【ソウウツ通信】たぬきの継続力と自己卑下力【8】
たぬきは躁鬱病である。病名で言うと双極性障害というらしい。
たぬきは爆発的な行動力を見せることもあれば、寝たきりになることもあるという。
これは躁鬱病の特徴の一つであるが、結果的に継続力だったり持続力といった類のことが苦手になる。
途中でたぬきは飽きちゃう。飽きちゃうと頑張っていた気力みたいなものがぷつんと途切れ寝たきりになっちゃうのだ。
この「飽きちゃう」までに到達する地点が結構な高み、極みにあれば躁鬱人としてのたぬきもビョーキのデメリットを多少補えるんじゃないかなーと思ったりもする。だけれどせいぜい「他の人よりちょっと詳しい」くらいの所でたぬきは大変満足する。
たぬきは業務用ミシンを持っている。それで色々お裁縫をした。お裁縫たぬきである。やたらめったらカバンを作ってみたり、半纏みたいなものを作っては人にプレゼントしていた。縫い目はガタガタである。だけれど、なるほど、こんな感じでカバンとか服は作って行くのね!・・・ということが分かった時点でたぬきは飽きてしまった。
飽きたころに半纏を作ってほしい。買うから。と言われたりしたことが合ったが、たぬきはもう作ることは無かった。
たぬきは建築学科の出である。その中でもカッコイイ、オシャレな建物を観たり、設計したり、建てたりするよりは古民家だったり、ブッシュクラフト的なその場にある資材で住居を作る・・・みたいな嗜好のあるタイプである。
たぬきは家って高すぎじゃない?という思いから「住」の限界に挑もうと思った。
たぬきが役所に勤めていたころは小さな建物であるが設計や積算(建てるのにいくらかかるか計算すること)や監理(現場を監督すること)をしていたので、当然街にあふれるあんなこんな建物を建てるのにはそれなりにお金がかかるのはわかっている。
だけれど、もっと家は「雨風を凌げて、夏涼しくて、冬暖かい」というシンプルな考えのもとで作ればもっと安くできるんじゃないかと思ったのだ。
それで、現地に生えていた竹や雑草、土などで5000円で小屋を作ってみた。竹でベッドなんかも作って寝泊りをできるような小屋だ。
作りは荒かったが、住めないことは無い。
たぬきは満足した。
どうもニュースなんかを観たりしていると、小屋暮らしが流行ったりしているらしい。もう少し極めれば「ミスター小屋職人」とかになって引く手数多になり、それが食い扶持になるのかもしれない。
でも、でもたぬきは飽きちゃう。
こんなこともある。たぬきは建築士、宅建士、FP2級、電気工事士などなど突然資格の勉強をし出して、短期集中で資格を取得してみることがある。
なんとなく大学の専攻から建物関連の資格が多い気もするが、上に挙げた資格だけでも、なんかそれなりにお仕事につながりそうな気がしないでもない。
資格だけで言えば土地を売買し、お金の試算をし、設計までできるからである。
だけれど、たぬきはこれらの資格を一度も行使したことはない。
資格を取れたら、「ちょっと詳しい人」になれたからと満足するからである。自分の今後のために知識を使えればいいと思っちゃってる。
仕事にすればいいのに。
たぬきは決してお金儲けには使わない。
まさに器用貧乏。
なんなら「躁鬱たぬき」と書いて器用貧乏と読むのかもしれない。いや、逆か?
世の躁鬱人の方ならわかってくれると信じているが、躁鬱人は何かしらの点で生き方が下手である。
たぬきは多分「マネタイズ」という点で下手くそちゃんだ。
たぬきが躁鬱人という点は変えようがない。別に好き好んでなったわけでは無いからだ。それは躁鬱人で無い人だって同じだろう。スポーツができる人、数学ができる人、読解力がある人、人当たりがいい人などなど。
それぞれの人が持っている特性である。
人は自分が持った特性を生かして世の中で生きていけばいい。
それは躁鬱人だって同じである。
たぬきはゾーンに入ると小屋を作ったり、料理をしたり、カバンを作ったりと実験的な活動をし出したり、資格を取ったり、旅に出たり知識や経験をやたらと吸収したがる。
これは躁鬱人のプラス的な行動だとたぬきは思っている。
なら使えばいいのに!・・・とたぬきは自分に言ったりする。
これだけいろんな知識や経験があれば十分食っていける。世の中のらりくらりと泳いで行ける・・・はずなのである。
でも、たぬきは世の中の波に正面からぶつかって行って、海中に沈む。
そして、鬱期に得た知識なんかの大半を忘れて行く。
たぬきは例えば宅建についてもうほとんど覚えていない。
持続力が無いのである。
鬱病や躁鬱病の鬱期の人には「頑張れ!」と言っちゃいけないとまことしやかに言われている。通説である。
だけれど、たぬきよ。もうひと踏ん張りしてはいかがだろうか。
いや、躁鬱人諸君よ。その爆発的突破力で得た経験や知識をもう少し活かせないだろうか?
