【ソウウツ通信】はじめに。【1】
こんにちは。はじめまして。石川狸と申します。ちょっと寒い地域に住んでいます。
「はじめに。」と書いたものの何を書いていいのかわかりませんので簡単に自己紹介とこの「ソウウツ通信」を書こうと思ったきっかけを書こうと思います。
僕は大学で建築を学んだあと、とある役所にて地方公務員になりました。大学で勉強していく中で街づくりなどに興味を持って、街の活性化に貢献できるのは公務員だろうという魂胆です。そこで、旅行などをしていて好きだった地方都市で公務員として働き始めました。
まあ、結果的に25歳のときに鬱病と診断され、その後、躁鬱病と診断が変わったわけですから、なんやらかんやらあったわけです。それで30歳ごろ公務員を辞めました。
躁鬱病はまったく治る気配がなく、元気な時は「個性」と思って割り切ることができる・・・というより、むしろ「この個性最高じゃん!」なんて思ったりするのですが、落ち込んでいるときはなんでこんな性格なんだろうと毎日悶々として、そして寝たきりになります。寝たきりになるけれど、寝てばかりいるので眠れません。3日で缶ジュース一本飲むくらいしか気力がなくなり激やせします。そしてマイナス思考のループにハマって行くのです。
鬱病から躁鬱病と診断が変わったのはつい最近のことで、薬の処方が変わったことにより、今のところ大きく落ち込むことも無ければ、ぶっ飛んだことをすることも無くなっています。
とりあえず安定していると言っていいのかもしれません。
僕は公務員を辞めた後、一瞬設計事務所で働いたのち、自営業を始めました。その頃は鬱病という診断でしたが、テンションが高い時はやたら活動的になって眠りもしなくなる・・・という特性を自分では気が付いていて、うすうす躁鬱病なんじゃないかと疑っていました。
なのでその特性を許容できる・・・あわよくば活かせることを仕事にしようと思ったわけです。地域貢献というかまちづくりにも興味は持ち続けていたので、なおかつ社会貢献ができれば最高だと思いました。
ということで、自分が得意そうな分野で、社会貢献ができ、気分が落ち込んで寝たきり期間がある程度続いたとしても業務に影響が出ないような仕事を作りました。
この「仕事を作る」というのも不思議なもので、躁の時は実働部隊として実行するのですが、そのアイデアは鬱の時に「自分はダメな人間だ」と悶々としている中でダメダメと考えていた膨大なマイナス思考が原点になります。
このダメなガラクタパーツがある時カチャカチャと積み重なっていき、小さな芽となって地表に現れます。そしてだいたい「躁」が始まるのです。
「躁」と言うと毎日が楽しくてハッピー♪とふつうの方は思うかもしれませんが、実は全然ハッピーじゃありません。自分がいつ「鬱」になるかという恐怖や焦りなど漠然とした不安の影にいつも追いかけられながら、それでいて活動を止められないので体調としては最悪です。ほとんど眠りもしなくなります。
躁鬱病はふつうの人より気分の波が激しいと言います。「躁」の時の山が高ければ高いほど、「鬱」の時の谷が深く深くなってしまうのです。どん底です。トイレにも行けなくなり半日かけてトイレに行く感じになります。
さすがにこの波の激しさを何回も経験してきたので、「躁」の時の高い山をなるべく登らないようにしているのですが、そうすると数少ない活動できる期間も自らセーブするようになり、「超元気↔超死にたい」から「ふつう↔ちょっと死にたい」といった症状で落ち着くようになり、非生産的な人間になってしまいます。今、この状態です。大きく落ち込むことも無くなった代わりに、ハイテンションになって新しい仕事を作るということもなくなりました。悩ましいものですね。
で、ですよ!今の気分は「低空飛行のふつう」状態なのです。何もする気が起きないわけでもなく、何かでかいことやってやろう!って気分でもない。
仕事はそんな低空飛行時は低空飛行なりな仕事で回せるようにしているので、要はヒマ!・・・なのです。
この「回せるようにしている」というのは仕事の業務量を「墜落直前」から「墜落」状態でもなんとかやっていける量にしているということです。
