『アフターデジタル』に感じた、労働に込める感情
今後の世界を予兆してくれる作品だったのですが、ふと日々考えていることと一致する部分があり、すごく楽しめました。
オンラインが当たり前の世界
今は、『リアル(店や人)でいつも会えるお客様が、たまにデジタルにも来てくれる』程度ですが、将来は『デジタルで絶えず接点があり、たまにデジタルを活用したリアル(店や人)にも来る』という、デジタルが基盤にあり、その一部としてのリアルだ、と話しています。
そうなってくると、単に社会が変化するだけでなく、人の感覚も変化する。すでに10代の子たちを見ると、その変化を感じ取れます。
例えば、学校には友だちがいないけど、インターネット上で同じミュージシャンやアニメが好きな人とすぐに、リアルタイムにつながれるので、仲間がたくさんいる、といった若い人たちの生活スタイルはその1つ
リアルよりデジタルのほうがマッチング精度は高く、コミュニケーションハードルも高く、彼らにとって「リアル」な人間関係を築きやすい
オンライン上のほうが気持ちを素直に吐露でき、“リアル”な関係だと感じているようです。「リアルの場では話すことができなくても、Twitterでは本音を書けるし、そこでつながれる仲間がいる。だからこそ、実生活で何か特別な瞬間があったときには、ツイキャスをして『いまこんなことをしているよ』と発信してシェアすることで、遠くにいる仲間とコミュニケーションをとって盛り上がる
オンラインでも、オフラインでもない、OMOという概念
そんな既存の概念をさらに一歩先に進めたものが、OMOと呼ばれるものでした。
「ソファに座って口頭でフードデリバリーを注文することや、家の冷蔵庫にあるミルクが足りないことを察知してショッピングカートへの追加をサジェストすることは、もはやオンラインでもオフラインでもない。この融合された環境をOMOと言い、ピュアなECからO2Oに変わった世界をさらに進化させた次のステップ」
まさに、スマホでモノを購入するといった世界ではなくなっていくと。
実際に中国ではその地殻変動が起こっていて、このような仕組みがオンラインなのか?オフラインなんか?と問われても、どちらとも言えないですよね。
求められる認識と体験
そんな世界の中で企業に求められるサービス内容は、このようなものだと。
(1)高頻度接点による行動データとエクスペリエンス品質のループを回すこと。
(2)ターゲットだけでなく、最適なタイミングで、最適なコンテンツを、最適なコミュニケーション形態で提供する
その上で、皆が個別最適化をした先に、体験やIPが価値になると。
利便性が当たり前になると、個々のサービスは「個別最適化」や「効率化」以外でないと差異化できなくなります。
単一接点型から、常時寄り添い型になる という表現が適切でしょう。データを取得することやシステムを構築することに目が行きがちですが、「エクスペリエンスで価値を提供する」視点が抜けてしまってはいけません。
人か機械か
最近「機械が人の代替をしているのではなく、人が機械の代替をしている」と感じることがあります。
例えば、コンビニのレジ打ちが機械に代替され始めていますが、まだ人が行なっている場所が多いことが実情です。
ただそれは、そういった技術が広がりきっていないだけで、俯瞰して見ると、人が機械を代替しているんだ、という風にも見えてしまいます。
最近感じたふとした疑問
最近もUber Eatsの配達員や、深夜に6時間ほど工事現場の荷運びをしたのですが、「これは自分がやる必要はあるのか...??」とふと思ってしまったり、
深夜の帰宅中に、疲れた顔で制服のまま帰宅しているキッチンの方を見て、「この方がどうしたら楽しみを見出せるのだろう」と感じました。
将来機械に置き換えられそうな単純な反復動作を人が行おうとすると、ミスもするし、感情的に起伏がなくなると感じます。
だからこそ、そういった作業に従事している人が、いかに充実感を感じるか、を考えないといけないなと。
感情が生まれる仕事
例えば料理を作る方ならば『おじいちゃんの還暦祝いに家族で集まった食事の席で、自分の料理によって会話が弾んでいる』光景を目にしたら、つい嬉しくなってしまうと思うんですよね。
ITのサービスを提供しようとすると、データドリブンな世界、効率性の向上などを考えるわけですが、
それだけではなく、ふと感情的に嬉しくなる瞬間を内包することが、サービスを提供する立場として大切なんじゃないかと。
そんな日常に溢れるホスピタリティをサービスを触れる中で感じてもらえるようなものにしたいと、『アフターデジタル』を読み、一層感じることができました。
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