積み重ねた経験と知恵の偉大さを感じる『知の体力』
今年一番好きな本だったかもしれません。
人生で多くの成功を積みながら、同時に戦争や死別のような深く濃い経験を重ねたご高齢の方に
「人や人生、社会ってこういうものだとおもうけど、どうかな」と、諭されるでもなく、同じ目線で話しかけられる。
ぐるぐるとした思考をする自分の目の前に、ポンと考えを差し出されて、その一言一言に膝を打つ。
そんな感覚でした。
また、話題の蒼井優が言っていた「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要らしいよ」なんて言葉に通じることも、
河合隼雄の『生きるとは自分の物語を作ること』や、岡潔の『春宵十話』に似た雰囲気を持つと思えば、両方登場して驚くなんてこともあり、こういうや考え方が好きなんだと再実感しました。
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ということで、内容をいくつか紹介
いま響く言葉もあれば、中学校の頃に出会いたかったと思える言葉もあり、誰か求める人に届くと嬉しいな、と。
妬みは<微差>
誰もが持つであろう負の感情。その意味と消化の仕方について。著者自身が妬みに繋がる感情を持った時の背景や気付き。
「妬み」に縁のない人間はいない。しかし、「妬み」は常に<微差>に由来しているのだと思えること。<微差>だからこそ、その気になれば、自分もその妬んでいる相手と同じ場に立つのは可能だと思えること。そのために行動に移せること。その大切さを今一度確認しておきたいと思うのである。
他者と自己の関係性
他者がいるから、自分を意識する。知識があるから、客観的な視点を身につける。時に周囲との違いに悩みことこそあれ、そこからしか個性は生まれない。
「人」ほど悩みのタネになることもないと感じますが、その軋轢こそ自己の認識に繋がるんじゃないか、と。
集団のなかに居ることの居心地の悪さ、周りとの折り合いのつけにくさ、自らの抱え込んでしまった本質的な寂しさ、孤独感、そのような<世界>との葛藤のなかにしか、個性の芽は育たないものだ
伴侶(パートナー)の存在と、どのような人であるべきか
冒頭で書いた、先日結婚された蒼井優さんが話したとウワサの「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要らしいよ」に通じると思いました。
その人がいて、まだ見ぬ自分に出会う。その自分が好きで、よりその人に惹かれる。そういう存在が伴侶であるべきじゃないか。
その人と話していると、どんどん自分が開いていく気がする。お互いにそんな存在として相手を感じられるような関係こそが、たぶん伴侶と呼ぶにふさわしい存在なのに違いない
テクノロジーと言葉の関係
著者は、生物学者でありながら、歌人であるからこそ、言葉から機微を感じ取る力に長けているようでした。
LINEやtwitter, Instagram, messenger...様々なツールの誕生によって、”短文化”が進んでいる世の中において、その短いやりとりで『本当に思いを伝えられるの?』と。
言葉の深さ
こちらも言葉について。自分で文章を書く時、自分の頭にあるイメージ、感じる心情が、そのまま相手に伝わる文章に落ちきっていない感覚があり、普段触れている”一流の文章”との差に愕然としていました。
その課題意識を持っていた分、まさにぐうの音も出ない。。
「大きな」という言葉の選択の裏には、「見上げるばかりの」とか「天にも届きそうな」とかの別の表現が、潜在的な可能性としては数え切れないほど存在したはずで、そんな可能性を全て断念し、捨象した表現が「大きな樹」という便宜的な表現になったのである。
最後に
この書駅から感じる居心地の良さはなんでしょう...
整えられた文章や言葉選び、適度な距離感。難しいようで、すごく端的に、真っ直ぐ書かれている。
読んでよかった、と心から思える一冊でした。
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