見出し画像

暮明

「人間なんて、結局死ぬんだからそんな考え込まなくてもいいんじゃない?」
そう言ったのは、関係も古くなった友人だ。いつも暗い発言はせず、落ち込んでいる印象はない。ちょうど私には色々なことが降りかかり、平常心が揺らいでいるタイミングで久しぶりにご飯を食べに行った。
今までの私は、なぜか自分の許容ギリギリくらいまでお酒を飲むように振る舞っていたがその日はセーブした。正直言ってお酒はそんなに得意じゃない。好きなお酒は限られるし、そもそもそんなに多く飲めない。
なのに、自分のキャラクターを守るために、いつも飲みすぎてしまう。珍しく飲まなかったのか、それとも初めて本音で接することができたのか自分でもわからないが、その日はビールとハイボールを1杯ずつ。その後は烏龍茶を飲んでいた。

友人は飽きっぽい性格をしている。ちょっと期間があくといつも「転職したいんだよね」と言っているイメージで、知らない間に違う仕事をしている。その実行力を羨ましく思う。

私はいつも頭の中にアイデアが溢れるが、実行する前に必要な力を査定し、自分に出来ることなのか、誰かから協力を求めるものなのか、どれくらいの人が必要なのかなど様々な事を考えているうちに、実行するための設計図はできるが実行できないで終わる。人を動かすための労力や自分の能力から諦めることがほとんどだ。そのアイデアの欠片を他人に話すことはある。だが、私が思いつくアイデアの殆どは最初の一歩目で「不可能だ」「前例がない」と言われて終わる。本当に人生が面白くない。「もうじゃあ自分でやる!」って思うこともあるが、自分の力だけじゃどうにもできないことに気づき諦める。

それはそうだ。私のアイデアには「安全策」がない。サラリーマンをやっている現状、会社にいる人達はみんな「安全策」を求める。当たり前だ。社会人として正しい判断だと思う。それでも私の頭は「それじゃあ面白くない」という言葉が溢れ出てくる。どうしたらいいんだと閉塞感でいっぱいになり、いつも考えないようにゲームや音楽に触れて、気持ちを紛らしている。

「もう、こうなったら自己分析でもしてみよう」とMBTIをやった。大学生以来久しぶりにやった。確か大学生の頃は自分に無意識に嘘をついて、自分の理想になるようにMBTIをやったので、本当の自分が出てないはずだ。そのときのMBTIはENFP(運動家)だった。

今受けてみたら「ENTP(討論者)」だった。ほとんど字面が変わらないが、FではなくTだった。運動家のイメージとして明るく接しやすい印象だが、討論者は気難しく、接しづらい印象だ。私がなりたくないタイプの人間だ。
やはり自己嫌悪をしていて、そんな自分が嫌だから嘘をついて過ごしていた部分があるのだろう。

歳を重ねて、本当の自分と向き合えるようになったからこそ、こういう自己分析系のことも嘘をつかなくなった。それをプラスと捉えて、私は今日も頭の中にアイデアを産み続けている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?