元祖不審船ドイツ帝国海軍「仮装巡洋艦トオル号」

下記小文は「キーマン@nifty」第7回2002年2月13日掲載記事『元祖「不審船」ドイツ仮装巡洋艦』の再掲載になります。
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 2001年末には国籍不明船舶の追跡・沈没事件があり、正体不明な船舶なので「不審船」となっていながら、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の工作船であるかの結論になっております。
 もともと国籍や正体を偽る挙動不審船は朝鮮民主主義人民共和国のお家芸ではなく、船舶による交易が成立した太古から存在します。今回の話は、神奈川新聞を読まれている方なら、何度か読まれた記憶がある事とは思いますナチス・ドイツ帝国海軍の誇る「仮装巡洋艦」です。
 「仮装巡洋艦」とは、軍艦である事を商船であるかのように偽り、通商破壊工作を行う軍艦で、見た目が商船であるかのような偽装が勝負という、今は誰も行わない古き時代の戦争でした。
 仮装巡洋艦は攻撃をする際、偽装の旗は降ろし、ドイツ軍艦旗を掲揚した後に攻撃を行っています。それは1906年に署名されたロンドン宣言(海戦法規に官する宣言)という未発効となった国際戦争法の一つにも明記されている様に、所属を明らかにして後に攻撃をしています。例えるならば、「やぁやぁ、我こそは某家の家臣、某の家来にて某である」と戦国の武将が名乗りを上げてから戦に参加するような、礼儀正しい戦争をしていました。
 それというのも、目的は船舶の破壊であり市民の殺傷ではないので、多くの場合、いきなり沈めるのではなく、臨検や威嚇射撃等で乗組員に救命ボートでの避難を勧告し、下船完了と共に目的船舶を沈めるという作業を行っておりました。沈める側とて人間ですので、人が苦しむ姿は見たくはないものですし、遭難者収容が出来る程、仮装巡洋艦は大きくはないのです。それでも場合によっては撃沈後に遭難者収容という場合もありました。
 さて、インド洋や太平洋でもドイツ仮装巡洋艦は活躍しておりました。その一隻に「トオル」号という仮装巡洋艦がおりました。「トオル」号は遭難者収容の事例発生で、収容した敵国人を乗せて横浜港新港埠頭に接岸し、日本側に収容人員を引き渡しました。
 当時の日本では外国人は箱根に収容しており、戦争終了まで箱根で過ごした外国人は多数いました。しかし箱根で終戦まで過ごしたのは敵国人だけではなく、軍事同盟を結んでいるドイツ人、それも「トオル」号の乗組員もまた、最終的には沈めた船舶の外国人と共に終戦まで箱根で過ごす憂き目に合いました。
 仮装巡洋艦は単独行動ばかりではなく、補給港のない海域では補給艦と共に行動しています。横浜港には補給艦と共に入港しておりました。しかし、船倉の修理作業中の事故から火災となり、補給艦に積載されていた弾薬に引火し大爆発を起こし、そのまま新港埠頭で着底、つまり沈んでしまいました。
 この時の爆発は横浜地方気象台の地震計にまで記録が残る大惨事となったのですが、同盟国の軍艦の事故だけに厳重な箝口令が引かれ、事故現場への立入りは規制されました。しかし、税関職員によって事故直後の写真が撮影され、写真はその後、神奈川新聞などで公表されるまで60年もの時間が経過しました。
 艦を失ったドイツ帝国海軍将兵はそのまま箱根に送られ、彼等もまた箝口令を引いたものの、先に収容した遭難者がいる事から、艦を失った事は公然の秘密となり、それから祖国に帰還するまで、食糧難という敵と戦い続ける憂き目となり、箱根の外国人は呉越同舟となっていました。
 仮装巡洋艦が活躍出来た60年前の戦争は、まだまだ牧歌的な戦争だったのかもしれません。今は技術の発達で特定海域の全ての艦船を特定出来る様になってきました。それでも海賊による商船の略奪や積荷の闇ルートへの転売など重大な問題が今も発生している。だからといって、仮装巡洋艦で海賊退治をすると言い出す国は今の所ないが、漁船モドキの国籍不明船相手に重武装化を説く国ならある。この漁船モドキの船が通商破壊をしているのなら、撃沈する理由もあろうが、はて、我が国領海内で何かしたのか。尻尾捕まえない限り推測で騒ぐのはいかがなものかと思ったものでした。
 仮装巡洋艦「トオル」号と補給艦の爆沈事故の犠牲者は、横浜の外人墓地に眠っている。しかし正体が明かされるまで60年もの時間を要した。60年の間、戦争の仁義も無くなってしまったようだ。

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