2020年 新潟大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、18本目は新潟大学の世界史。時代は古代・中世・近世・近現代。地域はアフリカ・アジア・ヨーロッパと万遍無い感じですが、アフリカテーマの問題がやや目立ちます。問題形式としては用語記述+論述で大問3題。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 アフリカ史・イスラーム史・キリスト教史

問1.解答 ア:アッシリア イ:メロエ ウ:アッラー(神) エ:ダウ船 オ:五行(六信五行)

解説 イスラーム史の基本問題。アはクシュ王国の後退についての問題だが、「前7世紀」にエジプトへ「侵入」といったキーワードから、オリエントを初めて統一したアッシリアと結びつかせたい。イはクシュ王国が後に都を置いた都市だが、メロエ王国とも呼ばれていたことも想起したい。このメロエ王国は後にエチオピアのアクスム王国に滅ぼされることとなる。ウは「ムスリム」の意味にあたるが、アラビア語では「神に帰依する者」という意味であり、イスラームの神といえばアッラーである。解答は神でもアッラーでも良いとは思うが。エは「海のルート」「三角帆の木造船」で判断したい。オは「イスラームの義務」であり、「メッカ巡礼」がそのうちの一つとあるので、五行が正解と思われるが、信仰内容も義務と捉えるなら、六信五行が解答となろう。

問2.解答 ムラービト朝

解説 「ベルベル人の王朝」といえばムラービト朝とムワッヒド朝が想定されるが、「11世紀」に「ガーナ王国」を攻撃したのはムラービト朝の方である。

問3.解答 イブン=ルシュド

解説 イスラームの「哲学者・法学者でもあり医学者」となるとイブン=シーナーとイブン=ルシュドが想定されるが、「アリストテレスの多くの著作について注釈」したのはイブン=ルシュドの方である。著作が示されていれば区別しやすかったと思うが、それぞれの人物がどのように活躍したかよく理解していないと難しかっただろう。

問4.解答 イスラームのセルジューク朝が勢力を広げ、聖地であるイェルサレムを占拠し、ビザンツ帝国を圧迫すると、ビザンツ皇帝は教皇に救援を要請した。当時の教皇であるウルバヌス2世はクレルモン宗教会議を開催し、聖地奪回のため第1回十字軍を呼びかけた。(117字)

解説 設問の要求は第1回十字軍の原因と目的について説明すること。条件として「ウルバヌス2世」「イェルサレム」「セルジューク朝」の語句を用いること。十字軍に関する論述としては、第4回十字軍に並ぶ定番問題。原因としては①セルジューク朝の進出②イェルサレムの占拠③ビザンツ帝国への圧迫④教皇ウルバヌス2世への救援要請といったところだろう。目的としては聖地イェルサレムの奪回のに尽きる。今回は問われなかったが、結果としてイェルサレム王国の成立も視野に入れておくといいだろう。

問5.解答 「祈り、働け」のモットーで、清貧・純潔・服従の戒律を課し、勤労に励むことを重視した。

解説 設問の要求はベネディクト修道会の教えの特徴を説明すること。キーワードとして「祈り、働け」「清貧・純潔・服従」といった言葉をまず想定したい。特に勤労については、生産労働を奴隷の仕事と考えていた古代の価値観を大きく変えることとなった。

問6.解答 スペインのトレドなどで、ギリシアの古典が、ギリシア語やアラビア語からラテン語へと翻訳された。

解説 設問の要求は12世紀ルネサンスの翻訳活動について説明すること。どこで・何を・何に翻訳したかが説明できていたら良いだろう。まず「どこで」だが、スぺインのトレドやシチリア島など、イスラームと接点の深い地域で進んだことが重要である。次に「何を」であるが、アリストテレスなどのギリシアの古典が翻訳された。キリスト教神学のスコラ学にも影響を与えたことをつなげておきたい。最後に「何に」であるが、ギリシア語やアラビア語から、当時のヨーロッパの学術語であるラテン語に翻訳された。以上を簡潔にまとめたい。

