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【ソウウツ通信】躁鬱たぬきはトンズラ力を鍛えたい。【16】

 たぬきは昨日、お好み焼きを食べた。近所のスーパーに行ったらキャベツが100円で売っていたからだ。
 家にかつお節も余っていたし、お好み焼きソースやマヨネーズもあった。
 実はおとといもお好み焼きだった。多分今日もお好み焼きである。
 キャベツがたくさん余っているから。
 お好み焼きは簡単で大変美味しい。たぬきは関西人ではないけれど、たまにお好み焼きを食べるとハマってしまう。
 たぬきはよく料理でハマることがある。同じものを永遠と食べ続けるのである。
 一例を挙げると、鶏ハムブーム、麻婆豆腐ブーム、エスニックカレーブーム、カチュンバルブーム、シャクシュカブーム、卯の花ブーム、筑前煮ブーム、油そばブーム、タレから作るラーメンブーム、ガパオブーム、野沢菜ブーム、千枚漬けブーム、梅干しブーム、スタミナ納豆ブーム、冷や汁ブームなどなどである。
 だいたいひと月続く。そしてスパイシーなのが好きだから最初はレシピ通り作っているのに、だんだんとトウガラシや胡椒の分量が増えてきて、そして飽きる。
 そんなことを繰り返している。
 たぶんお好み焼きはブームにならない。キャベツが無くなったら終わりだからである。このくらいがちょうどいい。お好み焼きは飽きないうちに作るのをやめることになりそうである。
 なんでも病的と言ったらそれまでかもしれないけれど、たぬきのこの行動はまあ「ハマり性」ってところだろう。別に病的ではない。
 なんなら病的にハマった方が極められるので、それが職業とかになったりするのかもしれない。だけれどたぬきは普通に飽きてしまう。たぬきの一族は昔から「器用貧乏な一族だ」と教えられてきた。
 たぶんたぬきも器用貧乏である。極めないのでそこそこなんでもできる感じで満足してしまうのだ。
 浅く、広くってやつである。
 これだけ職業が細分化された現代では浅く、広くはあんまり役に立たない。プロフェッショナルの方が需要がある。
 だけれど縄文人とかだったら暮らしに関して何でもできた方が重宝されたかもしれない。
 たぬきは衣食住全般に興味があるから、浅く広くが性に合っている気がしているのである。
 てな話をたぬきは延々と述べようとしたが、どこからか視線を感じ、ハッと我に返った。別に今回はお好み焼きの話から衣食住の話を展開しようとしたわけでは無いのである。アイドリングの雑談タイムである。
 たぬきは今回「トンズラ力」について書いてみたいと思っている。
 トンズラ力とは自分に害をなすヒト、モノ、コトから逃げる力のこととたぬきは定義している。
 「自分に害をなす」という大前提があるのだから、逃げ遅れれば当然、身体や精神に悪い影響を及ぼす。
 躁鬱人は感受性が豊かで優しいから、「それでも居た方が・・・」なんて空気を読んで危険地帯からなかなか離れない。すなわちトンズラ力がタイヘン弱い。
 たぬきもご多聞に漏れない。
 トンズラする場面にもいろいろある。なんならトンズラするところに突入するという不可解な行動をとる人もいる。怖いもの見たさと言うやつである。たぬきはまさにそれである。
 これは病気としての診断はないけれど、性格の傾向として指すものにHSPという言葉がある。感受性が豊かなヒトのことを言うらしい。
 その中でさらに細分化され、たぬきはどうやらHSS型HSPと言うやつである。好奇心旺盛なのに、感受性が豊かなので、自ら取った行動で自ら疲弊してしまう・・・という性格の傾向である。
 これは最もトンズラ力が無いとも言えそうである。
 だからたぬきはトンズラ力を鍛えたいのである。
 たぬきはトンズラ力を発揮できなかったエピソードに関しては枚挙にいとまがない。パッと思いつくだけ書いてみよう。
 たぬきはある時、タイに旅行に来ていた。当時のタイは軍がクーデターを起こすか起こさないかの微妙な情勢だったのである。だけれど、タイのクーデターは平和裏に行われることが常だったので大した危険は感じなかった。
