あの日から諦め続けた夢たちへ
前回の記事で少し触れた“僕の大学時代”について話そうか。
去年まで大学生だったわけだが、その4年間に成層圏に届くほどの山積みの後悔がある。やり直したいけど、きっとタイムマシンができてやり直せても結果は同じになるかな。
大学は映像系の学部に通っていた。高校生の頃に文化祭のために作ったコマ撮り映画が評判で慢心して「映画監督になって日本の映画業界に名前を轟かせたるっ!」なぁんて妙に意気込んで目指した大学だった。
ちなみに別に今は映像業界とは縁があるわけではない。
大学4年間失敗と恥をかき続けて高校時代の憧れをどこかに捨ててきた。
「もったいない」
「諦めるなよまだ若いんだから」
「もっと頑張れよ」
って言われましても。。。
俺だって4年間必死に自主制作撮ったり、カメラを担いで車を回して日本一周したりしてみたかったよ。なんでそれができなかったのか、全くわからない。
当時の記憶を整理しながら綴りたいと思う。
まず大学一年生の頃。
僕の華々しいはずの大学生活はまず自分の身分を思い知らされたことから始まったんだ。当時の衝撃は今でも忘れられない。
4月、あらかたの入学手続きやガイダンスが終わると“奨学金手続きのためのガイダンス”があった。
奨学金をかなり借りてしまっている僕は、当時学生生活スタート後孤独を免れるためだけに行動を共にしてた“とりあえずの友達”に今考えるとアホみたいな質問を投げかけてしまったのである。
「「奨学金ガイダンスどこの教室だっけ?一緒に行こうよ」」
そう僕は“奨学金”という悪魔じみた借金を日本中の大学生が背負っているものだと本気で思っていた。それまではみんながみんな自分と同じ地位だと思っていた。
当時の五人ほどの“とりあえず友達”のなかに奨学金ガイダンスに参加する奴は確か一人もいなかった。
みんながスタスタ学バスに向かう中、僕だけが踵をかえし一人寂しく構内の小ホールに向かったことはよく覚えている。
「子供の学費を払えるほど裕福な家庭もあるんだぁ」
と思った。
その数日後にも同じ様な過ちを繰り返すことになる。
大学合格が通知されたと同時に、地元のブック○フのアルバイトを始めて既に週3〜4、授業後はバイトと決めていた僕はつい同じ学科のやつに。
「そういえばバイトは何してるの?」
と聞いた。本当に何気ない問いかけだった。
「何もしてないしこれからもする予定はないよ」
だと
「(そんなことがあるのか、学生はバイトをするものではないのか。。。)」
とこれもまた本気で思っていたのである。学生になれば自分の飲み代や買いたいものを買う金くらい自分で稼ぐもんだと。
つくづく愚かだなぁ。当時の自分。
そう、僕の通っていた大学には富裕層(少なくとも僕の家庭よりは裕福な家庭)がほとんどだったと記憶している。
親が死ぬほど貧乏と自称してたU君も2回生の時には1年間ニューヨークに留学していた。
バイトをしてない連中は授業後は何もないのでカメラを担いで田舎への特急電車に飛び乗ったり、劇団を作ったりと、僕の思い描いていた青春を謳歌していた。
僕は授業が終わると構内のトイレの個室でバイト着に着替え、その上にアウターを羽織り、バイト先へと向かう。
悔しかった。
うらやましかった。
できることならそいつらと一緒に行動してみたかった。
これに関しても自分の親を責められるわけがなかったが、自分の大学での地位を思い知って以来、屈辱的なことを多く経験した気がする。
なりたいものになるためには金。努力はその次。
そう思ったし今もそう思っている。
大学一年生編 前編 終