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記憶という救い


……人を救うものは、記憶だと知人は言った。

…満たされた記憶があればそれを思い出すことで救われる。

その考えは少し前の私のものと似ていた。

満たされた過去が有れば…
大切な過去があれば…
つらいことがあっても乗り越えられる。

何度もその記憶から元気をもらえるはずだ。
けれど結果、記憶は私を救わなかった。
記憶が救いなら私は救われてもいいはずだが決して私は救われてはいない。

なぜなら記憶というのはぶら下がって頼るには、あまりに脆弱なものだった。
記憶に頼ると今と過去の倒錯が起こって叫び出しそうになる。

…自分が今何歳でどういう人物で、どこにいるのか、混乱するのである。
そしてまた、辛い時に、記憶というものは疑う対象にもなってしまう。

本当にあの時、自分は幸せだったろうか?あの時本当に私は愛されたのだろうか?


…昨日は早すぎる時間に布団に入ってしまった。一人暮らしのアパートの布団。そのせいで眠気、怠さはあるのに熟睡はしない。

ーーーー…明け方、眠くて眠くて、でもそろそろ起きないと。すると妹が少し離れた自分の布団から私の方にやってきて、お姉ちゃん、まだ寝てようよ、と言って私の布団の周りに寝そべって、私の顔を覗き込んでいた、ような。私に寝てようよって、ごろごろ、ちょっかい出して。妹がこの部屋にいるような。あれ、私どこにいるんだっけ、ここはどこだっけ、妹のいるあの家だったかな。ああ、妹はいるのか、確かめようと目を開けようとすればするほど覚醒していく。声は近くにあったのに、いると思って目覚めたら急に音はなくなった。妹はいなかった。ありし日の休みの日、寝坊した日と錯覚する朝、現実には一人暮らしの静寂のアパートの一室がそこにあるだけだった。



…記憶が人を救う。
記憶に救われるというのはこういうことなのだろうか。けれど私は今日も救われた気はしない。