はじめての入院、そして手術(僕が失明するまでの記憶 10)

 夏休みになってまだ間もない1986年7月23日、生まれて初めての入院生活が始まった。病院へ行く途中、バス停の近くにあった電気屋で母が小さなラジオを買ってくれた。退屈しないようにとの気遣いだったが、ラジオを聴く習慣がなかったので、ほとんど使わなかった。

 申し訳ないとは思うけれど、親元を離れての生活には全く寂しさを感じなかった。眼科の一般病棟に入院している子供は珍しかったので、周囲の大人たちが親切にしてくれた。同室の患者さんたちは本物の父親以上に父親らしく寛大で、好奇心旺盛な僕に知らないことをたくさん教えてくれた。英語の筆記体を覚えたのもこの頃だった。看護婦さんたちも子供の患者を気にかけ、折を見てはトランプを持ってきてくれたり、何かの空き箱や折り紙でおもちゃを作ってくれたりした。当時の僕はそれまで大人の女の人をまとめて「おばちゃん」と呼んでいたが、若い女の人には「お姉ちゃん」と言った方がいいことをはじめて学んだ。

 治療にはそれなりの痛みや苦しみが伴ったものの、行き詰まっていた学校での生活を思えば、総じて穏やかな時間だった。

 入院して一週間も経たないうちに手術が行われたが、結果ははかばかしくなかった。当院ではこれ以上の治療が難しいとのことで、主治医に勧められるまま神戸の病院に転院することになった。転院先としていくつか候補を挙げられ、東京や九州の病院もあったが、最も近いところにあるという理由で両親が決めた。8月22日に退院し、家でゆっくりする間もなくその翌日に神戸の病院へ移った。