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【ソウウツ通信】ぽんぽこたぬきはピエロに変化する【7】

 ぽんぽこたぬきはシュールな笑いが好きである。そして躁鬱病だ。15年罹っている。なので、たぬきは躁鬱病の経験や培ってきた付き合い方を面白おかしく(シュールな笑いで)お伝え出来たらいいなと思っている。
 たぬきの経験談の中に、ときたま躁鬱人や、躁鬱人を近くに持つ方々にとってのお役立ち情報が隠れているかもしれない。そのくらいの温度で書いていこうと思っている。
 たぬきは入院こそしたことがないが、昼夜逆転の生活リズムを直すために、デイケアにも通っていたし、大きな病院だったのでデイケアに通っている人は社会復帰の練習として入院病棟に入り、掲示物を張ったりの軽作業なども行っていた。入院患者の雰囲気もなんとなく見てきたのである。
 また、お決まりの鬱期には1ヶ月で体重が10kg落ちるという結構ヤバい感じにもなったし、過呼吸になったりもした。
 そういう体験はひと通りではないが、躁鬱人の「あるある」として割と経験をしている。
 でも・・・とたぬきは思う。
 たぬきが何があって躁鬱病になり、病院に行くことになり、体調を悪化させ、悩み、寛解し、また悪化させ、デイケアに通い、薬の副作用について悩んだか。そんなのを時系列に沿ってお話しても楽しくなくない?・・・と。
 そういった経験談は本の中にもネットの中にもごまんとある。
 もしかして自分も鬱病かも・・・とか躁鬱病かも・・・とか統合失調症かも・・・と思ってそういった経験談を読んで病院に通うことができた!・・・という方もいるかもしれないけれど、たぬきはそれぞれのテーマと言うかエピソードに区切って、繰り返しのことを言ってしまうこともあるかもしれないけれど、おもしろく書いていきたいと思っているのだ。
 躁鬱人の考えには傾向はあるが、その症状はひとそれぞれである。たぬきは自分の症状しかわからない。どうやって躁鬱病になり、病院にいって~とかの状況も他の人とは多分違う。
 たぬきは、自分自身のお話をするしかない。
 そのお話をなるべく楽しい感じでして、そして、色々な症状をもつ躁鬱人のみなさんの自分なりの付き合い方のヒントになればいいなと思っているのである。
 まあ、そんなノリなんです、諸君。
 で、たぬきは躁鬱病について考えてみた。考えると鬱になるからたまにしか考えない中で今日は軽く考えてみた。
 たぬきの周りには鬱病だとか愛着障害だとか発達障害と診断された人はいるが、躁鬱人の知り合いはいない。いや、むしろいたら自分の症状とかを冷静に考えてみるに、躁鬱人の人とは付き合いきれないと思うから躁鬱人知り合いそうになったら自ら避けるかもしれない。
 大学時代の”友達が皆無に等しい友人”の中に発達障害の人がいた。
 いつも突然電話がかかってきて、永遠と愚痴を聞かされた。たぬきも躁鬱を患っている。精神的な病の苦しみはわかるつもりだ。で、悩んでいる彼の少しでも役に立とうと話を聞いていたりしたのだが、いつも勝手に満足するのか突然電話を切られた。
 たまにご飯などに行くことになっても、一緒に歩いていて振り向くといなくなっていたりしたこともある。
 「どこ行ったの?」ってメッセージをすると、「帰りたくなったから帰った。」という。
 たぬきは悩んで、彼とお話をするといつも体調を悪くした。
 たぬきは思う。躁鬱人って結構気を使っている人が多いんじゃないか??と。
 たぬきは病身である。体調がいいわけでは無い。そんな中で病を持つ人の悩みなんか聞いたら中てられるのはわかりきったことだ。そんなん自分によっぽど余裕がなければ無視しちゃった方がいいのかもしれない。
 だけれど、たぬきは無視できない。その人の悩んでいる姿などを思い浮かべてしまうからだ。
