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こけし祭り

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・全国こけし祭りに関連するお話 ・鳴子町・全国こけし祭り第40回開催記念誌 『町はこけしに華やいだ』のお話
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2020年8月の記事一覧

こけしクラブと一万本のこけし

1964年の東京オリンピック。 東京から遠く離れた鳴子にとっても、 この年は、とても熱く、こけしの未来にも関わる重要な年だったようです。 鳴子中学校のこけしクラブは、東京オリンピックの選手団にプレゼントとして、 10000本のこけしを贈りました。 こけし工人さんも手伝いをしたようで、 その年の「こけし祭り」は中止、鳴子のこけし工人さんたちによって 奉納式だけは執り行なわれたようです。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【この年の奉納式での集合写真。昭和3

祭りとこけし工人たち

「こけし祭り」では、工夫を凝らした様々なこけしの展示や、 こけし工人さんたちによる実演が行われています。 工人さんたちがアイデアを出し、 時には会場レイアウトを中学校の美術の先生に協力していただいたことも あるそうです。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【会場の鳴子小学校講堂の展示風景。】 展示担当だった、こけし工人の高橋正吾さんは、 当時のことをこのように語ります。 ありがたかったのは、深澤コレクションの展示のために、並べながら、一本一本手で触って

祭りと町の人々②

前回のお話に引き続き、 宮本たねさん、佐藤タケヨさんを中心に、 町の人々の「こけし祭り」への思いを、探っていきたいと思います。 その頃のお祭りっていうと、ひと月位前からウキウキしてね。祭りの日は店も休み。駅前から温泉神社の下まで出店もいっぱい並びました。うちの店の前にも毎年決まったおばさんが店を出して、もうなじみでしたよ。「こけし祭り」といったって、子供のみこしは出るし、組合が仮装に凝るし、こけし工人さんだけじゃなくて、町の人が張り切ったものだったんです。 (佐藤タケヨさん

祭りと町の人々①

今回から、何回かにわたり、 町の人々から見た「こけし祭り」について探っていきたいと思います。 特に、町の人々が盛り上がったのは、「こけし祭り」の仮装行列。 鳴子の美容師会会長、観光協会の副理事も努めたことのある、 宮本たねさんは、仮装行列にかける思いをこう話します。 「こけし祭り」の仮装行列では、毎年何をやろうかと頭をしぼりましたよ。 お祭りには何か目立つものがいるし、私はお祭りがとっても好きだったから、 色々工夫したんです。仮装行列は入賞を競うものだったんです。だから各

人材が揃っていた昭和23年頃

この第四十回開催記念誌を読めば読むほど、 「こけし祭り」を始めた頃の、工人さんたちや町の人々の勢いに驚かされます。 今回は、何度かこのマガジンの中にも登場している、 「こけし祭り」を中心となって盛り上げた人たちに 思いを馳せていきたいと思います。 --- 戦後、若い工人が高橋武男さん(こけし工人)のところに 自分の作品を持って集まって互いに批評し合う会があったんですよ。 第一回の「こけし祭り」で動いたのは、このメンバーでした。 第一回「こけし祭り」が実現できたのは、この

2回目のお祭り

1回目のこけし祭りから5年ぶりに復活された、第2回こけし祭り。 どんなことをしていたのか見ていくと、 1回目にも負けず劣らずとても濃い内容です。 今回は、2回目がどのようなお祭りだったのか、見ていきたいと思います。 --- ○秀作こけし展示会 天江富弥所蔵のコレクション200点のほか、鳴子・東京・仙台のこけし会所蔵の逸品が、老舗高亀さんを会場に開催されました。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【老舗高亀さんでの秀作こけし展示会の様子。後ろには東北の各

鳴子を訪れた人、愛した人

前回の画家の谷内さんに続き、 こけしに惹かれ、鳴子を愛してくり返し訪れた人たちを紹介したいと思います。 交流はこけし研究家にとどまらなかった。 こけしに惹かれ、鳴子を愛して繰り返し訪れた人の中には、 画家や作家、陶芸家、染色家、デザイナーも多い。  (全国こけし祭り第四十回開催記念誌より) 愛好家や研究家の他に、文化人と呼ばれる人たちをも惹きつける、 当時の鳴子温泉やこけしの魅力がどれほどのものだったのかが分かります。 また、谷内さんと同様に、 工人さんとの交流の中で、

