2020年 福井大学 二次試験 日本史

かっぱの大学入試に挑戦、27本目は福井大学の日本史。時代は古代・中世・近世で1題、近代で1題の計2題。形式は用語記述+論述。史料読解・グラフ読み取りもあり。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 古代〜近世の信仰

問1.(1)解答 念仏

解説 『往生要集』の頻出の個所。「極楽往生するために必要な行い」からも判断したい。

(2)解答 人物:空也 寺院:六波羅蜜寺

解説 「京の市で庶民に布教」から市聖の空也を想起したい。鎌倉期の仏像である空也上人像は京都の六波羅蜜寺に安置されている。

(3)解答 作者:源信 目的:これまでの顕教や密教では極楽往生のための修行が多く、難しいものとされていたので、念仏によって極楽往生できるために、仏教の経典の要となる部分を集めようとしたため。

解説 『往生要集』の作者といえば源信だが、著した目的については史料の内容をふまえて答えると良いだろう。史料では「顕密の教法は、其の文一にあらず。事理の業因、其の行これ多し。」と、顕教と密教というこれまでの仏教では極楽往生するのが難しいことを述べ、(1)で答えたように、「念仏」によって極楽往生するために「経論の要文を集む」と説明している。

問2.解答 福島:白水阿弥陀堂 大分:富貴寺大堂

解説 「史料(あ)の(A)の教え」とは浄土教であり、院政期に浄土教が地方に広がって作られた阿弥陀堂といえば岩手の中尊寺金色堂・福島の白水阿弥陀堂・大分の富貴寺大堂が有名である。

問3.解答 予言思想:末法 戦い:前九年合戦(前九年の役) 内容:陸奥の豪族の安倍氏が国司と争い、陸奥守の源頼義と義家親子が鎮圧に向かい、出羽の豪族の清原氏の助けを借りて安倍氏を滅ぼした戦い。

解説 「仏法の衰える乱世に入る」とくれば末法思想の末法だろう。1052年から末法に入ると言われていた。その前年に東北で発生した戦いといえば、安倍氏vs源頼義・義家・清原氏の前九年合戦である。

問4.(1)解答 作者名:蓮如 人物:親鸞 著書:教行信証

解説 福井っぽい問題。『御文』と言えば蓮如が北陸などで布教する際に使用した平易な文章で教えをまとめたものであり、蓮如ら浄土真宗の開祖は親鸞。著書は『教行信証』で、弟子の唯円が記した『歎異抄』と区別が必要。

(2)解答 場所:吉崎(御坊、道場) 旧国名:越前 地名:山科

解説 とっても福井な問題。蓮如が滞在し、絵図として残っている地で有名なのは吉崎御坊であり、越前国=現在の福井県に所在している。蓮如が吉崎を去った後に本願寺を再興したのは山科であり、この山科本願寺が法華一揆にやられたあと、石山本願寺へと拠点が移ることになる。

問5.(1)解答 人物名:富樫正親 動向:20万人の一揆勢は守護である富樫氏の城を攻め落とし、富樫一族の者一人を守護に擁立した。

解説 「賀州土一揆」とあることから、史料は加賀の一向一揆に関わるものと判断したい。となると「富樫介」とは守護である富樫正親を示すであろう。一揆の動向としては、「一揆勢二十万人、富樫の城を取り回す。故を以て同九日城を攻め落とされ、皆生害す。しかるに富樫一家の者一人これを取り立つ」と史料中にあるところをまとめよう。

(2)解答 村落の道場本願寺から与えられた絵像が置かれ、道場ではによって結ばれた門徒の寄合がもたれ、信仰が深められた。

解説 設問の要求は「賀州土一揆」に参加した門徒らの信仰の方法について説明すること。条件として「講」「道場」「寄合」「絵像」「本願寺」の語句を用いること。つまり一向宗の信者の信仰方法についてまとめれば良いが、なかなかうまく言葉にしにくいところもあっただろう。ポイントとしては信仰の場としての「道場」、信仰の道具として「本願寺」から与えられた「絵像」、信仰の特徴として「講」による信者同士の結びつき、信仰の手段として「寄合」の存在があったことを説明していけると良い。

問6.解答 武士が知行地の百姓をキリスト教徒にすること・日本における人身売買・牛馬を売買し食べること

解説 史料中の「知行中の寺請百姓以下を(中略)給人伴天連門徒に成るべき由申し、理不尽に成しそうろう段、曲事にそうろう事」が一点、「日本において人の売買停止の事」で二点、「牛馬を売買、ころし食う事、是又曲事たるべき事」で三点の禁止事項となる。注も利用して史料を読み取り内容をまとめよう。

