試合終了(僕が失明するまでの記憶 26)

 9月8日、東京ドームでは有償へのマジックを1とした巨人がスワローズと対戦していた。序盤こそ巨人がリードしていたが、スワローズが粘りを見せ試合は延長戦に突入していた。2対2で迎えた延長10回裏、スワローズの若手ホープ・川崎憲次郎投手に対して悠然とバッターボックスで構えるのは背番号「7」の男だった。

 吉村は2年前の7月、札幌で行われたデイゲームで右中間の飛球を追いかけた際、センターの選手と交錯し、致命的な大けがを負った。左ひざ靭帯損傷。選手生命はおろか、普通の生活を送るだけでも重度の障害と認定されるほどの負傷だった。もしあのけががなければと、野球ファンの誰もが吉村の惨事を痛み、失われたキャリアを悲しんだ。しかし、天性のセンスと不屈の努力、周囲の支援、ファンの後押しが吉村を再びグラウンドへ連れ戻した。

 復帰後のひたむきなプレイはファンに感動を与えた。しかし、けがをする以前の才気あふれる面影はない。痛々しくてもう見ていられないという人も少なからずいただろう。でも、だからこそ、そんな選手にファンは皆淡い夢を託した。「ここで決めてくれ、ホームランで」と。現実にそんなことが起こるはずもないとどこかで自制しながら。

 信じるような、祈るような視線を全方位から浴びる中、吉村は渾身の力でバットを振りぬいた。快音を響かせた打球はファンの思いを乗せ、一直線にオレンジ色で埋め尽くされたライトスタンドに吸い込まれていく。うなだれるピッチャー。幻想が現実に代わり、怒号とも悲鳴ともつかぬ歓喜の声が球場にこだまし、試合終了。シーズン最速での優勝が決まった瞬間、あまりにも劇的な幕切れに、球場の興奮は頂点を迎えた。

 僕はもちろんこの試合を見ていない。病室のベッドの上で一人、方耳にイヤホンを刺してラジオ中継を聞いていただけだ。それなのに、ライトスタンドに突き刺さる球の弾道、沸き立つ東京ドームの観客、喜びを爆発させる選手たち、ゆっくりとダイヤモンドを回る吉村選手の姿を、まさにこの目で見たかのごとく脳裏に思い浮かべることができた。

 でも、僕の網膜が映像を映し出すことは、もうなかった。最期の手術を終え、視力は永遠に失われてしまったからだ。