交流の思い出

記念すべき一回目のポスターを描いたのは、画家の谷内六郎さん。 谷内さんの絣の着物を着た女の人が山をバックに赤い笛を吹いているポスターは、 とても評判が良く、予備が全てなくなってしまうほどだったとか。 また、第一回こけし祭りの準備段階からかかわっていた、 鳴子ホテル会長高橋正夫さんの家にも、谷内さんから贈られた油絵があります。 鳴子と谷内さんにはどんな繋がりがあって、描くことになったのでしょう。 「町はこけしに華やいだ」の正夫さんと、妻の尚子さんのお話から、 その理由を探

ハリボテこけし

今やこけし祭りには欠かせない「ハリボテこけし」。 「ハリボテこけし」が、夜の鳴子の町を練り歩くパレードは、 こけしが好きな人も、そうでない人も、見る人すべてを虜にします。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 その始まりは、「こけし祭り」第1回目の昭和23年から。 「こけし祭り」に欠かせなかったハリボテこけしは、ずっと手づくり。 ところが私たちが作るのは不恰好でやたら重くてかぶりにくいんですよ。 41年のことでしたか、こけしの現物から正確な比率をとり、

こけし座談会

たくさんの研究家や愛好家、他の産地の工人さんたちが集まり、 毎年開かれている「こけし座談会」。 今回は、「町はこけしに華やいだ」の こけし工人の高橋武男さん、櫻井昭二さんのお話から、 当時の「こけし座談会」のことや、 そこに集まったこけしの研究家や愛好家について書きます。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【こけし座談会の様子。こけし研究家の天江富弥さん(一番左)と工人さんたち。】 一回目は温泉神社の社務所で「こけし座談会」が開かれて、 確か「こけしとい

鳴子と温泉とこけし

鳴子と温泉とこけし。 「こけし祭り」をやるようになって、この3つが結びついたといえると思います。それまでは気づいていても結びつけるための方法論がなかったんですね。 ( 武男さんのお話より) そう語るのは、「こけし祭り」開催の中心的な役割を果たした、 こけし工人の高橋武男さん。 今回は、「町はこけしに華やいだ」の中から、 どのように鳴子と温泉とこけしの3つが結びついていったのか 書きたいと思います。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【手前は岡崎斉の店、そ

1回目のお祭り

昭和23年にはじまったこけし祭り。 1回目はどのようなお祭りだったのでしょうか。 ○ハリボテこけし こけし祭りお馴染みのハリボテこけし。 第一回目からすでに登場していました。 ハリボテはこけし工人手作りです。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 ○惟喬親王に仮装してのパレード 木地師の神様、惟喬親王に仮装してパレードが行われました。 第一回目は、櫻井昭二さんが惟喬親王に扮し、岡崎斉司さんが付き人役となり、 牛車に乗ってこけしを挽きました。 こけし工人による

お祭りのはじまり

今回は、「町はこけしに華やいだ」の 高橋武男さんのお話より、 お祭りのはじまりについて書いていきます。 お祭りのはじまりは昭和23年。 鳴子を愛したこけし研究家の深澤要さんが、この前年に亡くなりました。 「こけしは鳴子に始まり鳴子に終わる」と書き、 戦前から、愛情をもって鳴子温泉を歩き、工人と付き合い、 四十二歳で夭折したこけし研究家の深澤さん。 深澤さんの願いは「こけし歌碑」と「こけし博物館」をつくることだったそうです。 その願いを受け、鳴子温泉と天江富弥さんらとの

はじまりから70年

昭和23年(1948年)にはじまった全国こけし祭り。 第一回開催から70年以上続くこけし祭りは、2019年に65回目を迎えました。 こけし祭りはどのようにはじまったのか、 鳴子の人々がどのような想いで作り上げてきたのか、 鳴子以外のまわりの方々にどう支えられてきたのか、 そんな歴史や想いがまとめられた1冊の本があります。 平成7年(1995年)に発行された、 鳴子町・全国こけし祭り第40回開催記念誌 「町はこけしに華やいだ」。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