問7.解答 作者:金地院崇伝 理由:スペインやポルトガルの侵略を防ぐため・信者が団結し幕府に反抗するのをを防ぐため

解説 「1613年」に作成された文案ということで、史料は全国に向けた禁教令に関わるものと考えられる。作者は「武家諸法度」「禁中並公家諸法度」を起草した人物、とあるので金地院崇伝と判断したい。禁教令の理由としては教科書的にはスペインやポルトガルの植民地にならないため、キリスト教徒信者が団結するのを防ぐため、ということになる。ただ史料に即して考えるなら、日本は神国・仏国であり、神仏を尊ぶべきだから、とかキリシタンはたまたま日本に来ただけなのに邪法(キリスト教)を広めて神仏への信仰を惑わそうとするから、といった理由も読み取れるだろう。

問8.解答 国名:ポルトガル 理由:ポルトガルはキリスト教を広める危険性があり、またポルトガルとの貿易で手に入れていた品々は、オランダとの貿易で手に入れることが出来るとわかったため。

解説 史料Cは「1639年」に発令された定書とあり、いわゆる「鎖国」を決めた禁令ということになろう。となると史料中の「かれうた」とはポルトガルを指すと考えられる。ポルトガルの渡海を禁止した理由としては、史料Cの「きりしたん宗門の儀、其の趣を存じながら彼の法を弘むるの者、今に密々差し渡るの事」とある部分や、参考史料中の「我々は(中略)同じくらいの薬種や絹織物を日本に供給する方法を見出すことができる」とある部分に注目すると良い。ポルトガルはカトリックの国であり、キリスト教を布教していたイエズス会と同じ宗派であったが、オランダはプロテスタントの国であり、キリスト教の布教に力を入れていたわけではなかった。参考史料からはオランダが対日貿易を独占しようとうまい具合に話を進めていることがわかり、なかなか興味深い。

問9.解答 出来事:島原の乱 要因:島原・天草地方で飢饉が発生したが、領主が年貢を厳しく取り立て、キリスト教徒を弾圧したため。 制度:寺請

解説 史料Cの2年前なので1637年の出来事となる。「江戸幕府によるキリスト教政策を大きく転換させる」とまでくれば島原の乱(島原・天草一揆)を想起したい。乱の直接の要因としては、島原・天草地方における飢饉の中で、島原領主の松倉氏と天草領主の寺沢氏が領民に過酷な年貢を課し、キリスト教徒を弾圧したことである。「キリスト教徒を摘発するために設けられた制度」となると、まずは絵踏を想起するが、絵踏は島原の乱以前から行われており、「この出来事の後に」という条件にふさわしくない。となると寺院が檀家であることを証明する寺請(制度)が適切だろう。


第2問 近代日本の拡大

問1.解答 あ:開拓使 い:蝦夷地 う:秩禄処分 え:屯田兵 お:北海道庁 か:松方デフレ き:日清 く:日露 け:冷害 こ:北前船 さ:旧土人 し:アイヌ

解説 明治時代の社会・経済に関わる問題だが、グラフの読み取りなども必要となる問題。グラフについては空所補充より読み取らせたうえでの記述でもおもしろいと思ったけどいずれにしろ時代背景の理解が必要。[あ]は「1869年」に設置、「北海道」の開拓を進めたとなれば開拓使である。[い]は「北海道」のそれまでの呼称なので蝦夷地、[う]は「生活基盤を失った士族」で判断したい。[え]は「士族を対象」とくれば士族授産の一つであった屯田兵を想起したい。[お]はやや難だが、開拓使は1886年に廃されて北海道庁となった。[か]は「1880年代なかば」「農村の階層分解」で、松方正義の松方財政の結果起こった松方デフレを想起したい。[き]はグラフのⅠの時期が1895年から1899年頃で日清戦争後、[く]はグラフのⅡの時期が1905年から1909年頃で日露戦争と判断できる。[け]は「天候不順」「自然災害」「東北地方」から、冷害の影響で北海道への移住が増えたことを想定できる。[こ]は「東北や北陸」「近世以来の日本海海運」で江戸時代の北前船に結び付けたい。[さ]は「北海道」「保護法」の間に入る言葉を考えればよい。[し」は「和人と区別された先住民族」でわかるだろう。

問2.解答 小村寿太郎

解説 「ポーツマス条約の調印を行った外務大臣」と言えば小村寿太郎である。関税自主権の完全回復と合わせて押さえておきたい。

問3.(1)解答 ア:第3次日韓協約 イ:義兵運動(義兵闘争) ウ:韓国併合 エ:朝鮮総督府 オ:東洋拓殖会社

解説 韓国併合に関する基本問題。アは「韓国の内政権を奪い」で判断。イは「反日武装闘争」といえば義兵運動または義兵闘争。ウは「1910年」に強行した、から判断。エは「京城に設置」「植民地統治」から想起したい。オは「最大の土地所有者」「植民地開発事業を拡大」から東洋拓殖会社を押さえておきたい。

