三宅さんは、この時期に「円本ブーム」が起こり、安価な全集が大量に出版されたことで、一般大衆にも「教養」としての読書が広がったと分析しています。

この時期の代表的な知識人である阿部次郎(1883-1959)は、『三太郎の日記』(1914)において、教養の重要性を次のように述べています。

「教養とは、単に知識を積み重ねることではない。それは、人格の完成を目指す内面的な努力である」

『三太郎の日記』(1914)

阿部の言葉は、当時の知識人たちが読書を通じて追求していたものが、単なる情報の蓄積ではなく、人格の陶冶であったことを示しています。

三宅さんは、この「教養主義」の時代に、読書の目的が変化したことを指摘しています。明治期の「国家のための読書」から、個人の内面的成長を重視する「自己のための読書」へと移行したのです。この変化は、日本社会が近代化の初期段階を脱し、より成熟した段階に入ったことを反映しています。

しかし、「教養主義」には批判的な見方もありました。例えば文芸評論家の小林秀雄(1902-1983)は『私小説論』(1935)で次のように述べています。

「教養主義者たちは、自分の生きている現実から遊離して、観念の世界に逃避している」

『私小説論』(1935)

小林の批判は、「教養」が現実社会から遊離した空虚な理想主義に陥る危険性を指摘したものです。三宅さんは、この批判を踏まえつつ、「教養主義」が日本の読書文化に与えた影響の両義性を分析しています。

また、この時期には労働者の読書文化も発展しました。プロレタリア文学運動が盛んになり、労働者の生活や思想を描いた作品が多く生まれました。小林多喜二(1903-1933)の『蟹工船』(1929)などは、労働者の間で広く読まれ、社会意識の向上に寄与しました。三宅さんは、この労働者の読書文化が、後の大衆文学の発展にも影響を与えたことも指摘しながら、読書文化の変遷について詳しく述べています。

高度経済成長期の読書と労働

 より近代に近づき、高度経済成長期に入ると、日本の読書文化は大きな転換を迎えます。三宅さんは、この時期に「実用書」や「自己啓発書」が人気を集めるようになったことに注目しています。

経営学者のピーター・ドラッカー(1909-2005)は、1954年に出版された『現代の経営』において、知識労働の重要性を指摘しました。

「今日の社会における中心的な生産資源、決定的な生産要素はもはや資本でも天然資源でも労働でもない。それは知識である」

『現代の経営』(1954)

ドラッカーの指摘は、高度経済成長期の日本において、読書が単なる教養ではなく、仕事に直結する「知識」の獲得手段として認識されるようになったことを裏付けています。

三宅さんは、この時期の読書文化の特徴として、主に以下の点を挙げています。当たり前のように思えますが、改めて考えると重要な視点ではないでしょうか。

  1. 実用性の重視:ビジネス書や自己啓発書が大量に出版され、読書の目的が「役に立つ知識の獲得」へとシフトしました。

  2. 読書の大衆化:文庫本の普及により、より多くの人々が手軽に本を購入できるようになりました。

  3. 娯楽としての読書:推理小説やライトノベルなど、娯楽性の高いジャンルが人気を集めるようになりました。

  4. 読書時間の減少:テレビの普及により、余暇時間における読書の相対的な地位が低下しました。

これらの変化は、日本社会の価値観の変化を反映しています。経済成長を最優先する社会の中で、読書も「生産性」や「効率性」の観点から評価されるようになったのです。本を多く読むことよりも本を多く本棚に飾ること、買うだけで満足すること、読書よりも他のコンテンツを優先すること、など思い当たることがあるのではないでしょうか。

文学者の大江健三郎(1935-)は、この状況を『あいまいな日本の私』(1995)で次のように批判しています。

「現代の日本人は、読書を通じて自己を深め、世界を広げるという姿勢を失ってしまった。代わりに、即効性のある情報だけを求めるようになった」

『あいまいな日本の私』(1995)

大江の批判は、高度経済成長期以降の日本の読書文化が、精神性や思索性を軽視し、実利主義に偏重していることを指摘したものです。三宅さんは、この批判を踏まえつつ、現代の読書文化の問題点を探っています。

読書へのスタンス

 一方で、この時期には新たな読書のスタイルも生まれました。通勤電車の中で文庫本を読む「車中読書」が一般化し、忙しい日常の中でも読書の時間を確保しようとする努力が見られました。また、読書会や文学サークルなど、読書を通じた社会的なつながりも形成されていきました。

三宅さんは、これらの動きを「労働中心の社会における読書の生き残り戦略」として位置づけています。しかし同時に、こうした読書のあり方が、じっくりと本と向き合い、深く思考するという従来の読書の価値を変質させてしまった側面があることも指摘されています。

以上のように、近代から高度経済成長期にかけての日本の読書文化は、「教養」から「実用的知識」へと重点を移していきました。三宅さんの分析は、この変遷を丁寧に追いながら、現代の読書文化の課題を浮き彫りにしてくれています。

読書の目的、形態、社会的意義が時代とともに大きく変化してきたことを理解することは、現代の「働きながら読書する」という課題を考える上で重要な視点を提供してくれるのです。明日は情報過多時代における読書の位置づけと教養との関連性を取り上げながら、読書について考えていきます。

yohaku Co., Ltd. のメンバーも私を含めて読書習慣が根付いています。しかし、読書をする上で重要なのは読書後の他者との対話です。それはnoteなどの記事を読むこと、考察動画を見ること、そうしたことでも多少解決できますが、一番重要なのは直接対話をすることだと考えています。私も無目的的な対話の材料を蓄える為に、毎日読書をすることを意識しています。

他者との対話をしたい!という方は是非yohakuのサービスもご覧ください。


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