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「どうして勉強しないといけないの?」(『教育あまがさき』第90号、2022年10月刊行)

※『教育あまがさき』第90号(尼崎市教育委員会、2022年10月発行)に寄稿・掲載された文章です。
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タイトル「どうして勉強しないといけないの?」


「どうして、勉強しないといけないの?」
子どもたちからこんな質問をされたらどうしますか?高校・大学、就職先といった希望する進路を得るため。将来に夢をかなえるため。子どもが納得する答えを探さなきゃ。そんな風に思われるかもしれません。
インターネットでもこのような質問とそれに対する答え方を提示するサイトがありました。こういう情報が掲載されているということは、この質問にうまく答え、勉強する意味を与えていくことが大事なことのように考えられているのだろうと思われます。
しかし、私はその「答え方」よりも、その問いが発せられる背景に目を向けてみたいと思うのです。どうしてその子はこのような質問をしたのでしょう。このような質問は勉強が楽しく、やりたいときには立ち上がってきません。勉強がしんどいことであり、できればやりたくないという心情がこのような問いを起こさせているのではないでしょうか。
哲学者の鷲田清一氏は、現在というものが別の時間のためにあるという価値観を「未来の幸福のために現在を貧しくする論理である」(鷲田清一『だれのための仕事』講談社学術文庫、二一頁。)と言われています。勉強する理由を将来の満足のためと説明することは、今はつらく、苦しい時間であるということをその説明によって飲み込ませてしまっているということでもあります。
本来教育・学びとは、それ自体が豊かなことであり、よろこびであるはずです。親・教師が子どもたちの成長によろこびを感じるように、子どもたち自身も自ら学び、成長するということは、「なにかのため」にするものではなく、それ自体がよろこびや楽しみだったはずではないでしょうか。
そうだとすれば、私たち大人が子どもたちに与えるべきものは、「今を我慢して勉強する理由」ではなく、学びそのもののよろこび・楽しみであるはずです。「学びたい!」「勉強したい!」という意欲が育てば、おのずから成長する力となります。「親や教師によって成長させられる」のではなく、その親や教師の手を離れた後も、生涯にわたって自ら成長しつづけられる力を手にすることになります。
冒頭の問い「どうして勉強しないといけないの?」もし、そう問われたなら、まずは「どうして、そんなふうに思うの?」と子どもさんのお気持ちを尋ね、その子の気持ちに寄り添うところから、一緒に「学び」を始めてもいいのではないかと思っています。


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