(2)解答 樺太は幕末の日露和親条約では両国雑居の地と定められたが、明治の樺太・千島交換条約により樺太はロシア領となった。しかし日露戦争後のポーツマス条約により、北緯50度以南の樺太が日本領となった。その後南樺太はしばらく日本の領土であったが、太平洋戦争末期のヤルタ会談にてソ連への南樺太の返還が連合国間で決まった。さらにソ連の対日参戦が始まると、南樺太はソ連軍に占領され、戦後サンフランシスコ平和条約により日本は樺太を完全に放棄することとなった。

解説 設問の要求は樺太の領土化とその後の推移を説明すること。条件として「ポーツマス条約」「ソ連の対日参戦」「両国雑居の地」「ヤルタ会談」「樺太・千島交換条約」の語句を用いること。樺太の帰属問題は割と定番な問題だが、「その後の推移」となると戦中・戦後にまで触れる必要があるので注意が必要。時系列をまとめると、1854年日露和親条約(樺太は両国雑居の地)➝1875年樺太・千島交換条約(樺太はロシア領)➝1905年ポーツマス条約(北緯50度以南の樺太は日本領)➝1945年2月ヤルタ会談(ソ連への南樺太返還)➝1945年8月ソ連の対日参戦(ソ連軍による南樺太占領)➝1951年9月サンフランシスコ平和条約調印(樺太の永久放棄)となる。

問4.解答 満韓移民集中論が出された時期以前はハワイへの移民が多かったが、それ以降はハワイへの移民は減少した。中南米への移民も増加の割合は少なくなった。ただ、アメリカ合衆国本土への移民はむしろ増加した。

解説 設問の要求は「満韓移民集中論」の発言の時期以前と以降の「日本からアジア以外の地域への移民の動向」の推移を説明すること。条件として図bを参考にすること。というわけで図bのグラフを読み取れば良いが、設問で「アジア以外の地域」とされているので、アジア・オセアニア方面の変化を読み取ってもここでは仕方ないだろう。「満韓移民集中論」は史料で示されているように1909年の発言であったから、そのころを境に起きている変化を読み取ればいい。するとちょうどそれまで最も多かったハワイへの移民が1906~10年の時期以降に減少し、変わってアメリカ合衆国本土への移民が増加していることが見て取れる。また、中南米への移民も1901~5年と1906~10年を比べるとだいぶ増加していたのが、1911~15年と比べるとほとんど増加していないことも読み取れる。こういった内容をまとめていこう。

問5.解答 昭和恐慌による大不況の影響を受けて、東北地方を中心に農家が困窮する農業恐慌が起きていたため。

解説 設問の要求は1930年代後半に満州開拓民の移住が急増した日本国内の経済的な要因について説明すること。問1における北海道への移住についての説明も参考にしたい。1930年代と言えば昭和恐慌が想起されるが、移住の背景としてはそれだけでは不十分で、移住の中心となったであろう農家が困窮した、農業恐慌について想起したい。恐慌の影響で米価が下がり、不況のため兼業の機会も少なく、都市で失業したものが帰農するなど東北地方を中心に農家の困窮が厳しくなっていたのである。

問6.解答 エ

解説 「帝国戦争遂行上」「絶対確保すべき要域」という文言、および「1943年9月」に出された史料だということから、絶対国防圏を想起したい。

問7.(1)解答 第一次世界大戦に参戦してドイツ領の南洋諸島を占領し、ヴェルサイユ条約により日本の委任統治領と認められた。

解説 設問の要求は南洋諸島が日本の統治地域となった経緯を説明すること。1914年第一次世界大戦勃発➝日英同盟を理由に日本参戦➝赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領➝1919年ヴェルサイユ条約により旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権獲得という一連の経緯を説明できれば良いだろう。

(2)解答 東条英機

解説 「サイパン」陥落により辞職したのは東条英機。太平洋戦争開戦時からの首相であったが、絶対国防圏陥落の責任を取り辞職となった。

(3)解答 本土空襲を行えるようになった。

解説 サイパン島陥落により、サイパン島の基地から米軍機が本土空襲を実施することが可能となったのである。

(4)出来事:アメリカの水爆実験により、日本の漁船の第五福竜丸が被爆した第五福竜丸事件が起きた。 社会運動:原水爆禁止運動 怪獣:ゴジラ

解説 「1954年」に南洋諸島で起きた出来事と言えば第五福竜丸事件である。この事件をきっかけに原水爆禁止運動が全国で高まりを見せた。この出来事に着想を得た映画と言えばゴジラである。「あるプロ野球選手の愛称」とは松井秀喜のことであるが今の受験生には通じるのだろうか。


以上で終わり。史料の読解やグラフの読み取りなど、なかなか意欲的な問題が多かったように思います。ゴジラを問う問題についてはヒントが多すぎというか、最後の一文は何のダメ押しなんだろうかと思ってしまいますね。

次回は福井大学の世界史。

#教育 #大学入試 #福井大学 #福大 #日本史

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