躁鬱人は惜しい!!惜しいのである!たぬきは自分にも言い聞かせてやりたいが、躁鬱人は人より優れた突破力がある。躁期には(それが実現可能かどうかは知らないけれど)アイデアが湯水のごとく出てくる。それこそ、この世の中の常識を覆すようなブレイクスルーするような(と思っている)アイデアもだ。
まあ、大半はゴミクズになるようなアイデアになるかもしれないが、そうやって残ってきたものが人々を幸せにする商品だったり、サービスになったりするわけなので、躁鬱人よ、もうひと踏ん張りしようじゃないか。
もしくは、持続力を持とう。
持続力を持つには「潰れない」ことが解決策である。
躁鬱人は躁期に大量にエネルギーを使うから、潰れないためには人より多くの休息期間や充電期間が必要になる。鬱期になる前に休息期間や充電期間を設けよう。
「低空飛行のふつう」あたりで休息期間や充電期間を設けるのがよろしい、とたぬきは以前に言った気がする。(「ふつう」だったっけ?)
とにかく、まだ全然動けるよ!休息なんて取らなくても全然いいよ!なんならもっと動けるよ!むしろ動かせてくれよ!止まっているのがいやなんだ!!なあ、頼む!俺に!!俺に仕事をさせてくれ!俺を放っておかないでくれ!!!!って思っちゃってるときにこそ「敢えて」休息しよう。
もう仕事とか作業ができないところに身を置こう。
人より躁鬱人はエネルギーを使っているので、少なくとも1週間。なんならひと月くらい休んじゃえばいい。休むべきなのである。
これはいずれ「処世術」として書くかもしれない。
まあ、それは普通の勤め人たる躁鬱人には難しいことなのかもしれないが、職場でも常時忙しいというところは論外として、仕事量にも波があるはずである。勤め人はその波に乗って、あんまり仕事をしない期間を設ければいいんじゃないかと思っている。
たぬきは自営業だから、最近は敢えて休息期間を設けるようにしている。躁鬱の波も、自分が持っているバッテリーの容量も経験を積むとなんとなくわかってくる。まだ初心者の躁鬱人もいくつかの躁期と鬱期を繰り返せば自ずとわかってくるはずである。なので鬱期で凄まじく苦しい時期だったりするかもしれないが、必ず躁鬱との付き合い方がうまくなってくるはずである。希望を持とう。躁鬱人としての暮らしが長くなるほど快適な人生を送れるようになってくる。
てことで、たぬきも躁鬱人として15年も暮らしてきたから、今、なんとなくテンション高いな。このくらいの行動力を持続させると、来月には潰れる。だから再来週くらいからどこか旅行でも行って来ようかしらん?・・・などと考えたりする。
もしくは来月から確定申告しなきゃで地獄だぞ・・・今のうちに充電しておこう。そうだ湯治に行ってみよう!と事前に充電しておくこともある。
こうすれば、継続力、持続力を持てさえすれば躁鬱人の持っているポテンシャルを最大限生かせる・・・という算段である。
躁鬱人はその特性から気分のアップダウンが激しい人種である。
たぬきは山登りもするからわかるが、縦走は結構楽である。一度登ったら稜線上を少しのアップダウンを繰り返して色々な山に行けるからである。
だけれど、躁鬱人は富士山に登っては麓に降りて、槍ヶ岳に登ってはまた麓に降りて・・・と繰り返す登山をしているようなもんである。疲れるに決まっている。
でも、特性なんだから仕方がない。これは躁鬱人じゃない人だって何かしらで特性を持っているので、別に悲観する必要はないのである。
要はその特性を活かせるかどうかである。
そういう意味では躁鬱病は「病気」と認定されている分、解決してくれようと専門家たちが解説書みたいな本を書いたりしてくれている。だれでも読むことができる。だからかなり有利なのかもしれない。
たぬきは躁鬱人であるから継続力が無い。そして、たぬきはある程度のところで満足してしまうことから、さらに極めることが苦手である。
薄く広くってやつである。
それでいて、これまでは活動期にエネルギーを使い果たして潰れていたのである。
多かれ少なかれ躁鬱人はそんな特性を持っている。もったいない。
その弱点を克服させるため、継続力を延ばすために、なんだかんだ言ってやっぱり充電が大切だよね・・・と何章か前と同じ結論に至ってしまった。
同じ結論に至るということは結局すごく大事なことなのかもしれない。
そんなお話でした。
で。話は変わりまして。
たぬきは一章を書こうとしているときには一応6000文字を目安に書こうとしている。なんでそうしたのか忘れたけれど、たぬき自身が10分かからないで読める程度の分量・・・と考えたんだっけ?
たぬきは文章を読むのが遅いので6000字くらいなのである。
で、今、4000字くらい。ちょっと足りない。
なので、別のお話をちょっと書いてみる。
何も考えていない。別に躁鬱のお話でもないかもしれない。文字数合わせである。
何の話をしよう?
たぬきのお話でもしようか。
躁鬱たぬきは「運がない」などというレッテルを友人などから貼られている。なぜそういうことになってるのか?
