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大川直人写真展:トークショー

2022年6月4日@神奈川県民ホール:第一展示室

大川直人写真展
音楽の仕事40年の軌跡
GOOD TIME MUSIC

4月末、この展示会に先駆けて行われたトークショーに続いてスージー鈴木さんとのトークショー。

『「80年代」と書いて「EPICソニー」と読む』と帯書きをされている著書のあるスージー鈴木氏が、EPICソニーを象徴するアーティスト写真を撮影し続けた大川直人氏へ当時の撮影秘話を聞き出すという貴重なトークショー。

大川直人氏撮影の歴史

中学生の時、公開録音が行われた日比谷野外音楽堂で行われたライブへ。当時は写真撮影の規制がなく、一眼レフを携え「古井戸」をお目当てに現場へ。しかし「RCサクセション」の忌野清志郎のすごく不良、パンクで社会からはみ出すパワーに魅了されたという。それがアーティスト写真を撮った初めてのこと。

その後、25歳の時に高校の先輩がEPICソニーのデザイン室にいたことをきっかけに「UGUISU」を撮影。当時のデザイン室はハウスデザイナーと呼ばれるエリート集団だった。
当時の撮影はミュージシャンも含めて打ち合わせを行い、テストポラを見てスタッフ全てに発言力があり、活気があったという。CBSソニーとは違い、EPICソニーは一つのチームとして一丸となり進行していたという。しかし、時代はミリオンありきになり、売上重視、アートディレクターやデザイナーが参加するという時代へと変化してったという。

撮影エピソード

大江千里
当時、POPYE少年だった大江氏。趣味が同じ傾向にあった。パワフルな人で撮影しやすかった。

槇原敬之
CBSソニー移籍第一弾、グレーのカラーコンタクトを入れて撮影した。人は左右対称の顔をしている人は少ないが、槇原敬之は均整の取れた左右対称の顔をしている。

渡辺美里
「眼力のある人」として撮影しようと考えていたが、メイク中、鏡越しに見た渡辺美里を見て、前髪を切る手を止めてもらいそのまま移動してもらいこの写真になった。

TM NETWORK
小室哲哉とは目線がぜんぜん合わなかった。
宇都宮隆は立っているだけでかっこよかった。
木根尚登はメガネを外して撮影した。

岡村靖幸
予め予定していても、岡村靖幸のその日の気分で撮影となった。帰国子女ということもあり共感できる部分が少なく、自由な発想の持ち主ということから「岡村ちゃん」と名付けるきっかけになった。

佐野元春
1番フィルムを使って撮影した。しっかりとした人で理路整然と話をする人だった。

松任谷由実
アートディレクターが用意した椅子にすっと座って撮影となった。記憶力の良い人で、撮影する10年以上前に会ったことも覚えていた。

桑田佳祐
当時、現物をいれるために都内の1番大きなスタジオを用意した。約300万をかけて作成。

米米CLUB
石井が自らアートを自腹で作成し、撮影するというバブルらしい撮影だった。

尾崎豊
亡くなる20日前の写真。CBSソニーから独立し、個人事務所を立ち上げた時だった。大川を指名して撮影した第一弾の人だった。
尾崎裕哉
アメリカから帰国し、大学入学前でありアーティストになるか決めかねている時の写真。素直な好青年で希望に満ち溢れていた。

スージー鈴木が選ぶ一枚「NOKKO」

事務所も本人も許可が出ないような写真。
当時「フレンズ」が売れていて本人も記憶がない状況。こんな写真があったのかと快諾してくれたという。
NOKKOは写真を撮った次の瞬間、別のところにいるような人だった。

大川直人が選ぶ写真

山下達郎
ギルドのギターを持ち、ギタリストの顔でありギタリストのおさえ方をしているのが好き。

山本美絵
撮影が大変だった人。アミューズの大里会長が力を入れているソングライターだった。エスパーのような人でライトが破裂したり波動の強いひとだった。しかし結婚と同時に普通の人となり引退。

約40分のトークショー。コロナ禍となり撮影がストップしたことから自宅倉庫に眠っていたネガを再セレクトをし、事務所の許可を取りこの展覧会を開催したという。
自身も会場にいるだけでなく、このようなトークショーやサイン会を行うという贅沢な写真展。当時のエピソードを聞けるありがたい機会でもある。
この日はラジオパーソナリティなどを行っているスージー鈴木さんの絶妙なトークにより進行。展示された写真のエピソードを40分と短い時間にもかかわらず凝縮した解説が聞けたことにも感謝。

神奈川会場は、ゆず、ミスチル櫻井の写真を特別展示。成増では数点の写真変更を行うとのこと。
各会場、2000円で図録付き。


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