2020年 一橋大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、10本目は一橋大学の世界史。時代は近世・近現代。地域は東アジア・欧米。問題形式としては史料あるいはリード文を読んだ上での論述+用語記述。ほぼ論述ですね。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 ルターの宗教改革

問1.解答 農奴制や十分の一税の廃止を要求した。(18字)

解説 設問の要求は史料で示されている農民たちの具体的な要求について説明すること。まず史料についてであるが、「ルターがその前年に起こった大規模な反乱について1525年に書いた著作」とあるので、「大規模な反乱」がドイツ農民戦争であることは大前提である。よってドイツ農民戦争で農民が要求したことであり、史料に「いっさいの事物は、自由にそして[すべての人々の]共有物として創造せられたもの」といった農民の主張が記されている点からも、農民が農奴制や領主制、十分の一税の廃止を主張していたことが想定される。

問2.解答 農民たちは領主による支配や農奴制など、社会の仕組みそのものを批判して、『旧約聖書』では人々はみな等しく洗礼を受けたのであり、「聖書のみ」に従えば人はみな平等たりうると考えた。一方ルターは『新約聖書』においてキリストが皇帝と法律に従うように言っている例を挙げ、農民も諸侯などの権威に従うべきだと表明している。そもそもルターが「聖書のみ」を拠り所にするように主張したのは教皇の贖宥状をきっかけとした、信仰上の問題としてであり、世俗の社会上の問題としては取り上げなかった。農民たちとルターとの意見の相違が発生したのは、こうしたルターの問題意識の違いと、さらにルターが領主層であるザクセン選帝侯に保護され、諸侯から支持されていたことにもよると考えられる。(323字)

解説 設問の要求は「農民たち」が考える「聖書のみ」と、ルターの意見との相違、およびその相違が生じた理由について述べること。というわけで、ルターが反乱を起こした農民に対して「殺されれろ」とまでのたまった例の史料についてド直球な問題。設問に「『ここで』ルターが表明している意見」とあるので、農民とルターとの意見の違いは史料に沿って述べる必要があるだろう。農民は「創世記1章、2章を引きあいに」とあるので、農民の言う「聖書のみ」とは『旧約聖書』を指すとここでは考えられる。史料中に後で「モーセは、新約聖書においては発言権をもたない」とあることからも農民の主張が『旧約聖書』に拠っていることが読み取れる。その上で、問1でも問われたが、農民は「みなひとしく洗礼をうけた」として、農奴制や領主制の廃止を主張していたのである。これに対しルターは、先にも述べたように「モーセは、新約聖書においては発言権をもたない」と一蹴し、キリストが「皇帝のものは皇帝にかえしなさい」と言ったあの有名なフレーズ(カエサルのものはカエサルに)や、パウロが「だれでも上にたつ権威に従うべき」と言った、ということを引きあいに出して、農民は諸侯に従うべきという意見を表明している。問題はこの農民とルターの意見の相違が生じた理由であるが、一つはルターの主張する「聖書のみ」とはあくまで信仰上の問題であり、世俗の社会変革を主張していたわけではないことであろう。加えて、より現実的に重要なのは、史料中にも「愛する諸侯」とあるように、ルターは教皇と皇帝に反対して宗教改革を始めた結果、諸侯の支持を得ていき、ザクセン選帝侯の保護下にあったことが理由として考えられる。結果、ルターは諸侯による農民の反乱弾圧を支持することになっていくのである。


第2問 覇権国家の移行

解答 19世紀後半のイギリスは工業力こそアメリカに追いつかれてはいたが、ポンドを基軸とした経済活動により「世界の銀行」としての地位を誇っていた。しかしイギリスは第一次世界大戦により経済的な打撃を受け、他方でアメリカは大戦後、債務国から債権国へと変わり、国際金融市場の中心へとなっていった。大戦後イギリスはヴェルサイユ体制の中心としての、アメリカはワシントン体制の中心としての地位を確立するが、第二次世界大戦で連合国の中核となったアメリカは、戦後ドルを基軸とするブレトン=ウッズ体制を築いていった。さらにアメリカはトルーマン=ドクトリンの宣言やマーシャル=プランの発表により冷戦下における自由主義陣営の盟主となっていった。一方イギリスは大戦後の脱植民地化の流れの中で、インドなどの植民地が独立し、スエズ戦争での失敗でアメリカへの覇権の移行が決定的となった。(374字)

