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新時代

これは株式会社マネーフォワード福岡開発拠点が主催している Money Forward Fukuoka Advent Calendar 2022 の 11 日目の記事です。


今、新時代がアツい。

え?今更かって?今更です。少なくとも私の中では今最もアツいワード、それが「新時代」。最近はずっと新時代のことを考えていて、考え過ぎて新時代という言葉が聞こえてくるたびに反応してしまうほどです。

ワールドカップクロアチア戦、試合後のインタビューで森保監督も「新時代を見せてくれた」と言っていました。もしかしたら流行っているのかもしれません。

いやそもそも流行っていたのは知っています。しかしそれは言葉そのものではなく歌。Adoの新時代のはなし。

私もなんとなくは聞いていました。Adoの新時代。
最初は「Adoね」「中田ヤスタカね」それくらいの気持ちでした。

しかし、先日娘と一緒に映画「ONE PIECE FILM RED」を見てからというもの「新時代めっちゃいいわー」「80年代を感じさせるテクノポップな世界観とシンセサイザーのイントロ。懐かしくもありながら決して古くない。Adoのボーカルもマッチして、これはまさに新時代やー」とか言っちゃうくらいハマりました。

いや待てよ、新時代ってなんだ?
で、今に至ります。それから新時代について考えているというわけです。

こうして私は、私が考える新時代について書くことにしました。

履歴書は電子でいい

私が新卒として就職したのは2006年のこと。当時は履歴書を電子で作成するという概念はなく紙で作成していた。書き損じては書き直し、履歴書が足りなくなりコンビニに履歴書を買いに走ったのも今は懐かしい。

こんな不毛なこと無くなれば良いのにと切に願った。手書きの履歴書は熱意や人柄が伝わるなどと言う人がいたが、他に見る方法はいくらでもあるだろうと思っていた。

2009年でも履歴書はまだ手書きである必要があったことを覚えている。当時「履歴書でこれはアウトと思うのは」というアンケートがあり、「PCはだめやっぱり手書きがいい」が大多数を占める結果となった。このニュースを見た私は当時mixiで「履歴書はもうPCでいいって」という内容の日記を書いた。すると通りすがりの採用担当と名乗る人物から「履歴書は絶対に紙であるべき」というメッセージが届き、その通りすがりの採用担当とアツい議論を交わしたことがある。

2009年当時の私の主張は以下のようなものだった。

  • PCで作成した自己アピール等は評価するのに、履歴書にのみ手書きを求めるのはおかしい

  • 風情や誠意を重視する日本の傾向は全く理解できない

  • プレゼン資料など通常PCで作成するのが妥当と思われるものであっても手書きの方が喜ばれるのだろうか

  • 時間の無駄である

日記は以下で締めくくられていた。

「履歴書にアウトなんかない、全ては個性だってくらいのゆとりが欲しいよ。」

この日記に対し、通りすがりの採用担当からは以下のようなコメントがあった。

手書きの履歴書は、どれだけ丁寧に真剣に履歴書に取り組んだかをみるもの。印刷された年賀状よりも手書きの年賀状の方が喜ばれるはず。
年賀状同様、心がこもっているか否かを見ている。これは日本独特の感性である。手書きが嫌なら海外企業にでも就職すれば?

通りすがりの採用担当

以下、私の反論が続く。

  • その「日本独特の感性」が理解できないと言っている

  • エスカレーターやエレベーターを使う人より階段を使う人を称賛する人ですか

  • 私はあえて苦労を選ぶことを否定はしないが、称賛もしない

  • 楽できるところは楽をすればいいし、楽をした分、他に労力を割けばいい

「時代は楽する方に推移してるんです。」

私の反論に対し、通りすがりの採用担当は更にコメントを返した。

こればっかりは人それぞれの考え方だからね。
でも一時的採用する側で面接やったけど、俺はPC履歴書は無条件で不採用にした。俺以外の面接官も同じ考え方で同じ判断だったよ。本当に就職したいなら郷にいれば郷に従えであって、わざわざ自分から不利な立場にする必要はないと思います。わざわざ不利な立場で面接に来るというのは、馬鹿か自信過剰のどちらか、そんな人材は企業は敬遠するのが普通だと思いますよ。

時代の流れだとの意見もあるけど、まだ時代はそこまで追いついてないのが現状です。(原文ママ)

通りすがりの採用担当

このやり取りから十数年の月日が流れた。私が履歴書を手書きで作成することはなくなった。

リモートワークが当たり前の世界

今では忘れてしまった人も多いかもしれないが、かつて会社に出社することが当たり前の時代があった。人はそれを通勤と呼んだ。

私が通勤をしていた頃は、朝早くから身支度をし、パンをくわえながら「ちこく、ちこく〜」と駅に走り、満員電車に揺られながら会社に行ったものだが、今となってはこれも昔話だ。

2020年コロナの影響とともにリモートワークは広まった。当時コロナはすぐに終息すると考えられていたため、リモートワークはコロナが終息するまでの一時的な措置と考えられていた。この時まだリモートワークは特別な存在だったのだ。

しかしコロナは終息することなく現在も猛威を奮っている。リモートワークが広まってから2年、リモートワークは特別な存在から当たり前の存在へと変わった。かつて当たり前だった会社に出社するという行為が、あたかも特別なイベントであるかのように扱われていることでもそう感じる。

先日このような声を耳にした。

「オフラインいいですね!」

昔はオフラインしかなかったのだからいいも何もないだろうと思うが、実際に私もオフラインの良さを実感している。

オフラインしかないときは当たり前過ぎて気付くことができなかったことが、リモートワークという選択肢ができたことにより、なんでもないようなことが幸せだったと思うことができたのかもしれない。

通勤することが当たり前だった時代から、リモートワークが当たり前の時代となり、いつしか会社に出社することは特別なイベントとなった。リモートワークという働き方しか経験したことのないリモートネイティブ世代も社会人3年目を迎えた。

新時代とは

新時代とは何かを考える。

履歴書とリモートワークは似ていると言ったのは誰だったか。私だ。
この二つに起きた変化は技術革新ではない。元々使おうと思えば誰でも使うことができたにも関わらず世間はそれを認めなかった。

それでは何が変わったかといえば、それは"当たり前"の概念が変化したといえる。技術は使う人がいて、それを許容する人がいることで初めて成立する。

ただし当たり前が変化することは容易なことではない。変化によって新たな価値を手に入れることはできるが、同時に失うものも多くある。

人は古き風習を憂い、尊ぶ。

今日も仕事終わりのサラリーマンは、ビールを片手に「俺が若い頃はな〜」と管をまく。

しかし、その時代がベストではないことを私は知っている。あらゆる課題を乗り越え今がある。これから先どんな課題が生まれても、きっと乗り越えていくことができる。

新時代とは何かを考える。

新時代とは前を向き進んでいくこと。決して後ろは振り返らず、決して戻ることはない。今この時、一瞬一瞬が新時代だ。


マネーフォワード福岡開発拠点では共に新時代を作る仲間を募集中です!
履歴書は電子でOK!


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