 たぬきはいつものようにバンコクの繁華街の安宿で眠りに着こうとしていた。そんな時、外からお祭りのような音楽や声が聞こえてきたのである。
 そこまで危険は無いとしてもクーデター前夜。何が起こるか分からない情勢だったので、夜は外出するな!と外務省のサイトなどにも書いてあったと記憶している。
 そんな中、たぬきはピーーーン!と、急にスイッチが入って、その次の瞬間にはよだれを垂らしながら、深夜の繁華街をにぎやかな声がする方向へ走り出していた。
 近くの公園では何万人もの人が集まり、なにやら集会を開いていたのである。たぬきはよくわからず近づくと、読めない政治的なことが書かれているであろう旗をたくさんもらって、みんなと同じように座り込んだ。
 会場は異様な熱気に包まれていた。たぬきはドキドキしていた。なんだかわからない興奮に包まれていた。
 この時、無事にたぬきは帰ってきたから今があるのだが、帰国後、数日してタイは軍事クーデターが起き、軍事政権になったのである。
 こんなこともあった。
 学生時代、たぬきは仲の良い友人とインドに行こうということになった。
 ところが、あれこれ計画を立てていよいよチケットの予約をしようというタイミングで、テロ事件が起こった。たしかムンバイかなんかで列車爆破テロが起こったのである。かなりの大規模なテロであった。
 これで友人はインド行きを辞めた。でもたぬきは行ったのである。
 一つの地域で事件があったからって、国全体が危ないわけでは無い。日本だって毎日どこかで事件は起こっているじゃないか、と言うのがたぬきの論理だからである。
 だけれど、危険を察知、すなわちトンズラ力とはある意味臆病になることと同義だから、諦めること、逃げることも肝心である。逃げることも勇気だ。
 ところがたぬきは突入することに勇気を出してしまう。
 行かなきゃ、やらなきゃ安全だけれど、得られるものは何もない!とたぬきは思っている節があるからである。
 これは間違っていないはずだ。これはいい。新しい経験や知識を得ることは絶対間違っていない。だけれど、この一線を越えると危ない!・・・という力は身に付けなくてはいけないはずである。心身ともに影響を及ぼすし、最悪、死ぬ。
 たぬきは結局、一人でインドに行った。
 インドのバラナシにいるときに、駅で爆弾テロが起きて、ついでに行ったネパールではマオイストのゲリラに捕まったりした。あぶねー!
 行かなきゃこんな危険を味わうことは無かった。そういう意味では友人の「行かない」という選択肢は間違いではないだろう。だけれど、無事帰ってきたという意味ではたぬきの危険察知の力もあながち間違いではなく、「一線を越えていなかった」とも捉えられる。そういう意味ではこちらの選択肢も間違いとは言い切れない。
 どこで逃げるか。どの段階で逃げるか。
 決して一線を越えてはいけないのである。
 ところが、一線ぎりぎりでトンズラする!と決めてる人もいるし、もう五線くらいでトンズラすると決める人もいる。
 その答えがあっていたか否かはその事象が終わってからでないと分からない。トンズラ力を磨くというのは大変難しい。
 一線を越えたらヤバいし、逃げる必要も無い所であきらめたりしたら、新しい知見も経験も得られない。大変難しいのである。
 だから鍛えようという話なのである。
 このタイやインドの経験はどちらかといったら身体、怪我などの危険に関してのトンズラ力の話であった。でも、今書いているのは躁鬱人のトンズラ力についてである。逃げ遅れて心が疲弊しないようにする術の方に重点を置いていこう。
 たぬきはとにかく、「おっさん」に嫌われやすい体質である。何が気に食わないのか、だいたいおっさんに嫌われるし、なんならよく説教をされる。説教されるとムカつくから挑発するような態度をとっているという自覚はある。だからより説教が長くなる。
 たぬきは概してトンズラ力がない人間だけれど、おっさんに関してはトンズラ力の刃が長年の経験で研ぎ澄まされているので危ないおっさんからはなるべく逃げるようにしている。
 だけれど、次々に危険人物たるおっさんがたぬきの前に現れる。これ、なんで?たぬきは社会に害なすおっさんを捕まえる「おっさんホイホイ」なのだろうか?