 たぬきは宗教とかスピリチュアルとかにはほとんど興味がない。そりゃあ、旅好きたぬきなので神社に行ったりお寺に行くのは好きだし、ちゃんとお参りするけれど、基本的には非科学的なことが嫌いである。
 なのでこれも半分非科学的なものとして捉えているけれど、一方でたぬきは心理テストとかそういうのは好きだったりする。一貫してない。
 そんなわけで最近流行っていたHSP診断をやってみたのだ。HSPは「やたらと気にしい」な人のことを言うらしい。「空気を読み過ぎる」とも言う。でも、精神医学的な診断ではない。病気としても現状では捉えられていない。
 だけれど、一つの指標としては役に立つかもしれない。そんなわけでセルフチェックみたいなのをやってみたことがある。
 かなりのHSS型HSP。たぬきはそんなのに分類にされた。
 HSSは「刺激や新しい経験を求めるタイプ」のHSP「やたらと気にする」人である。
 あんまりいるタイプの分類じゃないらしい。レアだ。
 たぬきはレアだと知って少しうれしくなった。ガチャでレアキャラが出たようなもんである。
 このHSP診断は半分お遊びみたいな感じでやったから友人と一緒にやってみた。ここでは説明を省くが、単純なHSPだとか、HSEとかはいたりしたけれどHSS型HSPはたぬき以外にいなかった。(HSS型HSEはひとりいた。これも結構レアである。)
 レア~!いえーい!とたぬきは心の中で喜んだ。
 そして、会う人会う人に「最近”流行りの”HSP診断やったことある!?なに?HSE?え?自分?自分、HSS型HSPなんで!(テヘペロ)レアキャラでーす!すいやせーん!」なんて言いまくったりしていた。そもそもふつうの人はHSP自体知らなかった。知ってても「ああ、最近本屋に置いてあるね」みたいな感じで興味が無いようだった。
 だからあくまで心理的な傾向とかを知る指標とかと捉えたらいいと思う。自己啓発本の一種だから、その解説書なんかを読んで全身全霊を掛けてハマるのはなんか違う気もしている。
 それを踏まえて、一種のドライな感覚で見ていくという注釈はあるが、HSS型HSPは傾向の説明を読む限りは最も生きにくそうなタイプの分類であった。そんなタイプに分類されて喜んじゃうたぬきはなかなかの阿呆でああるとも言える。
 要は「気にしい」つまりは「刺激的な情報や経験に中てられる、非常に疲れる」人間なのに、そんな刺激や情報を求めて突入していくという意味が分かんないタイプなのである。
 だけれどたぬきは思う。躁鬱人ってみんなHSS型HSPかHSS型HSEなんじゃないの??と。
 説明を省くってさっき言っちゃったけれどやっぱり説明しなくちゃいけなくなった。HSPとHSEの違いは「内向的か外向的か」の違いだ。
 HSEは人に会うのも大好きだけれど、気にしいで後々疲れるタイプである。
 この二つって躁鬱人の症状そのものじゃん!と思うのである。
 刺激を求めて活動的になっているときは躁状態である。人に会いまくるタイプもあれば、旅や冒険的なことや散財をするタイプもいる。
 それに疲れたりして寝込むときは鬱状態である、と言えるのではないか。
 ただその強度の違いである。HSPは病名でないというので、そのHSP的症状をもっと重く病的にしたのが躁鬱人なんじゃないかと考えられるわけだ。
 たぬきは「内向的な」「刺激や情報を」激しく求めるタイプである。
 それはこれまでに話した(話したっけ?)、外国語を一切喋れないのに、海外をバックパック一つで歴訪したり、突然バイクを買って北海道を一周したり、家を買っちゃったりしたことからも良く分かると思う。まさに、外向的ではなく人に会わない内向的に向いた刺激を求めるタイプのそれ、だ。
 一方で「非常に気にしい」な性格と共存しているわけだ。