「寝ないほど元気」「元気」「ちょっと元気」「ふつう」「低空飛行のふつう」「墜落直前」「墜落」という僕の指標があるとすると、「低空飛行のふつう」だと業務量的にすぐに終わってしまい、暇になるようにそもそも仕事量を調整しているのです。保険です。
とは言えこのヒマ状態になれるのは「ちょっと元気」「ふつう」「低空飛行のふつう」あたりで、「元気」「寝ないほど元気」になると頭がパニック状態になり、次から次へと何かをやらなくては気がすまない状態になり、今度はヒマじゃなくなるのですが。
躁鬱病はぶっ飛んで「躁」になるか、完全に墜落して「鬱」になるか両極端な病気なのが厄介なのです。みんなそこに悩んでいるわけで、認知行動療法だとか薬でその両極端を抑えようとしているわけです。
で。薬のおかげなのかどうかはわかりませんが、「低空飛行のふつう」あたりの状態を維持し続けているのは奇跡といっていいほど珍しい状態なのです。
「じゃあ遊んじゃおう!」となれば最高なのですが、一般的に遊んで暮らすようなお金があるわけではありません。むしろ全然ありません。何せ、「墜落直前」から「墜落」時のほぼ寝たきり状態でもなんとかこなせる業務量にしているわけですから。そんなにお金を稼げるわけでもないのです。
まあ、もともと趣味もアウトドアや料理、DIYや畑みたいな感じで、これは別の機会に書けたらいいなと思っているのですが、貧乏している気分でもないけれど、お金を全然使わない性質なのです。
じゃあそんな趣味の畑やアウトドアやればいいんじゃない?と思われるかもしれませんが、「低空飛行のふつう」なので、体力を使うような遊びの気力までは無いのです。
ということで結果的に暇はあるけど、お金はない。元気いっぱい遊ぶ元気もない。じゃあ、何をしよう?と考えたわけです。
今なら割と「躁」の時の気分も「鬱」の時の気分もわかる。
それなら今だったらインターネット上で発信できる媒体がたくさんあるわけですから、躁鬱病のことを書いてみたらいいんじゃないか?と思い立ったわけです。
僕は一時期、というか、鬱病と診断されるまで、この体調不良や気分の落ち込みが分からなかったので、いわゆる自己啓発本的な本を読んだりしてきました。
鬱病になってからは文字がほとんど頭に入ってこなくなる症状になり、「うつヌケ」(田中圭一)とか「失踪日記」(吾妻ひでお)などエッセイ的な漫画を読んだりもしました。もともと漫画も読書は好きなのです。
その後、躁鬱病と診断が変わり、躁鬱病の体験談とか付き合い方みたいなものを探しましたが、鬱病関連の本は結構あるのですが、躁鬱病となると全然ない。あっても専門書です。その中では医学的なアプローチではなく経験談から語ってくれ、軽く読める本として「躁鬱大学」(坂口恭平)は貴重な存在ですが、100人いれば100人の個性がありますから、体験談や経験談的な読み物はいくらあってもいいと思うのです。でも少ない。
厚生労働省のホームページを見てみると、日本ではうつ病は生涯に約15人に1人、過去12ヶ月間には約50人に1人がうつ病を経験しています。比率でいうと7%弱が経験しているわけです。
一方で躁鬱病(双極性障害)は1%弱。
周りに鬱病の友達だったら一人や二人いるかもしれませんが、躁鬱病となると100人に一人の割合。近くにはいるのかもしれませんが、元気な時しか表に出ない躁鬱病。カミングアウトしていなければ気づかないかもしれません。
要は需要が無いんですね。本とかだったら需要が無ければ売れません。売れなければ出版されません。
でも、インターネットでの媒体だったら好きに発信することができる。
そこで僕も書いてみようと思ったわけです。
これは僕自身へのマニュアルでもあります。「躁」のとき「鬱」のときのマニュアル。こういう傾向があるからこう考えよう!このとき、こんな考えでこんなことしてたな、みたいな。できれば比較的ニュートラルな今、その解決策というか、この時こういう風に考えてればよかったかな?というのも書いて行ければと思っています。
なお、このお話は躁鬱病を患っているタヌキ・・・という第三者の体験談、物語です。僕自身とはなんの関係もありません。・・・という体でお楽しみいただければ幸いです。自分の経験を他人事にする。これも僕の中での処世術なのです。
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