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【ソウウツ通信】たぬきの学力と集中力と処世力【18】

 昨日はやたらと暑かった。暑かったので昼寝した。
 今日も暑いみたいである。こういう時は涼しい家の中でごろごろするのが一番である。たぬきが躁状態のいきおいで買った家は古民家だから夏、涼しい。その分、冬はめちゃんこ寒いけれど。ともあれ、暑い日は家にいてやり過ごすのが吉、だ。
 でもたぬきは畑をやっていて、さすがに伸びまくった雑草を見て見ぬ振りもできなくなってきた。なので日暮れぐらいの時間に草刈りに行くつもりである。
 たぬきは寒い地方に住んでいるから、5月中頃までは霜が降りる危険がある。なのに、自営業であんまり関係ないくせに、ゴールデンウィークの浮かれた気分にやられて、苗と種を買ってしまった。
 その後、最低気温が4℃とかの日が数日続いて気が気じゃなかったけれど、運よく霜が降りなかったのでとりあえず賭けには成功した感じである。ちなみに霜は4℃を下回ると降りる危険性が増すのである。
 と、最近はカゴを編んでみたり、畑に毎日通ってみたりすることにハマっている。ハマっていると言っても、毎年このくらいの季節になるとなんとなくアウトドアな趣味をやって見たくなる時期なのである。(寝たきりの年でない場合は。)
 このアウトドアをやってみたいシーズンは、アウトドア好きなたぬきにとってはある意味危険信号でもある。現在たぬきは軽躁状態だと自分の状況を判断しているが、やりたいことを詰めすぎているうちに、いつの間にか完全なる躁状態に突入してしまうことがある。その後はその反動で大きな鬱がやってくる。危険である。
 たぬきは暖かくなってきた最近、畑はやるし、裏山を散策して山菜を取ってみたり、蔓を集めてカゴを作ってみたり、7~8月で何年か前に国が配っていた10万円で買った原付で北海道に行ってみようかなとも思っている。
 海外にも行けるご時世になってきたから9月はリハビリを兼ねて何度も行っているタイにも行きたい。
 某国某所に山を持っている知人に熱烈アピールしてそこにブッシュクラフトで小屋を建てさせてもらう許可も得た。これは「(仮)5000円~10万円で作る 小さな小屋の作り方」みたいなタイトルで【ソウウツ通信】みたいな感じの連載形式でその過程を書いていこうとも思っている。
 ちょっと詰め込み過ぎな気もする。
 当然、たぬきは自営業デス!!と言っているので、これにお仕事だって加わるわけである。北海道とかタイとか小屋作りなんて数日で終わる行程なんかではないのである。短くて1~2週間だ。その分、仕事は空いている日程に詰め込まなくてはいけない。なのに全然やる気がない。やる気を出したら躁鬱が悪化する気もして怖くて頑張る気にもなっていない。
 今年いっぱいから来年いっぱいにかけてちょっと大きめな仕事をする可能性も出てきている。
 大丈夫か!??躁鬱たぬきよ・・・。
 とりあえず、5~12月は畑をちょろちょろやって、その合間の5~6月で小屋を作って、その合間の7~8月で北海道に行き、その合間の9~10月でタイに行く。さらにその合間に仕事を続ける・・・。こんな感じのスケジュール感を考えている。
 一応、こちらで文章を書くことも続けようとしている。最近、早朝覚醒がひどいから早朝を使って書いているのである。テンションの高さは文章にも表れると思う。ただでさえたぬきの文章は支離滅裂、話題があっちに行ったり、こっちに行ったり、関係するようであまり関係ない話をだらだらしたりだが、それが悪化して、躁だな、こりゃ!!と思われる文体になってるかもしれない。そういうのを発見したら、コメントで知らせてほしいと思っている。一応予防線を張っておく。自分でも分からない場合があるから、読者のみなさまにもお助けを願いたい。
 ちなみに、鬱になったら記事を書かなくなると思うので、こちらの場合は自覚しているので大丈夫だと思っている。
 そんなたぬきの小学生から大学生を経て、地方公務員になり、やめて設計事務所をすごい勢いで通過して自営業になった流れを表題のタイトル目線でちょっと書いていこうと思うのが、今回のテーマだ。
