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自分の感受性

インスタを初めて2年ほど月日が経った。

最近は「映えてる」写真を投稿することに取り憑かれた。

かつての同級生のインスタを見つけ、無言で眺め、見本にしていた。

しかし私は彼女らにはなれないし、これは自分の本当に発信していきたいものではないという違和感が残る。

ふとたまに流れてくる、意味もなく空を写したような、そんな投稿がひどく羨ましかった。

「自分の感受性くらい、

自分で守れ、馬鹿者よ」(茨木のり子)

国語の教科書にあって、今も私の心に残る言葉。

当時は、
守ってみせるつもりだったんだけどなぁ。

一人で生きていくのに
感受性はけっこうお荷物だった。

私がモラトリアムながら、社会に揉まれ、これしかないと思ったことは、感受性と折り合いをつけて、蓋をして、諦めて、社会を生きていくということ。

もう一つは、

感受性と心中すること。

……心中するほど
価値のある感受性でもあるまいよ、


そう思い、
今日も思考は止まる。