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「肥ったようですね」と祖母は言った

コロナの影響で家にいるしかないけどアメリカで元気にしているよ、の意を込めて最近の写真を祖母に送ったら「肥ったようですね😃」と絵文字付きのメッセージが送られてきた。

90を超える祖母は優しくて聡明で、いつも気にかけてくれる。ただ。

あのさ、おばあちゃん、
いくら孫とはいえもう大人同士なんだし、デリカシーってあるよね。
「元気そうで何より」とかでよくない?
ひとの容姿にそういうふうに言及するのって余計なお世話だよ。
というかものすごく失礼だよ。
確かに少し体重増えたけど、病気とかの可能性だってあるじゃん。
そして漢字のチョイスはどうなのよ。

言いたいことは飲み込んで、その後は返信していない。

そういえば祖母は昔から容姿についてあれやこれや言う人だった。子どもの頃、年の近い妹と比べられるのがすごく嫌だったことを久しぶりに思い出す。
「妹ちゃんは細いから服がよく似合うね」「お姉ちゃんは体が大きいね」など、かけられた言葉は小さな染みとなって心にこびりついている。

日本は容姿について気楽に何やかんや言う文化だな、と思う。加えて自分の体つきを否定するのが会話の流れに組み込まれてるな、とも思う。主語が大きすぎるとしたら、少なくともわたしの周囲は他人の容姿について息をするように言及していたし、自分の体型にもいつも思い悩んでいた。言われるのは嫌だったのに自分も口にしていたなんて、矛盾にも程がある。

ところが、アメリカに来て「いいことでも悪いことでも、持って生まれたひとの容姿に言及するのはものすごく失礼だしタブー」という考えに触れてから、容姿に関しての物言いに敏感になった。「Body positivity」が浸透している(ように見える)広告にはさまざまな体型、年齢、身体的特徴の人が出てくるし、挨拶のごとく何もかもを肯定される&褒められるので、この2年で「どんな人も美しい」と考え方がガラッと変わった。

加えて夫の影響もあると思う。
仕事を休んでアメリカに来ているので日常的に人に会わない+コロナで引きこもってることもあり、顔を合わせて話をするのは夫だけ。夫は容姿について否定的なことを一切言わない人だ。「太ったね」も「その服は似合わない」も「化粧ヘン」も言わない。すべて喜んでくれるか褒めてくれるか、あるいは何も言わない(もしかしたら興味がないのかもしれない)。「何でこんな人がいるんだろう?」と思うほどで、私もそうなりたいと思わせてくれるお手本だ。

もちろん、「なりたい姿」があって変わろうとすることは素晴らしい。でも私であるってことだけでも素晴らしい。ひとのことも自分のことも、否定することよりも、肯定して、自信を持って生きていたいなと思う。



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