 たぬきは早生まれだったので小学校低学年の時の学力は大変劣っていた。集中力はそこそこあった。処世術はあまり身についていなかった。たぬきが小学生くらいの時は、授業中、教室内をぐるぐる歩き回る子がいたのだが、そういう子ではなかった。今ではADHDと言われたりするのだろう。
 一応45分間、椅子に座っていることはできた。
 新しいことをどんどん知れる学校は楽しかったし、知識を吸収するのはすごく気持ちがよかったので、5年生くらいになるといわゆる「出来る子」になっていたのである。処世術も身に着いた。割とクラスの中心人物として児童会に所属したり、委員長になったりしていたのである。
 この頃になると塾へ通い出す友達がちらほら現れる。でも、たぬきは授業を聞いているだけでテストの点はいつも良かったし、家では勉強なんてしなくていいので、いつもその辺の荒野で秘密基地を作ったりして遊びまくっていたのである。
 と言うことで、小学生の時の終わりのころには学力、集中力、処世力がそこそこ備わっている状態であったのである。
 その状態でたぬきは中学生になり、集中力を失った。理由は良く分からない。勉強の他に色々興味が出て、集中して勉強した後で好きなことをすればいいのに、勉強の合間に手を出してしまうことが増えたのである。
 当然、効率が悪い。1~2時間勉強すればいい内容を4時間も5時間も勉強机に向かって学力を維持したのである。
 なので学力は順位的に常に一桁代だったけれど、ギリギリである。ギリギリで田舎によくある進学校の高校に行くことができた。
 そこで学力を失った。
 今度は全然勉強すらしなくなったのである。たぬきは当時は「汚い、危ない、パッとしない」の代表的運動部であった山岳部に入っていた。時には授業を休んで2泊とか3泊の登山に出掛けることもあったのだ。
 定期テストの前日まで山にいる・・・ってこともあった。そんなんで学力を維持することが出来るわけない。
 結果的に残ったのは処世力だけであった。処世力はなぜか維持し続けられたので、高校生活は楽しかったし、充実していた。
 この感じで大学生活も続くのである。
 そして、社会人。地方公務員の建築職である。
 処世力をここで失う。職場でいじめられたのがトラウマになり、もともとシャイだった性格が露呈し、人とのコミュニケーションが怖くてしようが無くなったのである。
 なので、現在のたぬきは学力も集中力も処世力も無い状態なのである。
 それでも順番を付けてみるに、①学力、②集中力、③処世力・・・と言ったところだろうか。
 ①の学力は別にとびぬけて勉強ができるとか、発想力が豊かだとか、革新的なアイデアが浮かぶわけでは無い。でも、例えばたぬきはヒマだと資格を勉強する癖があるのだが、宅建士だとかFPだとか建築士だとかは普通に勉強したら受かったので、阿呆なわけでもなさそうである。
 ②の集中力は大変ムラがある。ムラがあるからこそ、中学時代、抜群の集中力の「無さ」を発揮できたと思うのだけれど、好きなことに関しては心身をすり減らしてでもやっちゃったりする。だから、これから始まる畑、北海道、タイ、小屋作り・・・の流れは危険なのである。
 で③。処世力。これが全然ない。いつも損ばかりしている気がしている。ここはプライドを捨ててへりくだれば後々メリットになるだろう、ってところで妙なプライドを見せたり、ここはもう少し頑張ろうよ!ってところでヘラヘラしたりしている。大体が逆である。
 自営業をやっているので、営業的にいろいろな店主や経営者に会ったりして業務内容の知名度も高めなくてはいけないはずだ。でも、それが大の苦手で、おしゃれっぽいイメージのあるお店には一人ではなかなかいけないし、頑張って行ったとしても店主に声をかけるのはドキドキである。
 自営業としては致命的に、圧倒的に、涙がちょちょ切れるくらい処世術が身についていないのである。ヤなことからは逃げるようにしているし。
 それでも現在なんとか食っていけてるのは奇跡と言っていいだろう。運、けっこういいのかなあ?