解説 設問の要求は20世紀中葉に資本主義世界の覇権がイギリスからアメリカに移行した過程について論じること。条件として、19世紀後半以降の世界史の展開を踏まえることと、第2次世界大戦・冷戦・脱植民地化との関係に言及すること。見事な世界システム論な問題である。そういやウォーラーステインが去年亡くなったのね。意識したのだろうか。条件から、19世紀後半以降の世界史の展開を追いながら、順序だてていくと、イギリスが「世界の工場」から「世界の銀行」へ(イギリスの覇権)➝第一次世界大戦でイギリス打撃・アメリカ債権国へ➝第二次世界大戦でのイギリス打撃・アメリカの中核化➝大戦後、米ドルを基軸にブレトン=ウッズ体制の構築➝冷戦におけるアメリカの西陣営の盟主化➝脱植民地化によるイギリス打撃➝スエズ戦争においてアメリカの警告によりイギリスの撤退(覇権の決定的移行)といったところだろうか。設問の要求が「20世紀中葉において」「移行した過程」とあるので、戦間期における出来事よりむしろ第二次世界大戦後の動きを中心に述べると良いだろう。


第3問 朝鮮ナショナリズムの展開

問1.解答 小中華

解説 「西洋諸国を夷狄」「17世紀の国際関係の変化」「自国に対する朝鮮の支配層の意識」あたりで朝鮮の小中華意識を想定したい。

問2.解答 17世紀に明から清へと王朝が変わると、朝鮮は清に服属することになった。しかし明から朱子学などの文化を学び、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に支援を受けた恩義もあった朝鮮では、異民族によって建国された清をよく思わず、自国こそが明の正統な儒教的伝統を受け継ぐ国であるという小中華意識が成立していった。19世紀後半から欧米諸国がアジアに進出すると、朝鮮と国交を結んでいた清や日本が次々に開国させられていった。1860年代には朝鮮も開国をせまられたが、当時政権を握っていた大院君は攘夷を主張し、西洋諸国が夷狄であり、儒教を重んじる朝鮮こそが正しいという小中華思想は当時の政権の理論的支柱となる役割を果たした。1870年代に江華島事件を契機に日本が日朝修好条規を結ぶと、朝鮮国内では攘夷派と改革派で対立が生まれた。攘夷派は「倭洋一体論」を展開し、小中華思想は日本へ対抗する一つの理由としての役割を果たしていった。(396字)

解説 設問の要求は①小中華意識がどういったものか②小中華意識にはどういった背景があったのか③1860~70年代に小中華意識はどのような役割を果たしたか述べること。条件として、「それぞれ」国際関係の変化と関連付けること。こないだの東大の問題でも小中華の話が出ていましたね。個人的にはこちらの近代朝鮮における小中華意識の役割というテーマの方がおもしろいなぁと感じます。東アジア的な思想と近代西洋的な現実とのすり合わせ。さて、設問の条件として「それぞれ」の国際関係の変化と関連付けなければならないので、まずは小中華意識がどういったものでどういう背景があるかと関係する国際関係の話から。これは問1で「17世紀の国際関係の変化」とも述べられているので、当然明清交代について説明しないといけない。加えて、豊臣秀吉の朝鮮侵略についても背景の国際関係としては触れた方が良いだろう。儒教の、特に朱子学では上下の秩序を重んじており、朝鮮にとっては明の皇帝こそが中華の皇帝であった。辮髪など異民族の風習を残していた清に対して、朝鮮は服属こそしたのものの、「夷狄」という意識を残しており、支配層である両班層には「小中華」意識が生まれていった。続いて1860~70年代における小中華意識の役割であるが、リード文も1860年代と70年代でそれぞれA・Bと分かれており、解答もそれぞれでまとめた方が良いだろう。リード文Aで「当時の朝鮮の政権」とあるのが、高宗の父である大院君を中心とする攘夷派だったことを想定したい。あとはリード文に記されているように、「衛正斥邪」の内容を拡大して西洋諸国を夷狄とみなして攘夷を進めたことからも、小中華思想が攘夷の理論的支柱となっていたことが読み取れる。リード文Bで「1876年」「条約調印」とあるのは前年の江華島事件をきっかけに日本が日朝修好条規を締結して朝鮮を開港させようとしたことが想起される。1860年代は「西洋諸国」を排斥する理論となっていた小中華思想は、1870年代では日本との条約調印反対の理由の一つとして用いられていることに注目したい。朝鮮ではこの後攘夷派と改革派、改革派の中でも親日派と親清派の対立が激しくなっていくが、1870年代時点においては日本への対抗として語られていた点を指摘して解答をまとめたい。


以上で終わり。問題数は少ないですが、知識も思考も着眼点も必要な感じでしたね。勉強になりました。

次回は首都大学東京改め東京都立大学の日本史あたりかな。

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