たしかにたぬきは「人よりもちょっと」運がなかったり、劣る部分があるのかもしれない。でも、人より運があったり優れている部分も多分あるのだと思っている。あると願いたい。
ところが、「運がないたぬき」というレッテル。
これは「自己卑下力」の賜物だと考えている。
たぬきはシュールな笑いが好きだ。そして、人が笑ってくれるのも大好きである。だけれど、人をいじったりして笑わせるのは好きではない。
結果的に、自分のドジ話などを多くすることになる。
失敗談を隠すことなくみんなに話しちゃうのである。多分、みんなだって多かれ少なかれ失敗をすることがあるだろう。だけれど、積極的にそんなお話を人にすることは無い。
もし、それが仕事の場などであったら、自分の失敗の話は評価に影響するし、百害あって一利なし、である。
たぬきはこれをお笑いに帰られると信じちゃっているのである。だからみんなに話しちゃう。
これすなわち「自己卑下力」である。
一歩間違えば「自己肯定感が低い」と言えなくもない。でもちょっと違うかもしれない。
鬱期のたぬきはご多分に漏れず自己否定感がめちゃくちゃ低い。アレをやったら失敗した、コレをやったら不快な目で見られた、ソレでは遅刻して怒られた・・・などなど枚挙にいとまがない。ただでさえ鬱期は思考力もやる気も落ちているから体を動かすことすら億劫である。躁期は動きすぎて失敗をするが、鬱期は動かな過ぎて失敗する。それに自己肯定感の低さが相まって凹むのである。
まあ、躁期は躁期で多動のなかに常に失敗を恐れている部分があって、一つの失敗をきっかけに鬱のどん底に落ちる可能性を常に秘めているので、自己肯定感の高い低い以外はそんな状況は変わっていないのではあるが。
でも、自己卑下力はそれを笑いに変えようという試みである。
そう考えるとちょっとカッコイイ!
「いやー、庭の草を引き抜こうとしたら肋骨折れちゃって!テヘペロ!」
「街を歩いているだけで、変なおじさんに説教された・・・!エへへ!」
「はじめての野天風呂に裸で入っていたら、次に来た人は服を着ていた!ガーン!」
「海水浴の帰り、海のトイレで着替えていたらズボンをトイレに流された!アチャー!」
「裸眼で温水プールに行ったら出口が分からなくなってプール内で遭難した!ニヤリ!」
といった具合にたぬきの人生は失敗ばかりである。(※今、自己卑下力を発揮しているだけであって、年がら年中こんなことが起こるわけでは無いですよ。念のため。)
こんなことが鬱期に立て続けに起こったら、自分はなんて運のないやつだ。運も無ければ実力も無い。自分はダメなたぬきだ。最悪だ。生きている意味がない。なんで生きてるんだろう。生きてる意味ってなんだろう。
などと最悪なパターンに陥ることだって否定できない。
だけれど、こんなちょっと自己肯定感の低い時でも、自己卑下力をもってして、笑いに帰れば救われる部分があるのかもしれない。
多分、たぬきは救われている。
たぬきは自分に降りかかってきた不幸(のうちソフトなもの)は「やった!!これまたみんなに話そうっと♪」とふつうに考える。
そして「運よく」たぬきは自分に降りかかってきている不幸はソフトなものばかりだと思っている。他人から見たらもしかしたら、あれだけ不運続きなのに、よく耐えてられるなってレベルで実は自己肯定感が高いとも見ようによっては捉えられるんじゃないか。
ただ、来たる(かもしれない)自分の力ではどうしようもない不運などには漠然とした不安があって、たぬきはいつもそれに恐怖している。
その部分は人には話さない。
たぬきが持っている闇部分である。そうなると躁期、鬱期、だとか自己肯定感の高低、自己卑下力の有無と言うより、「闇落ち」がたぬきにとって最も危険なのかもしれない。
でも、(今は元気だから言えるけれど)それってどうしようもないことなんですよね。例えば明日大地震があるかもしれないのが心配だ、とか、戦争が起きるかもしれない、といった類のものはどんなに元気な人でも自分の力でどうこうするのはなかなか難しいことだから。
となるとそのあたりはみんながしているであろう「気にしない」ってことに落ち着くほかないのだとも思っている。
結局のところ自分の範囲の中でできることをするってことなのだろう。
それがたぬきの場合は「自己卑下力」の研鑽である。
プライドが高いと自分の失敗をあまり話したがらない。そんな人も多いのかもしれない。だけれどたぬきは自分の失敗談についてはなんのプライドももっていない。考えることは唯一、ネタになるかどうかである。
たぬきが持っている自己卑下力のお話。文字数が6000字に達しない、と言うだけで蛇足としてたぬき自身の話をしてみた。あまり役に立たないかもしれないけれど、こんな考えもあるんだ!と何かのヒントになればそれはそれでいい。たぬきはそう思っている。
ってことで毎回目標にしている文量に達したのでこの辺りにする。あんまり長くても読まないもんね。
ではでは今日はこのへんで。
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