 で、そうそう。この学力、集中力、処世力は全然相関しないとたぬきは考えているのだ。それぞれ関連性が無い。勉強できてもコミュ力が無い人は大勢いるし、職人さんや作家さんみたいに抜群の集中力がある人もいる。なんも出来ないのに処世力があってみんなに好かれている人だってみんなの周りにはいるはずである。
 たぬきは鬱状態の時は必ず、学力も集中力もいらないから処世力だけ優れている人間だったら良かったのに・・・といつも考える。
 処世力が欲しい。とにかく欲しい。処世力があれば人生のらりくらりと楽しく暮らして行けるのではないか。そんなことばかり考えている。
 処世力があるということは人生、なんとかなるっしょ!という楽観視と言うかプラス思考というかそんなのも備わっているイメージがあるのである。
 では処世力ってどうしたら身につくのだろう。学力はなんとなく努力で身につくことができそうな気がしている。集中力はちょっと難しい。でも、気を散らさない環境に身を置くことで少し調整はできそうだ。
 一方処世力は結論的に、鍛える事ってできないんじゃないか?とたぬきは思っている。学力、集中力はイメージ的に1~2年で改善できるような気がしているが、処世力はこれまでの人生で培ってきた能力、つまり数十年単位で身についていくものの気がしている。
 たぬきは、ドラえもんが好きである。ドラえもんから発展して、藤子不二雄両氏も好きだ。
 藤子不二雄はF氏とA氏二人を指すが、処世力があるのはA氏だと言われている。それは、二人で漫画家をやっていた時に、F氏が誰ともコミュニケーションを取らなかったので、結果的にA氏が打ち合わせをしたりパーティに参加したりすることを続けていたらいつの間にか、人と会話するのが得意になり、コミュニケーション力が身に着いたのだという。
 A氏も幼少期は引っ込み思案でシャイな性格であった。それが何十年もかけてコミュ力を身に着けたのである。
 イメージ的にはこのくらいの年月がかかると思っている。
 と、言っても時間がかかるからコミュ力を磨くのはあきらめよう、と考える必要はない。
 なので、たぬきも営業の大切さは知っているから、数ヶ月に1度でもいいから、調子のよい時に経営者とか店主に会うようにしている。所詮、このくらいのペースしかたぬきには無理だが、苦手だからと何年も人に会わないってことをしていたら本当に処世力が地に落ちてしまう。低空飛行でも維持する、という意味でもたぬきは皆無な処世力を磨いてはいるのである。諸勢力がたとえ鍛えずらい筋肉だったとしても基礎体力を維持するくらいのつもりで。
 躁鬱人は得てして処世力が無い人が多いのではないかと、たぬきは考えている。言わば生き方下手。学力とか集中力はひとそれぞれだろうが、処世力に関しては、みんなあまりなさそうな印象である。
 だって、あれば躁鬱病が発現することなんてなかったと思うからである。処世力があったら多分のらりくらりと受け流して、社会の波にうまく乗れていたはずである。
 では処世力を持たずして生きていかねばならない躁鬱人が社会で生きていくにはどうしたらいいのだろうか。あきらめるしかないのだろうか?
