2021/08/30

今年の始め、新卒入社した会社を退職、そして転職した。もうすぐ入社して半年になるので、この半年の自分を振り返る。

私は今年5月末にあるアイドルのコンサートを観に行ったとき、「これからは自分のために生きよう」とステージに向かってぼんやり考えた。

長年アイドルのオタクをしてきた私は、いつからか生活の支えがアイドルだった。推しのためにアルバイトに勤しみ、推しのためにCDや写真を複数枚買い、推しのために、推しのために……でも、推していたアイドルが突然アイドルではなくなったとき、やっとアイドルにもその人の生活があり、人生があることに気がついた。今まで”推しのために”と生きてきた私にも、私のための人生があった。むしろ”推しのため”と思っていたのは自分だけで、自然とそれは”自分のため”でただの自己満だったことに気がついた。もちろんアイドルに没頭する時間は何にも代えられない尊い時間だったけれど、これからは「自分の在り方を他人に依存しない」、そう誓った。

「他人は他人、自分は自分」と仕事趣味問わずあらゆる場面で自分に言い聞かせ、他人に流されることなく自分で物事を取捨選択するようになった。でも、自分は自分だと胸を張ろうとすればするほど、他人には干渉したくないし興味も持たない、と気を付ければ気を付けるほど、他人が自分に向けて放つ言葉や態度が気になるようになり、そのたびに傷つくようになってしまった。自分の正義が傷つけられるたびに意思に反して涙があふれるようになった。

私は、今の会社がすごく大好きなんだけれど、たまに、いや、ほとんど常に「自分がいなくてもこの会社回るよな…」の気持ちになる。同世代の人たちや同時期に入社した人たちはみんなバリバリ働けているのに、なんで私はできないんだろうと感じる場面に遭遇するたびに考えている。無論、会社のために生きているわけではない。「自分のために生きる」の内にある「自己肯定感を上げる」ためにも、会社の役に立ちたい、貢献したい。だからこそ、その気持ちに反していると感じる場面が多ければ多いほど、めちゃくちゃに落ち込む。前述のとおり泣く。普通に泣く。もう立派な大人なのに。「自分の在り方を他人に依存しない」「他人は他人、自分は自分」なのに、結局他人から見た自分ばかりを気にして綺麗事で飾り立てて見栄を張って生きてしまっている。


最近わかったことがある。私は言われたことを理解するのに時間がかかる。言葉を文字で見ないと理解できないからだ。週に一回、ミーティングがあるけれど、正直理解が追い付かないまま話が進んでしまっていて、後にミーティング内容をまとめた文面を読んでやっと理解できる。

仕事関係なく日常会話の中でも反応が遅いって言われたり、テレビも字幕がないと見れなかったりする。昔から電話が苦手なのもこれのせいかもしれない。原因はわかってもどうしたら改善できるのかが未だにわからない。

でも、これも「他人は他人、自分は自分」と割り切ったほうが楽なのかもしれない。自分と他人が第三者によって比べられるとき、たとえば学生のころに親が兄と私を比べるときは「何で兄はできるのに、私はできないのか」と毎回自分が下げられる立場にあって、いつも劣等感を抱いていたことを思い出した。

「他人は他人、自分は自分」なら、自分にできること、もっと言えば自分にしかできないことを探そう。もし、それが無いとわかっているとしても、探す努力はしよう。そう、思った。

それぞれにそれぞれの人生の在り方があるように、他人と比べず、他人に期待せず、自分の正義の上で自分の人生を全うしていきたい。仕事も必死で食らいつくけど無理ってなったら休んで自分のペースで頑張っていきたい。私は自分の正義を貫くけど、その正義が誰かの正義を傷つけたりする可能性があることも知っているから、他人に強要しないし、たぶんそういうことを言うことすらしないほうがいいんだと思う。でも、私は自分の信じているものを守りたいし自分の心をも守っていきたい。

そう思った半年だった。かな~うまく生きられないね

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