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しかし私は演りたかった

Oct 6, 2005(楽天blogより)

「しかし私は演りたかった」


劇工房“燐”の「この道はいつか来た道」
(作・別役実、演出・手塚敏夫)を観てきました。
観終わって、こみ上げてくるものがありました。
それは舞台に乗せられたこの劇の世界に対する共感と、
もう一つは、舞台の上の女優・杉山生子と再会できた感動でした。

手塚敏夫と杉山生子は野口三千三が演劇に深く関わっていた頃、
野口三千三から直接教えを受けた世代です。
二人は舞台芸術学院在学中から光りを放ち、
担任の演出家の主宰する劇団“東演”に卒業と同時に入団しました。
その頃、野口三千三と出合います。

殊に杉山生子は野口体操でも、女優としても感覚の良さは
秀でていました。
しかし十八年前、病魔が彼女を襲います。
リュウマチから腎不全、そして人工透析を週三回受ける
からだになったのです。
その間危機を何度も乗り越えて今回の舞台に立ったのです。

「しかし私は演りたかった」
彼女の思いの強さと意志を持ってやり遂げる力に敬服しました。
からだと折り合いをつけながら舞台に立ち続けられるよう祈ります。。

杉山生子は野口体操と表現は同じであることを証明した
数少ない女優の一人です。
そのことは舞台芸術学院で、俳優を志す若者に教える側になっても実感するところです。
教室で表出されたこと以外、あるいはそれ以上のものを
舞台でみたことはほとんどありません。
からだの動きも、俳優の仕事も表現者のからだの中が変わって外に現れるのです。それ以外の巧みな演技は、それらしくしたり、ふりをしたり、説明をしたりすることが上手いだけです。

ところで、手塚敏夫は舞台芸術学院で演出家として
若者達の指導に当たっています。



「からだの動きの本質は中身の変化としての創造である」
                   野口 三千三

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