 たぬきは苦手なものとして自覚はしているけれど、あきらめてはいない。
 たぬきは処世力の基礎体力を維持することには努めているが、鍛えることはあまりしていない。鍛えたとしても努力の成果が表れるのは数十年後だし、何より苦手なものを努力し続けるのは苦痛である。最近の言葉で言ったらコスパやタイパが悪い。
 さすがに世捨て人レベルまで処世力を落としては、なにかと不都合が起こりそうな予感がするから(世捨て人になるのなら別にして)維持している程度である。
 それよりも、好きなことや得意なことを伸ばした方がいいのではないかと、たぬきは考えているのである。
 さきほど、学力、集中力、処世力の相関は無い!・・・と言ったが、それぞれカバーすることはできるはずである。集中力を上げればそれに関係して処世力もアップする・・・などは無いかもしれないが、得意である集中力を上げることで、社会に自分の居場所を作る・・・そんな感じである。
 今回のテーマとしてパッと思いついた学力、集中力、処世力の3つの"力"について書いてみたが、別にそれぞれの人が身に着けている"力"はこれだけではない。それぞれの人が得意な分野があるだろう。
 ただ、色んな"力"の中で、処世力があればたぬきはのらりくらりと社会を渡り歩いて行けるんじゃないかと考えている節があるので、そこを掘り下げて考えてみたに過ぎない。
 人は社会的動物であるから、生きていくということは社会の中に自分が快適に過ごせる居場所を作るってことに同義だとも考えられる。その居場所を作るために、それぞれの人が持ち合わせた"力"を掛け合わせていくのである。
 その中でも処世力が群を抜いて居場所を作るのに効果的!!・・・と言っているだけなのである。
 別に他の"力"を掛け合わせても社会に居場所を作れる。すなわち暮らしが快適になるはずだ。
 別に、どれかが他人より飛びぬけている必要はない。例えば100個の色々な"力"があったとして、その中に3つくらい人より秀でてるかなーと言うのがあれば、組み合わせ的に100C3で161,700通りになる。100個でこれである。1000個なら1600万通り、10000個ならもう地球上では自分一人しかない唯一無二の存在と言うことになる。
 たぬきは自分に処世力が無いことに大変凹んだりしている。
 だけれど考え方をこうやって変えて見れば、別に処世力がすべてではないような気もしているのである。
 今考えてみたことで恐縮なのだが、例えばたぬきの"力"の中で、平均より上だと思われる、料理(調理師、一応持ってる)、アウトドア(元・山岳部、キャンプ好き)、建築(一応、建築士)を組み合わせたらどうだろう。
 その辺の山を購入して、小屋を自ら建て、野外で食事が楽しめるキャンプ場とか作ったらみんなに喜んでもらえそうである。
 ちなみに、料理も、アウトドアも、建築も、抜群の力があるわけでは無い。イメージ的に平均よりちょーーーーーっとだけ上かな・・・ってレベルだと自覚している。
 それでもそれらを組み合わせるだけで地球上で唯一無二の存在になれちゃうのである。
 これは躁鬱人であろうとなかろうと誰でも何かしらの"力"を持っているはずだから組み合わせられ、唯一無二になれる素敵な方法だと考えている。
 たしかに、処世力があればそんな苦労はしなくてもいいのかもしれない。でも、そんな無いものねだりをしたって始まらないし、これからもっと楽しく生きてく上では、社会に居場所を作ること。マイナーな方法だろうと試してみることはしてもいいだろう。
 みんな社会に居場所を求めている。みんなに必要とされたいよね?ふつう。その方が人生楽しそうだよね?たぬきは尋ねる。
 たぬきは学力も集中力も処世力も社会人になってすべてを失った。だけれど悲観はしてない(鬱じゃないときは)。なので、他の"力"を使って社会の中でのらりくらりと生きていく方法を模索中なのである。
 みなさんも自分にどんな"力"があるのか考えてみたらどうだろうか。きっとそれらを組み合わせると、社会の中での居場所が見つかるかもしれない。自分だけの安心できる居場所を作ってみたら、躁鬱病も絶対改善すると思うのである。
 パッと考えると、自分には何もないと思うこともあるのかもしれないけれど、きっとみんな何かしら持っているはずである。それが今気づいていないだけだと思う。
 たぬきも、今回書いてみて、あ、キャンプ場とかやりたいな、と思えた。楽しそうである。楽しい暮らしができそうである。
 ってことで、今回はみんなが持ち合わせている"力"から世の中を楽しく生きるための考え方を書いてみた。
 お役に立てれば幸いである。
 さて、たぬきはこれから知人に草刈り機を借りに行って畑の草を刈らねばならない。ぼちぼち出かけてきます。行ってきます。頑張ります。
 ではでは。
 
 
 

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