ファミリーメモ 3
義母は、麻痺して思うように動かせない身体がすぐには受け入れられず涙を流す日もあった。
家族で励まし、少しずつでもリハビリする事に意識が向くように声掛けをつづけた。
もともと気丈な性格なので、少しすると切り替えてリハビリに励み、寝ていても足や腕を動かして、自主的にトレーニングも続けていた。
その甲斐あってか、重度の患者ばかりの病棟の中、みるみる歩くようになり看護師さん達を驚かせていた。
担当の医師も信じられないといった表情で、診察のたびに義母のがんばりを褒め讃えていた。
回復する人の方が少ないのか?と感じたほどに。
予定よりも早くリハビリ病院に移れることになり、退院の何日か前に看護師長からアドバイスをいただいた。
「何かあったときは地域包括センターにすぐに連絡して相談をして下さい」との事だった。
地域包括センター?
町中で看板は見かけたことがあるけどそれのことかしら?と、思う程度の乏しい知識
「今は快方に向っているので大丈夫ですが、年齢的なことも考えると、麻痺が残るとか、足腰動かなくなるような変化があったらまず、地域包括センターに連絡してください。
その時は、介護支援の要支援、要介護の認定をしてもらうと、さまざまなサービスを受けることが出来ますからね。」
地域包括センターとは介護サービスに関わるところだったのだ。知らなかった。
看護師長さんの説明でなんとなくイメージを掴むことが出来た。高齢化社会なので、そのような仕組みや制度が整えられているのね。
ここで看護師長さんにアドバイスをいただいたことは、後にほんとうにありがたいことだったのだと感謝している。
転院先のリハビリ病院でも義母は変わらずリハビリに励み、だんだん手摺につかまれば歩行器無しでも歩けるようになり、それから3ヵ月ほどで自宅に戻ることができた。
少しすると、スーパーへの買い物も買い物カートを押しながら一人で行けるまでに快復。
もともと、腰椎すべり症で腰から来る足のしびれがあったため、ここから先は個人の判断でリハビリを継続して行く必要がある。
ただ、リハビリ施設に通うにも介護支援の何かしらの認定を受ける必要があるようだったので、看護師長の言葉を思い出し初めて地域包括センターに連絡をしてみた。
ケアマネジャーさんから、認定ごとの受けられるサービスの違いなど説明していただき、義母とも面談してもらい、現在の生活状況と身体状況などをヒアリングしたりして、要支援認定は受けられそうとのこと。
別日に審査担当者が来て審査、面談。
後日「要支援2」の認定を受けた。
自宅では布団をベットに変更したり、座椅子での生活も立ち座りに不便がないように、大きな背もたれのついた椅子に変更したり、生活環境を変えて極力自立して動けるような対応をしていった。
認定を受けたことで、義母の生活スペースの段差をとったり、廊下に手摺設置のリフォームを介護リフォームとして費用もかなり抑えて受けることが出来た。
義母本人もしばらくは近くのリハビリ施設に通い始めて現状維持に務めた。
そんな生活を何年か続けてきていたが、2年ほど前から腰椎すべり症の影響で左足のしびれが強くなり歩行に支障をきたしはじめて室内用歩行器を新たにレンタルして生活していた。
通常なら手術したりで改善を試みるのだが、この時点ですでに、80代後半で手術をする事の方がリスクが出てきているため安易に手術を選択することは出来ない。
今年に入ってから何度か歩行器から椅子に座るときに座り損ねてしりもちをつくことが度々あり、その影響でさらに悪化したのか、そのうち室内歩行も厳しくなってきた。
いよいよ車イスに頼る必要がでてきたのだ。
しかし、車イスのレンタルは要支援ではなく、介護支援の認定が必要のようで、担当のケアマネジャーさんに連絡を入れ相談。
また審査担当者と面談し認定を受け直すことになった。
認定が降りたのは1ヵ月くらい後
要支援2 から 要介護2に更新された。
この時義母は92歳
(つづく)