 たぬきはすごく空気を読む。その空気の読み方が当たっているのかは分からないが(こういう人は往々にして外したりするらしい)、脂汗が出るほどまわりの人たちがどう思っているのかとか、その上でどうしたら楽しんでもらえるのか、とかを常に考え続けている。
 いや。脂汗くらいだと物足りない。考えすぎて頭から煙がプスプスと出てくるほど空気を読むのである。
 そして、オーバーヒートすると「パンパカパーン!」となって、たぬきはピエロに変化(へんげ)してしまう。
 「あえて」空気を読まないピエロになるのである。
 話をわざと違う方にそらす、奇行をする、いたずらをする。そんな感じである。これがプライベートの中のいい友人の中だったらまだいい。
 これが仕事とかだと、求めれれていることをあえてしない、みたいな馬鹿なことをやったりする。求められていることが他の人よりも察知しやすいなら実行できればそれは勤め人としては最高なのに、なぜかやってやりたくなくなってしまうのである。
 当然職場での立場は危うくなる。なんの得もしない。
 これはたぬきの空気は読んでもプライドでは許せない業務でてできないという、そういう問題だったのか。わからない。
 とにかくたぬきは変化癖がついているのかすぐにピエロになってしまうのだ。
 そんな自分も許せずに「ナニヤッテンダ、オレ・・・」と黄昏の海岸に一人佇んで結局凹んでみたりする。
 躁鬱人は躁の時でも必ずしも多幸感に満ち溢れているわけでは無く、何かにいつも怯えているはずである・・・と前にも言った気がする。たぬき自身がそうだからだ。
 これは空気を読み過ぎる、とも捉えられる。
 失敗したくない、怒られたくない、弱みを見せたくないなどなど。
 そんなん刺激的な経験や知識を求めて行けば、かならずぶち当たりそうな壁である。失敗する、怒られる。そして疲れる、鬱になる。
 でも、「刺激を求めるけれど、空気を読み過ぎて疲れる」と言うのは決して悪いことばかりではない気がするのである。
 空気を読み過ぎるがゆえに、刺激を求める中にもその人自身の独自ルールがあってセーフティネットを設けているはずだからだ。
 たぬきは「躁の頂」があんまり高くない躁鬱人である。
 なので、破産するほどの散財や、命に危険が及ぶほどの行動にはいくら躁状態でも及ぶことは無い。だけれど、散財している人やなんかでも何かしらの独自ルールがあって行動しているはずである。
 これは「突破力」である。空気は読んでいるのである。一応。
 躁鬱人は空気がよく読めるゆえに優しい。それでいて行動力もある。時には場の空気を読んで、あえて羽目をはずすピエロにもなれる。
 そう考えたら、結構躁鬱人も捨てたもんでもない気がして来る。いや、むしろコミュニティのなかで無くてはならない存在なのではないかとすら思える。躁鬱人はユーモアがあるといってもいい。
 先に、空気を読み過ぎてピエロになって失敗してしまう例を挙げてしまったが、これがうまくいく場合もあるのである。
 躁鬱人は行動力とか知識欲が基本的には備わっている。それでいて空気を読む傾向にもある。これは新たな場面において「コレハ、コウイウコトデスヨネ!」と求めてくる人の要望にピタッとマッチすることが多々あるということである。その場の情報を人一倍吸収出来て、人一倍空気が読めるからである。
 そういう意味で躁鬱人は「補助的な役割」をするのにすごく向いているような気がする。
 秘書とか。そんなの結構向いているんじゃないだろうかと思ったりする。
 中世の王様の脇には道化が必ずいたという。貴族たちを楽しませたり、本音を言えない場で「あえて」本音を言う役割を与えられたピエロ。
 これも王様の補助的な役割である。
 躁鬱人は躁状態の時、すごくアイデアも浮かぶし、活動的になる。だけれど必ず鬱状態もやってくる。燃え尽きちゃうからだ。
 なので、自分一人で行動するのではなく、そのアイデアを冷静に判断し、安定して行動に移してくれるパートナーを見つけるのがすごくいい気がするのだ。
