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坂本龍一『12』に関する試論

SN/M比 ??%

『12』は、前作『async』から6年ぶりにリリースされたアルバムである。
『async』のリリース時、公式サイトには「SN/M比 50%」という謎のメッセージが掲げられ、様々な憶測を読んだが、仮にSN=SoundもしくはSingal+Noise、M=Musicと解釈するなら、『async』はそのようにも聴くことのできるアルバムであったーー西洋音楽的な意味合いでの「Music=楽曲」の要素が以前より後退し、環境音、素数を用いた非同期なリズム、テクスチャーの重要性が前面に押し出されていた。
前作のそのような性格や、インタビューでの"もし次のソロ・アルバムがあるとしたら、陶器をつくってお客さんに届ける"といった発言、「もの派」を代表する美術家である李禹煥がアートワークを手がけるといった情報から、私は、次のアルバムではSN/M比がさらに増加し、環境音や物音がメインのアルバムになるのではないか……と勝手な予測をしていた。
結論からいって『12』はそのようなアルバムではない。メインで用いられているのはピアノとシンセサイザーで、闘病生活の中、日記のようにスケッチされた日々の音を、そのまま提示した作品であるという。アルバムを再生してまず流れてくるのは、物音ではなく、明確な音程を持った、アンビエント的なシンセサイザーの響きである。
しかし『12』を、ただ単に「スケッチ」を寄せ集めたデモ集のようなアルバムと捉えるのは誤りだ。ごくシンプルな音の連なりに耳を澄ませると、まるで書家が一筆のうちに傑作を書き上げるように、坂本龍一という音楽家の個性が、これ以上なく研ぎ澄まされた形で表現されていることに気づかされるだろう。

1. 20210310

各曲のタイトルは制作日を表し、ほぼ時系列順に並べられており、この曲がアルバムの中では最も古い曲ということになる。
シンセサイザーの音と思われるが、ピアノの音をグラニュラーで引き伸ばしたようにも聞こえる。
アタックとリリースの長い単音がゆっくりと連なり、重なって、消えていく。
冒頭は、間隔の離れた下降音形「G→B→D→E→C」で、CM9の響きをつくる。
その後も、Gメジャースケールから即興的に選ばれたような音が連なるが、最後は冒頭とは逆の上昇音形「B→D→E→F#→G→A→B」で対称をつくる。

2. 20211130

ピアノがメインだが、冒頭と結尾にピアノの蓋を開け閉めするような物音が入る。キーはCマイナーで、選ばれる音は1曲目と同じくダイアトニック。長い残響を付加されたピアノの単音が即興的に連ねられ、旋律に付随する影のように、ピアノのアタックをカットして引き伸ばしたような音色の薄いパッド音が重なる。
ブライアンイーノ+ハロルドバッドのような雰囲気。

3. 20211201

2曲目の翌日に録音されており、共通点が多いーーすなわち、冒頭と結尾の物音、ピアノと薄いパッド音、ゆったりとした旋律の連なり。しかし相違点もある。2曲目は旋律が即興的、断片的であったが、本曲では「B→D→F#→G→E→D→B→G→A」というモチーフが(若干の変形を伴いながら)反復される。またパッド音は、ほぼ高音域の「D・F#・G」で固定され冒頭から鳴り続ける。
2曲目がマイナーキー、本曲がメジャーキーがメインであることや、高音域の音色により、雲間から光が差し込むような印象を受ける。

4. 20220123

本曲もアンビエント的なピアノがメインだが、冒頭から環境音にフィルターをかけたような淡いノイズ音が持続する。また、ピアノの音には長いタイムスパンのディレイが掛けられ、深い残響の中にこだまする。
3曲目と同様、「B・C#・F#→G#」というモチーフが、様々なフレーズを間に挟みながら、何度も反復される。このモチーフは「B・F#」、「C#・G#」という2つの空虚五度が重ねられたものだが、間に挟まれるフレーズは半音や増四度(G#・C#→D→B→G#)を含み、ここまでの曲で続いていたダイアトニックな響きに不協和な音程が混入する。
また4分過ぎから、うっすらと鳥の鳴き声のような音が聞こえ、その直後のフレーズの連なり「B・F#→A→B→C#→E→D#→C#」→「E→F#→C#→G#→B・C#→D#」のドミナント→トニック的な解決感により、明るく穏やかな印象を与える。
結尾の音形「C#→B→G#→F#」は、メインのモチーフ「B・C#・F#→G#」を変形したもの。

5. 20220202

2〜4曲目はピアノがメインだったが、ここで再びシンセサイザーがメインとなる。
リリースの長い単音が連なり、リングモジュレーションのような不協和なノイズが断続的に重なる。
キーはBマイナー。冒頭は1曲目と同様ペンタトニックだが、徐々に半音階的な動きが増え、不穏な印象を残す。最後の音はA#で、暗く不安定な響きで曲が閉じられる。