 たぬきのおっさんに嫌われる能力は尋常じゃない。
 別に知り合いのおっさんに説教を喰らう・・・という話ならままあることだろう。たぬきは全然知らないおっさんに怒られ、恫喝され、説教されるのである。
 もうこれは多すぎるので、タイ、インドのエピソードみたいに長くしないで完結に書いてみよう。そして、その時、どうやって逃げるのが良かったのかの考察もしてみる。
 これは役所に勤め始めて数ヶ月のころ、役所の名札を付けて現場に行くために街を歩いていた。そこでおっさんに急に声を掛けられ、市政についての不満を数時間にわたって怒鳴られた。道行く人は不思議な顔でこちらを眺めていて大変いたたまれなかった。1年目のペーペーに数時間意見を言ったってどうすることもできないっちゅうねん。
 この場合は、適当な返事をしてその場を立ち去るのが良かったと思う。普通の市民の方の意見はちゃんと聞かなきゃいけないけれど、そのおっさんはかなり偏った人である。変人、危険人物である。その人の意見を聞いたとしたら他の市民に不利益になる。適当にあしらって逃げるが勝ち、だ。
 まだまだある。これはたぬきが学生だった頃である。
 平日とはいえ、講義が無かったのでたぬきは友人、後輩と何人かで朝風呂に入ろうと温泉に来ていた。そこに当該おっさんの登場である。
 湯船につかっていたら「若いもんが平日の真昼間に温泉なんか来るんじゃねー!」と説教をし出した。たぬきは「貴重なご意見だ」なんてその時思ったのかは覚えていなかったが、そのおっさんの話を真っ当に聞いてあげた。
 なぜなら他の友人、後輩はさっさと逃げたからである。たぬきだけが捕まった。
 温泉はかなり熱い部類の温泉であった。たぬきはそんな湯船につかりながら、出ることも出来ずに何分もそのおっさんの説教を聞いて「あげた」のである。
 たぬき・・・いや、躁鬱人は自分が傷つくよりも他人が傷つくことを優先的に気にする傾向があるようだ。これを世に言う「優しすぎる」と表現されたりもするが、こんな場合、自分の心身を傷つけられるくらいなら、さっさと逃げるのが正解である。
 だけれど、たぬきは説教を無視してさっさとその場を立ち去るのは申し訳ない・・・おっさんが嫌な思いになるのはかわいそうだ・・・なんて思っちゃって話を聞いてあげちゃうのである。
 別に自分に害をなさない人ならばそんな考えもありだろう。事は違う。自分に攻撃してくる人物である。ふつうの人なら自分に害をなす人間なんかに情のひとかけらも与えないのが当たり前の様である。
 これもたぬきのトンズラ力が足りない一例と言えるだろう。
 その他にも、たまたま進む道がずっと同じだった前方車両が急ブレーキして停まり、おっさんが飛び出てきて「ついてくんじゃねー!!」とたぬきのドアを蹴飛ばし、窓を殴ってきたというエピソードや、これまた温泉での話だけれど、自分より前に入っていた人が脱衣所をビシャビシャにして出て行って、自分よりあとに入ってきたおっさんに自分が叱られたり、本当に「おっさん運」がないのである。
 なので、たぬきはおっさんをみたらとりあえず逃げることにしているし、なるべく関わらないようにしている。まあ、そうは言っても田舎の一軒家に住んでいるので、地域とのつながりがあるので、おっさんすべてを拒否しているわけでは無い。それでも一度話をしたりしてみて変なおっさんだったら、以降関わらないようにしているのである。
 そういう意味では過去に何度も失敗してきた分、こと、おっさんに関してのトンズラ力をたぬきは持っていると言えなくもない。
 ただ、おっさんに関してだけである。
 躁鬱人は外部のストレスにタイヘン弱い。たぬきも躁鬱人であるから外からのストレスはなるべく減らしたいと思っている。
 おっさんだけにトンズラ力を発揮しても、他の心身ともに攻撃してくるものに対してのトンズラ力はまだまだ皆無だと言っていい。
 だからたぬきは時々疲弊をして鬱状態におちいり、寝込んでしまうのである。
 さて、どうやったらトンズラ力を鍛えられるのだろうか。経験がものを言う場合もある。たぬきの数々のヘンなおっさんに出会ったことによって身に着けたトンズラ力というのもあるだろう。
 だけれどそれで毎回、寝込んでいたのでは体がもたないし、時間もけっこうもったいない。
 事前に危険を察知する能力、危機回避をする能力を持っているのが一番いいはずである。また、逃げようと思えば逃げられる環境に身を置くように努力するというのも一手だ。
