続・家族について(僕が失明するまでの記憶 4)

 兄の障害のことだけでも典型的な家族から逸脱するには十分だったが、さらに重大な要因がもう一つあった。
 僕の家はK会という新興宗教に入信していた。熱心な信者というわけではなかったが、父方の親族が会員だったため、半ば成り行きでその一員に加わっていた。不自然に巨大な仏壇がただでさえ狭い家のスペースを占有していて、父が仕事に行く際にその前でおざなりの呪文らしきものをぶつぶつ唱える以外は無用の長物だった。インテリアとしても明らかに部屋の調和を乱していたので、場所替えや規模縮小の提案を僕は何度か試みた。しかし、当然ながら聞き入れられることはなかった。
 「人は人、うちはうち」というのが母の口癖だったが、我が家でクリスマスや初詣、七五三といった典型的な家庭行事が一切執り行われなかったのは、どうやらその教団に属しているためらしかった。幼い頃は「座談会」と呼ばれる会員の集まりに訳も分からぬままに連行されていたが、物心がついて以後はきっぱり会の活動とのかかわりを断った。集まりに対して抱いていた漠然とした違和感は、ときとともに明確な不信感、やがては露骨な嫌悪感に変わった。
 会を拒否する僕に対して親達は説得を試みたり、不真面目さを叱責したり、ときには哀れっぽく希われたりもしたが、何を言われても譲らなかった。やがて親達も諦め、僕にはK会の話をしなくなったが、その代わりに僕と家族との間には超えられぬ透明な壁が築かれていった。
 その後、その会に限らず、子ども会とか自治会とか児童会とか、「会」と名の付くありとあらゆる活動に生理的な拒否感を抱くようになった。集団や組織に頼るのでなく、自分の力で生き抜くのだと子供ながらに覚悟を決めた。でも、ときどきふと、心の奥に押し込めた感情が沸き上がり、置かれた境遇を恨めしく思うこともあった。
 「兄に障害などなかったら。家がおかしな宗教に毒されていなければ。生まれたのがもっと普通の家だったら。」
 あるいは、自分が本当にこの家族の一員なのか、何かの間違いでたまたま居合わせた他人同士なのではないかと本気で悩み、またそうであってほしいと心のどこかで願いもしたが、足の小指の形とか襟足の髪の生え方とか、身体のほんの些細な特徴に親との宿命的な血縁が刻み込まれていることに気付かされ、愕然とするのだった。