6. 20220207

ここで再びピアノがメインとなる。キーは5曲目と同じBマイナー。
反復するイーブンなリズムの音型「D→C#→D→B→C#→B→D→B」の上に、高音域のアンイーブンなリズムの音型が重なる。
更に、ピアノの残響音を取り出して拡大したような、フィードバック音のような、サイン波の響きがゆっくり現れては消えていく。サイン波の音程とピアノの音程の一部は恐らく微分音的にずれており、相互に干渉し揺れる。アルヴィン・ルシエのようでもある。
まるで、音と音楽、シグナルとノイズ、現実音と電子音の間を曖昧に行き来するかのよう。本アルバムのベストトラックに推したい。

7. 20220214

再びシンセサイザーがメイン。
ここまで単音の連なりが多かったが、ここで往年の坂本らしい中音域の柔らかなパッド音が現れる。ハーモニーはフランス印象派や坂本龍一が愛用する、半音のぶつかりを含んだ7の和音。
重ねられるダイアトニックな旋律はコーラスをオクターブに重ねたような音色で、ややイーノのAmbient 1: Music for Airportsでのコーラス音を彷彿とさせる。
5:10くらいから3秒ほど音が全く消えてしまうのが印象的。

8. 20220302 - sarabande

本アルバムで唯一、日付以外の曲名を持つ。サラバンドは古い舞曲のジャンルだが、坂本の愛好するサティやドビュッシーにも同名の曲がある(いずれも名曲)。
8、9曲目は明確に「書かれた」楽曲で、同一日の録音。明確なモチーフと和音構成、3/4の一貫した拍節を持つ点で共通している。
ドミナント→トニックの響きがクラシカルな印象を与える一方、中間部では展開形の和音が次々と半音階的に接続され、坂本らしいハーモニーの妙が味わえる。

9. 20220302

旋律を含むアルペジオが、同一の音形を繰り返しながら、半音階的に移ろっていく。非常に繊細な書法で、サティと比較されることも多いスペインの作曲家フェデリコ・モンポウのピアノ曲を思わせる。

10. 20220307

8、9曲目から5日後の録音だが、ピアノの音が全く違い、部屋鳴りの音を遠くから捉えたような音響になっている。
前2曲は「書かれた」楽曲だったが、こちらは即興的に聞こえる。
冒頭はAmで始まるが、すぐに不安定になり、中盤以降は短9度の鋭い響きが、ぽつぽつと虚ろに鳴らされる。

11. 20220404

8〜10曲目からおよそ1ヶ月後の録音。
シンプルな音形のメロディと、いくつかの音程を組み合わせて合成した響きを半音階的に推移させる、調性感の曖昧なハーモニーが、再びモンポウ(「ひそやかな音楽(Música callada)」など)を思わせる。
そのような曖昧な響きの連なりの中で、0:40からのラヴェルを思わせるG#m9→E9add13が印象的に響く。
結尾はドビュッシーの好んだ全音音階。

12. 20220304

全曲中で唯一、ピアノとシンセサイザーを用いておらず、物音のみの短い曲。また、この曲のみ時系列順に従っていない。
高音の美しい音色は、割れた陶器のぶつかる音だという。あえて音程をとれば♭G+♭E。

アルバム全体の構成

ピアノ、シンセサイザー、物音がメインの楽曲を、それぞれP、S、Nで表せば、アルバム全体のシークエンスは、
「S・P・ P・P・ S・P・ S・P・ P・P・ P・N」
となる。
このシークエンスは、
①2、3曲目、8、9曲目が、近い制作日かつ似通った要素を持つ楽曲であること
②1〜6曲目が主に単音の連なりであったのに対し、折り返し地点の7曲目以降明らかな縦の和音が頻出すること
③4、5曲目、10、11曲目の間に、性格的に大きなギャップがあること
から、以下のようにグルーピングできる。
「<S・(P・ P)・P>・< S・P>・ <S・(P・ P)・P>・ <P・N>」
このように、時系列順とはいえ、全体のシークエンスも美しい対称性をもっている。

Coda

『12』は、アンビエントやフランス印象派といった坂本の核にある要素と、『out of noise』や『async』を経過した表現が、坂本の内面で自然に融解しあって生まれた、途方もなく美しい作品集である。
"今後も体力が尽きるまで、このような『日記』を続けていくだろう"という言葉を信じ、いつかこのアルバムの先にある「音」(それは音楽かもしれないし、そうでないかもしれない)が再び届けられることを願ってやまない。

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