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走ることが夢だった6 (フォーミュラ編)

自動車整備専門学校も2年になろうとしていた。
レースの予定もなくなったので、アルバイト代をそこまで稼ぐ必要がなくなった。
クルマの勉強にもなると思い、ガソリンスタンドのアルバイトに切り替えた。

足元

専門学校に入学し、レーシングスクールにも登録、話が違うということばかり起こる中、かなり無理をしてきた。
少し踏み留まり地盤固めをする事にした。
卒業後の就職のことも考えなくてはと思い、経験を積むためにアルバイトをガソリンスタンドに変えた。
知ってるようで知らないことばかり。
クルマ好きでもなんでもない人の方が、自分よりクルマのことについて知っていたり。
どんな仕事にも、その道のプロがいるもんだなと、初心に帰ることが出来た。
始めてみて気づいたのは、自分はお客様とコミュニケーションを取るのが下手だという事だ。
硬くなり過ぎてしまい、お客様に緊張感を与えてしまう。要領が悪すぎると思った。
正社員の人の接客を分析する日々。
特別なことを話してるわけではないのに、お客様が安心して話に耳を傾けていくのがみていてわかる。
笑顔と柔らかい話し方。
レースの世界にハマりかけてた自分にはないものだった。
話し方はすぐには変えられないが、よく笑うことを心がけた。
お世辞にもお客様対応は上手ではなかったが、社員の人からは愛想があるから良いよ。などとよく笑われていた。
とにかく場慣れするしかないと思った。
給油口と逆のレーンに誘導したり、10リッターと言われたのを満タンにしたり、いろんな失敗をした。
お客様との実践で学んでいかなくてはいけない難しさは初めての経験だった。
ただ、真面目さは認めてもらえたのか、社員の人がお客様がいないときに、空いているレーンで接客の練習をしてくれた。
正社員の人からお前はまだ自分の魅力に気づいていないと言われたことがあった。
その時は、言われたことの意味がわからなかった。私は、幼い頃からコンプレックスの塊だった。その当時もまだ引きずっていた。
魅力って、サーキットを走っていることだろうか。などと思ったのを覚えている。

人並

同級生もガソリンスタンドで働いてるやつは多かった。
アルバイト代は運送屋の半分以下になったが、クルマの情報が周りに溢れる状況になっていった。
時間にも余裕ができたので仲間も増えたし、バイト先で彼女もできた。
19年生きてきて初めての彼女だった。
コンプレックスだらけだった自分が、なんてちっぽけなことを気にしていたんだと思えた出会いだった。
幸せを実感したのは、生まれて初めてだった。

順風満帆のようだが、心には闇の部分があった。
彼女が大切だから、夢を諦めようとはならなかった。私より絶対レース取るよね。とよく怒られた。
ケンカもよくしたがどこに行くにも一緒だった。

そんな中、レーシングスクールの日が近づいてきた。
彼女は、山梨県からあまり出たこともない娘だった。
私が茨城県の筑波サーキットに行くというのは、いなくなってしまうんじゃないかと思うよなことのようだった。
レーシングスクールの何日か前までは、行ってきなって行っていたが、前日になり出発しようとしたら、行きたいところがあると言い、送り出してくれない。
ドライブして思い出の場所に行く。
しばらくして気づいた。
彼女にとって、私がサーキットを走る事は事故に遭うかもしれないと心配しているようだった。
お父さんが寿司職人で、F1が好きだったらしく飼い犬の名は、セナだった。
彼女の吸っているタバコはJPSだった。
テレビでF1のクラッシュシーンをみたことがあったのかもしれない。

無茶しないから。必ず帰ってくるからと安心させようとした。
安心してもらえるまで一緒にいようと思った。
安心させるために色々なことを語りかけた。
散々泣いて疲れたのかしばらくして落ち着いたようだった。
クルマで家まで送った。
運転席の窓ガラスを開けると、鼻を摘まれた。
初めてのデートの時に彼女がしたイタズラで、私が大爆笑した動作と同じだった。
ホントに今思えばである。
その頃には気づけていなかったことばかりだ。
彼女はバイバイと言って家に入って行った。
少し寂しさを感じだが、彼女もこれが精一杯の見送りだったのだろう。

23時を回っていた。
高速代を浮かせるために一般道で筑波サーキットまで。着くのは朝方だろう。
最後になるかもしれないレーシングスクール。
ある程度のタイムを出すと移動中、心に決めていた。

7  前半 (フォーミュラ編)へ続く

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