問7.解答 フランチェスコ

解説 「托鉢修道会」と聞くとまずフランチェスコ修道会とドミニコ修道会を想定したい。ドミニコ修道会は南フランスに設立された修道会。イタリアのアッシジに設立されたのがフランチェスコ修道会である。アッシジのフランチェスコはインノケンティウス3世とも会っており、何かと逸話の多い人物である。

問8.解答 坤輿万国全図

解説 「マテオ=リッチ」の「中国最初の漢訳世界地図」と来れば坤輿万国全図である。清代にブーヴェやレジスが作成した、中国初の実測全国図である皇輿全覧図と区別しよう。


第2問 モンゴル史

問1.解答 ア:ウイグル イ:ホラズム=シャー ウ:カラコルム エ:ワールシュタット オ:ラシード=ウッディーン カ:北元

解説 モンゴル史の基本問題。アは「モンゴル高原」で840年=9世紀半ばに崩壊した勢力といえばウイグルである。イは「西トルキスタンからイラン高原に展開」していた王朝で、チンギスに滅ぼされたものと言えばトルコ系イスラーム国家のホラズム=シャー朝である。ウは「オゴデイ」(オゴダイ)が築いた首都、から判断。エは「バトゥ」が「ドイツ・ポーランド連合軍を破った」戦いで判断。オは「『集史』をペルシア語で記した」歴史家で判断。カは「大元ウルス(元)」がモンゴル高原に後退して以降呼ばれた名なので北元であろう。

問2.解答 千戸制

解説 チンギスの再編した部族制といえば、全遊牧民を1000戸単位で編成した千戸制である。

問3.解答 イブン=バットゥータ

解説 『大旅行記(三大陸周遊記)』を完成させたムスリムの旅行家と言えばイブン=バットゥータである。作品名で即座に反応したい。

問4.解答 都:大都 教主:パスパ

解説 「冬の都」と問われると答えにくいが、フビライが築いた都と考えて大都(現在の北京)を導きたい。フビライの師である「チベット仏教教主」といえばパスパ文字を作ったパスパである。

問5.解答 銅銭や金・銀が用いられた他、交鈔と呼ばれる紙幣が使用され、やがて多額の取引や輸送の利便性から交鈔が主要通貨となった。(58字)

解説 設問の要求は13世紀の元における貨幣の使用状況について説明すること。元代の貨幣といえば銅銭・金・銀と紙幣の交鈔だが、それだけだと分量不足でもあるので、交鈔がメインで使用されるようになったことも説明すると良いだろう。

問6.解答 モンゴル人を主要官僚の中心としたが、西アジアや中央アジア出身の人々を色目人として財務官僚に登用した。また、科挙も回数を減らしつつ続けた。(68字)

解説 設問の要求は大元ウルスの官僚制度について説明すること。条件として「色目人」「科挙」「モンゴル人」の語句を用いること。リード文でマルコ=ポーロの『東方見聞録』が史料として用いられ、フビライが「はるかに巨大な実力を具有している」と評価されており、この評価を可能とした、という視点も必要な問題。元の官僚制度は中国の伝統的な官僚制度を採用したため、科挙も回数を減らしつつ実施したが、大きな特徴としては①モンゴル人で首脳部を独占したこと②交易に長けた西アジアや中央アジア出身の人々=色目人を財務官僚として登用したことであろう。

問7.解答 天候不順による飢饉が相次ぎ、困窮した農民が反乱を起こすようになった。そのうちの白蓮教徒による紅巾の乱で頭角を現した朱元璋が南京で洪武帝として即位して明を建国し、明軍は元をモンゴル高原へと後退させた。(99字)

解説 設問の要求は元がモンゴル高原へと退却することになった中国でのさまざまな混乱について説明すること。「さまざまな混乱」とあるので、単純に紅巾の乱で明建国、だけではなく、14世紀以降の天候不順や自然災害、度重なる飢饉、白蓮教の信仰の拡大などにも触れる形で説明できるといいだろう。聞かれているのはあくまで元がモンゴル高原へ退却したまでの話なので、永楽帝の即位やモンゴル遠征までは触れなくて良いだろう。