 たぬきは後者については努力してきた。
 一軒家を買ってしまった件についてはちょっとアレだけれど、勤め人を辞めたので、回避不能な苦手な人間と付き合う場面は大幅に減ったし、これ違法でしょ・・・って仕事を回されて責任を取らされる、みたいな業務もやらなくてよくなった。
 環境を変える。これはトンズラ力を身に着ける一つの方法である。これは運とかでなくすぐ実行に移せるので、したたかに、確実に、自分にとって快適な環境を作って行くことが出来るのである。
 たぬきは極論に至ると人間自体と付き合うこと自体がストレスになることもある。これが本当に長く続くようならたぬきは古民家を売っぱらって山にでも小屋を作って仙人みたいな暮らしをしようと思っている。
 今、逃げるわけでは無いけれど、将来展望というか、非常口を調べておくというか、事前に逃げ道を考えておくというのもトンズラ力の一つと言える。
 一方、前者にたいしてはたぬきは非常に弱い。危険察知や危機回避能力が著しく弱い。
 いや、弱いというか好奇心の方が勝ってしまい、あえて危険に突入していくきらいがある。
 これはHSS型HSPの特徴とも言えるからなんともしがたいのだけれど、こちらが鍛えられれば、より快適な暮らしを営めそうな気がしているのだ。
 「怪しいものには近づかない」トンズラ力を身に着けるのにはこれに尽きると言ってもいいだろう。
 もしくは自分の中で一線を作り、これ以上は手を出さない、というのも良いかもしれない。
 たぬきも一応一線を持っている。インドの例の通り、テロがあったとしても、インド全土が危険な状態ではないのだから大丈夫だ、という考え方である。たぬきだってさすがに紛争地帯には行かない。もし、インド全土が内乱みたいになっていたらたぬきも訪印なんてしなかったと思っている。
 一線の線引きをどこにするかと言うのは、人それぞれだから別に問題ではない。
 大事なのはその一線ぎりぎりのところが、自分にとって「心身ともにやられる」場所なのか否かである。
 これは好奇心との戦いになるし、得られる経験も知識も危険地帯に足を踏み入れるほど大きくなるから難しいのだが、こと、心身をやられない、という基準で考えるならば、退くのも勇気である。
 好奇心が勝るところを自分の一線にしないようにして、好奇心の方が勝っているけれど、これ以上は心身にダメージが来る・・・と言うところを一線とする手法だ。
 トンズラ力を鍛えるというのはそういうことかもしれない。
 また、その時の元気度で一線を動かすのだっていい。その時々で好奇心優先の一線でもいいし、心身を守るための一線でもいいはずだ。
 別に自分ルールなのである。どう解釈してもいい。
 フレキシブルに運用することによって、柔軟性のあるトンズラ力が身につくかもしれない。
 「嫌なことから逃げる」。これは当たり前のことである。嫌なことから逃げて努力しない、とマイナスに捉えられることもあるけれど、躁鬱人は概して「頑張っている」方である。ただでさえ頑張っているのだから、ちょっとくらいトンズラするのに負い目を感じなくてもいいだろう。
 むしろ、率先して逃げるくらいが躁鬱人にはちょうどいいような気もしている。
 それでも社会の中で生きているわけだから「嫌なことから逃げる」という環境に今はないという場合もあるだろう。
 それは例えば会社を辞めて自営業するだとか、農家になるだとか、なんなら山に籠って仙人になるだとか、分からないけれど、嫌な知人との付き合いをやめるとかそういう環境を少しづつ変化させていけばいいと思う。
 たぬきはトンズラ力を鍛えたいのである。まだまだ道半ばであるが、嫌なことからは率先して逃げたいのである。
 逃げるのは別に悪いことじゃない。むしろ楽しく暮らすための知恵である。
 元来、嫌なことから逃げる、嫌なことを嫌じゃ無くすことによって人は何かを学んで進化してきたのではないだろうか。これは「好きなことをする」と同じくらい大事なことであるし、人間の本来持ち合わせている欲望の双璧をなすものと考えられなくもない。
 逃げることは大事である。たぬきも自分に言い聞かせよう。
 躁鬱人のみなさんもトンズラ力を鍛えてより快適な暮らしを送ってもらえたらと思っている。
 一緒にがんばりましょう!
 たぬきはポンとお腹を叩いて見せた。
 今回はそんな感じである。
 ではでは。

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