想像の翼(僕が失明するまでの記憶 5)

 競争社会華やかかりし時代とはいえ、そこは昭和の小さな田舎町だった。両親とも実生活で忙しすぎたこともあってか、就学前の幼少期は教育とは無縁の生活を送っていた。塾や習い事はおろか、家で親に何かを教えてもらったことも、物語を読み聞かせしてもらったこともない。あるいは兄の世話に掛かりきりになって、僕については放任せざるを得なかったのかも知れない。そう書くとさぞ寂しい幼少時代を過ごしたものと思われそうであるが、当人としてはいたって気楽なもので、寂しさを募らせるどころか、誰に指図されることなく自由に過ごせる時間を楽しんでいた。子供のためにと当てが割れたおもちゃで遊び、ささやかな本のコレクション(絵本や物語は一冊もなかった)をあさり、テレビを見るなどして世界について一人で学んだ。兄が入学祝いか何かでもらった(でも使われた形跡のない)漢字辞典を隅々まで読みつくしたおかげで、小学校に入学するまでの間に基礎的な漢字の読み書きを一通り身に着けてしまっていた。
 漢字辞典のほかに当時熱心に読んでいたのは、子供向けのカラー図鑑10巻セットだった。「宇宙」や「昆虫」も捨てがたいが、中でも「人の体」は特別のお気に入りで、ページが外れるほど繰り返し読み、暇があれば裏が白紙のチラシに人体解剖図を模写しては、内臓の働きや血液の循環に想いを馳せた。
 知的好奇心の赴くまま、ただ好きでやっていただけだったが、両親はともに中学までしか出ておらず、学業や教養にはまるで縁のない人達だったので、どうしてこんな子が生まれたのかと不思議がられていた。
 両親は僕を「手のかからない子」として重宝していた。僕は僕で、おとなしくしている限りは余計な口出しをされずに済んだので、お互いにとって好都合だった。知識を吸収し、宇宙や人体について想像の翼を広げられる時間があれば、それで十分満足だった。