第3問 アフリカの植民地史

問1.解答 ア:ブール(ボーア) イ:ファショダ ウ:エチオピア エ:リベリア オ:周恩来 カ:平和五

解説 アフリカの近現代史に関わる基本問題。アは「オランダ植民者の子孫」「トランスヴァ―ル共和国とオレンジ自由国をたてた」から、南アフリカ戦争の別名でもあるブール戦争の名でもある、ブール人(またはボーア人)を想定したい。イはフランスの「アフリカ横断政策」とイギリスの「縦断政策」との衝突で判断。ウ・エはアフリカで第一次世界大戦直前までヨーロッパに分割されなかった国だが、「帝国」だったのがエチオピア、「共和国」だったのはアメリカの解放黒人奴隷が建国した、「自由」を意味するリベリアである。オ・カは「アジア=アフリカ会議」で「インドのネルー」と共に中国の首相が発表した原則なので現代史としてしっかり押さえておきたい。

問2.解答 アムンゼン

解説 「南極点に到達」「ノルウェー人の探検家」ならばアムンゼンである。北極点に到達したアメリカ人のピアリと区別。

問3.解答 セシル=ローズ

解説 「ケープ植民地の首相」「南アフリカ戦争」と来れば、カイロからケープタウンまで股に掛けた風刺画で有名なセシル=ローズである。

問4.解答 機関:インド国民会議 ねらい:ベンガル州をヒンドゥー教徒とイスラーム教徒それぞれが多数を占める地域に分け、両者の対立をあおり、イギリスへの反発運動を抑えようとした。

解答 「1885年に結成」「インドのエリート層からなる機関」ならばインド国民会議である。ベンガル分割令のねらいは、ヒンドゥーとイスラームの両教徒の反目を利用して反英民族運動を分断することであった。「ヒンドゥーとイスラームの分断」「反英運動の分断」についてまとめよう。

問5.解答 ドイツの首都であるベルリンとオスマン帝国の首都のビザンティウム(イスタンブル)、中東のバグダードをつなぐ形で植民地を拡大し帝国主義政策を進めること。

解説 設問の要求はドイツの3B政策を説明すること。まずは3Bが示す都市を明らかにし、帝国主義政策であることを説明すると良いだろう。

問6.解答 日英同盟はロシアの南下政策に対抗するため、日本にロシアを抑えさせようと締結した。日露戦争後で敗北したロシアが東アジアから撤退すると、今度は世界政策を進めるドイツに対抗するために英露協商を締結した。

解説 設問の要求は日英同盟と英露協商の目的について説明すること。条件として、当時のイギリスの世界戦略を鑑みること。当時のイギリスについては、リード文で3C政策にも触れられているように、植民地拡大を進めていたので、そうしたイギリスにとっての同盟(条約)締結の目的は何か、ということになる。日英同盟については、1900年の義和団事件以降も中国東北部から撤退しなかったロシアの南下政策に警戒したものであり、英露協商についてはリード文における英仏協商と同様に「海外進出を企図していたドイツへの警戒感」で締結したものである。それぞれ、対抗しようとしていた国をはっきりとあげれば良いだろう。

問7.解答 アフリカ統一機構(OAU)

解説 アフリカ現代史まで入念に学習が必要な問題。「1963年に開かれたアフリカ諸国の会議で結成」から判断。なお、2002年にはさらなる統合の推進や協力の強化を求め、アフリカ連合(AU)が結成されている。

問8.解答 非同盟諸国首脳会議

解説 「1961年にユーゴスラヴィアで開催」で判断。冷戦下の第三世界の動きとして重要。ユーゴスラヴィアは共産主義の国ではあるが、ソ連に対して独自の動きをとった。中心人物はティトー。


以上で終わり。こちらも定番問題って感じでしたね。一応『東方見聞録』が史料として引用されていましたが、読みこまなくても良いような問題だったのでもったいない。

次回は信州大学の日本史かなー。

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