星空の秘密

 掃除当番だった良太は昼休み、教室のゴミを一まとめにし、中庭にあるゴミ捨て場へ捨てに行きました。

 小屋の古い木戸を開け、ゴミ袋を奥へ放り投げると、どさりという音がするより前に、背を向けて駆け出しました。ゴミ捨て場はいつも鼻を衝く強烈な臭いがするからです。

 花壇のところまで来ると、良太はようやく走るのを止め、ゆっくりと歩きだしました。ちょうど一息ついたそのとき、目の前に蝶がふわふわ浮いているのを見つけました。四枚の羽根が目を引くほどに黒く、それでいて日の光を浴びると、赤やら青やら黄色やら、いろいろな色に変化するのでした。

 「こんな不思議な色のは、はじめてだ」

 良太は蝶を捕まえようと手を伸ばしました。でもうまく行きません。ゆらゆらと良太の動きを交わしては、まるで何かを指し示すように良太から遠ざかって行こうとするのでした。

 良太は意地になって、夢中で蝶を追いかけました。それでも蝶は捕まりません。あと少しというところで、するりと良太の追跡をかすめ、どこかへ向かって飛び続けて行きます。

 「そろそろ教室に戻らなくちゃ」

 ふと我に返った瞬間、周囲の景色がすっかり変っていることに気づきました。

 良太は一面に花々の咲き誇る平原の真ん中に立っていました。

 蝶は、花の中に隠れて見えなくなりました。近づいて観察すると、他にもたくさんの蝶がいるようでした。どの蝶も、どの花も、見たことのない色や形をしていて、一つとして同じものはありません。それでも、探している蝶を見つけることは、とうとう出来ませんでした。

 「空を見上げてごらん」

 聞き覚えのない、でも懐かしい声が、どこからともなく聞こえてきました。良太はその声に促されるように、天空を仰ぎました。ついさっきまで真昼の青空だったはずなのに、いつの間にか、無数の星々がひしめく夜空になっていました。闇に溶ける光の影を見ていると、体がどんどん透明になって、どこまでも吸い込まれていく気がしました。

 「死んだらみんな星になるんだ。星の数だけ過去を生きた命があり、すべてが他とは違う色で輝く。だから、いつだって星空は美しいんだ」

 良太の目から涙が零れました。一昨日から高熱でうなされている弟のことを思い出したからです。往診に来たお医者さまと悲しげなお母様の様子から、もう弟は助からないのではないかと思っていたのです。

 「本当に大切なことは、誰にも言っちゃダメなんだ。ずっと心の中にしまっておいて、どうしてもつらくなったときにだけ思い出すんだ」

 そう言って手に何かを握らせたのは、タヌキでした。茶色くて、垂れ目のタヌキが、ふさふさの長い尻尾を揺らしながら、良太を見つめていました。

 手のひらを開くと、団栗みたいな木の実が二つ乗っかっていました。

 「いいかい、このうちの一つを誰にも見つからないところに埋めるんだ。そしてもう一つは、いつでも取り出せるように、でも誰にも見つからないように、大事にしまっておくんだ。そうすればどんな願いだって叶う。簡単そうだけど、難しいよ。それを君はたった一人でやり通さなくちゃならない。できるかい?」

 他のものなんて何もいらない。今はただ、弟の病気が治ってくれさえすれば。

 そう願って、ぎゅっと木の実を握りしめると、目の前の景色がものすごい速さで明滅し、目を開けていられなくなりました。

 しばらくして再び目を開けると、元通りの世界に戻っていました。校庭では残りわずかの昼休みを惜しむ子供たちが、思い思いに遊んでいます。

 タヌキはどこにもいません。その代わりに、白い、ありふれた紋白蝶が、頼りなげに宙を舞っていました。

 「どんなにありふれたモンシロチョウだって、宇宙でたった一つきりのモンシロチョウなんだ」

 良太がもう一度手のひらに力を込めたとき、担任の先生が血相を変えて良太の方へ駆け寄ってきました。

 「今お母様から連絡があった。弟さんの容態がよくないそうだから、早く帰れ」

 良太は落ち着いていました。ああ、本当ならもっと取り乱してもいいはずなのに、どうしてこんなにも穏やかでいられるのだろう。

 「大丈夫、きっと。いや、絶対に」

 静かに頷く良太の背後の空に、見えない真昼の星が瞬きました。