2020年 大阪大学 二次試験 日本史

かっぱの大学入試に挑戦、33本目は大阪大学の日本史。時代は古墳時代・平安時代・江戸時代・昭和戦前。形式は論述4題。おなじみのパターンです。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 古墳時代中期の倭国と東アジア

解答 古墳時代中期において、倭国は鉄資源を求め朝鮮半島南部に進出し、百済や伽耶諸国と密接な関係を築いた。4世紀末には勢力を拡大して南下してきた高句麗とも交戦し、5世紀には朝鮮半島南部をめぐる立場を強化するため、倭の五王が当時南北朝時代であった中国の南朝である宋に朝貢した。一方で朝鮮半島から渡来人がやってきて、鉄器や須恵器、機織りなどの技術や、騎馬や漢字と言った大陸の文化が伝えられていった。(193字)

解説 設問の要求は古墳時代中期において倭国が東アジア諸国・地域といかなる関係にあったのか具体的に述べること。まずは設定されている時期であるが、「百舌鳥・古市古墳群」が築造させたころの「古墳時代中期」とあり、おおよそ4世紀後半から5世紀末ということになる。この間の倭国と東アジア間の関係をまとめれば良い。おおよそ出てきうる事例としては、鉄資源を求めての倭国の朝鮮半島進出、加耶諸国や百済との関係、好太王碑に記された391年頃の高句麗と倭国の交戦、『宋書』倭国伝に見える倭の五王の朝貢(特に倭王武の478年の遣使を示す上表文)、朝鮮半島の渡来人から伝えられる大陸文化、といったところだろう。ただ、渡来人から伝わる大陸文化についても、儒教や仏教の伝来は6世紀以降とみられ、古墳時代後期に移ってしまうので注意したい。阪大の発表した出題の意図でも、「時期を完全に間違えていた答案もあった」とあり、日本史における様々な時期区分を理解しておきたい。


第2問 東北地方の支配権力の変遷

解答 11世紀後半、東北地方では豪族の安倍氏が力を持っていたが、国司との対立から前九年合戦が発生。源頼義と義家親子が出羽の豪族の清原氏の力を借りて安倍氏を討伐した。その後清原氏の勢力が強くなったが、清原氏の中で内紛が起こると、後三年合戦として源義家の介入で藤原清衡が勝利。以後100年ほど奥州藤原氏による支配が続いた。12世紀末には源頼朝が、弟の義経をかくまったとして藤原泰衡を滅ぼし、東北地方は鎌倉幕府の支配下に置かれることとなった。(212字)

解説 設問の要求は東北地方の支配権力がどのように変遷したのか具体的に述べること。条件として、11世紀後半から12世紀末にかけて、東北地方で起こった戦乱との関わりで答えること。平安時代末の東北地方の支配権力の変遷というシンプルな問題。大まかな展開を見れば、陸奥の豪族安倍氏➝(1051前九年合戦)➝出羽の豪族清原氏➝(1083後三年合戦)➝奥州藤原氏➝(1189源頼朝による奥州平定)➝鎌倉幕府の支配下、といった変遷になるだろう。あとは前九年合戦で活躍した源頼義、後三年合戦で活躍した源義家、奥州藤原氏の始まりである藤原清衡、終わりである藤原泰衡といった個別具体的な人物名を挙げていくと良いだろう。阪大の出題意図では「東北地方の政治史的展開を、戦乱と関わる現地の支配権力、源氏の武士名などとともに、正確かつ具体的に理解できているかどうか」を見ていたようである。


第3問 天保の改革と対外的危機

解答 天保期には、異国船打払令により外国船を打ち払うモリソン号事件が起き、外国との緊張が高まっていた。また、清がイギリスとアヘン戦争を起こして敗北し、南京条約を締結して香港の割譲や開国させられたといった情報が幕府に伝わり、対外的危機感が高まっていた。そこで幕府は薪水給与令を出し、さらに対外防備の強化を図るため、江戸・大坂周辺の地を直轄地とする上知令を出したり、海岸防備を強化するなどの対策をとった。(200字)

解説 設問の要求は天保の改革の背景にある対外的危機意識の内容と、改革で出された危機打開策の内容について具体的に述べること。天保の改革は水野忠邦によって始められた改革だが、1841年から1843年の短い期間の改革であったことにも注意したい。まず背景にある対外的危機とは、1つは異国船打払令を出したことによる外国との緊張の高まりであろう。特に天保の改革の始まる数年前の1837年にはモリソン号事件が起こっていた。もう1つは1840年に起こったアヘン戦争による清の敗北とイギリスの進出だろう。これも天保の改革直前にアヘン戦争についての情報が幕府に伝わっていたのである。こうした対外的危機に対し、天保の改革ではまず異国船打払令を緩和した薪水給与令を出したこと、次に対外防備を意識して江戸と大坂周辺の約50万石を直轄地にしようと上知令を出したことや海岸防備を強化したことが考えられるだろう。上知令が対外的危機の打開策の面も持っていたことに注意したい。阪大の出題意図では「(天保の改革)の時期に実施されたものと、それ以外の時期に実施されたものとの区別ができていないものが目立った」とあり、やはり改革の正確な理解が必要だったと思われる。


第4問 農業恐慌

解答 昭和恐慌により農産物の価格が下落し、さらにアメリカへの生糸の輸出が激減したため、繭価が暴落した。加えて豊作による米価の下落、北海道・東北地方では翌年の凶作で、困窮する農民が急増した。不況により兼業の機会も少なく、都市の失業者が帰農し、農村では欠食児童や女子の身売りが増えていった。政府は時局匡救事業として公共土木工事を行い農民を就労させ、農山漁村経済更生運動を始めて農村の自力更生をはからせた。(197字)

解説 設問の要求は農業恐慌が発生した要因・当時の農村の状況・政府による対策について具体的に述べること。問われていることは3点明確なので、それぞれを考える。まず農業恐慌が発生した要因は、①昭和恐慌による農産物の下落 ②昭和恐慌によるアメリカへの生糸輸出の減少➝繭価の下落 ③1930年の豊作による米価の下落 ④1931年には北海道・東北地方で凶作 ⑤不況による兼業機会の減少 ⑥都市の失業者の帰農 といった点が挙げられるだろう。⑥は次の当時の農村の状況と重なるかもしれない。というわけで当時の農村の状況としては、①欠食児童の続出 ②女子の身売りの続出 といったところだろう。最後に政府による対策としては、①時局匡救事業として公共土木工事の実施➝農民を雇用し現金収入させる ②農山漁村経済更生運動による農村の「自力更生」である。問われているのはあくまで「農業恐慌」の話なので、昭和恐慌自体についての説明は不要であるが、最後の「政府による対策」が答えにくかったかもしれない。阪大の出題意図でも、「教科書によっては、「政府による対策」のみ別の項目で扱っているためか、的外れの対策を挙げているものが目立った。また、第一次世界大戦後に連続する恐慌を概説的にまとめた答案もかなりあった」とあり、問われている内容にきちんと答えることが重要であろう。それにしても恐慌という国民が困窮する事態に「自力更生」を求める政府と言うのは、「自粛」による「自力救済」をさせようとするどこぞの政府と似てて嫌になりますね。


以上で終わり。割りとシンプルな問題が目立った印象でしたね。教科書の内容をただ羅列的に覚えるのではなく、それぞれの出来事を有機的に結び付けることが重要だということを感じました。

次は大阪大学の世界史。

#教育 #大学入試 #大阪大学 #阪大 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?