 話はちょっと変わって、たぬきは屋台が好きである。おでん屋とかラーメン屋とかそんな感じの屋台だ。たぬきは旅が好きだから、福岡の屋台とか横浜駅前にかつてあった屋台とかに行ってみたりもした。だけれど、最近は閉業が続いている。そして、新たに役所から許可をもらうのは困難な状態にある。これは公道を占拠するのがあまりよろしくないからとのことらしい。
 そこで、たぬきは大きな土地を買って、そこに屋台が集まる感じにしたらどうだろうと考えた。
 宵の口になると屋台がぞろぞろと集まりだし、提灯やアセチレンランプといった柔らかな明かりとおいしそうな匂いに集まった人影が幻想的にぞろぞろと練り歩く。越中おわら節みたいな感じだ。「賑やかさの中の静寂」。そんな風景が浮かぶ。そんな風景を作りたい。なんだか楽しそうである。
 それで、まずはひとりでやってみようと考え、原付バイクは持っていたから、それで牽ける台車を設計し、保健所に開業の方法を問い合わせたりもした。そして、ゲリラ的に屋台をやってみようと思った。
 で、潰れた。鬱になった。
 この一例は今ぱっと思い出したものだから実現可能かどうかはわからない。要はこういう面白そうなアイデアが浮かんだ時に、面白いといってくれて実現可能な部分まで安定して押し上げてくれるようなパートナーがいれば、ただでさえ突破力があり、人類に必要な躁鬱人がよりリアルに社会貢献できる場面が増えるんじゃないかと言うことである。
 躁鬱人の苦手なところを挙げると、気分に波があることである。一点突破の力はあるけれど、なかなかその持続力が続かない。
 たぬきの家を買って、仕事帰りの夕方から空が白むまでDIYで直した経験から言うと、どんなに頑張っても半年が限度だと思っている。それに、その後の鬱が怖いからもう二度と半年間フルスロットルな生活はしたくない。オススメもしない。
 とはいえ、外向的躁鬱人ならいいが、たぬきのように内向的躁鬱人もいるはずだ。こういうのはパートナーなんか見つけるのは至難の業である。と言って持続力も無い。
 こういう場合は一人でもできるシステムというか仕組みを作るしかない。それはいずれたぬきが導き出した処世術てきな章でお話したいと考えている。
 たぬきは自営業である。かつては二人で事業を行っていたが、今は一人になってしまった。これまでは突破力のあるたぬきが、新規事業を立ち上げて、持続力が無い分、パートナーがそれを担うという形で事業を行ってきた。
 だけれど今は一人である。そして持続力がない。内向的躁鬱人なので奇跡的な出会いをした元・パートナーみたいな人間を新たに見つけることも無理に等しい。
 だったら持続力のない自分一人でも継続できる仕組みを作らなければいけない。
 そんな話をいずれしたいと思っている。
 今回は躁鬱人はみんな「刺激を求めるけれど、空気を読み過ぎて人の目をすごく気にする」はずである・・・的な考えから、空気を読み過ぎるがゆえピエロになるみたいな話をしてみた。
 躁鬱人は現代社会の中では生きづらさを感じることの多いタイプかもしれない。だけれど、躁鬱人だからこそ社会の役になったりできることもたくさんあると考えている。
 ただでさえ躁鬱人はアイデアを出すのが上手なのである。あとはのアイデアを持続的に実行できる仕組みさえ整えられれば最強な気がしている。
 たぬきが書く文章の全てが全て共感を呼ぶものでは無いと理解している。躁鬱人の症状は人それぞれだからである。だけれど、なにかのきっかけとか、少しでも役に立つアイデアをこの文章で得てくれたらうれしいな、とたぬきは思っている。
 そんな感じで今回は締めさせていただきます。ではまた。
 
 

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