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【怖い話】なかから

私の仕事は、コールセンターのオペレーター、要するにお客様窓口で電話やメールの対応です。

それはそれとして、今からお話することは、ぜーんぶ私の創作怪談ですので、あしからず。

私が所属しているのは、ネットワーク機器……まぁ、ルーターとか、小型のデータサーバとか、そういうものを売っている会社の、技術相談窓口でして。
まあ、Wi-Fiが繋がらない、初期設定の仕方がわからない、機械が壊れた……そんなご相談を解決するお仕事です。
主に法人相手のお仕事なので、客層は割とよくて、怒鳴り散らされたりすることはあまりないのですが、まぁ時々、本当に意味が分からないことを仰るお客様もいらしたりして。

今回は、そんなお客様のお話です。
その方は、私の部署では珍しい、個人のお客様でした。

お電話ありがとうございます、ナントカ社の技術相談窓口の誰々です。いつもの通りヘッドセットを身に着け、そんな口上を述べるのですが、そのお客様、そうっと声を潜めるような、ひそひそ話をするような、そんな声で、「データサーバーのパスワードを変えられてしまったみたいで、アクセスできなくなってしまったのだ」とおっしゃいます。
……はて、パスワードを、変えられてしまった?
パスワードを忘れてしまった、というのは割合よくあるご相談ですが、なんだか妙な言い回しでした。
パスワードを忘れてしまったというのなら、とりあえず機器を初期化して、デフォルトのパスワードに戻してしまえば解決します。そんなことを丁寧に説明していると、それを遮るようにお客様がおっしゃいます。「うん、そう思ったから僕も初期化したんだけれど、だめなんだ」
だめ、とは。初期化がうまくできていないのでしょうか。ちょっとばかり癖のある機器なので、それも時々ある話でした。これまた丁寧にそんなことを説明していくと、思いつめたような声でお客様が言います。
「初期化をして。デフォルトのパスワードで、一度はアクセスできたんだ。だからまた、パスワードを設定し直して」
それなら初期化はできている筈です。
「それで、もう一回アクセスしようとしたら、また、パスワードが変わっていて」
……それは……お客様のパスワードの打ち間違い、では? 最大限、言葉を選んでそんなことを伝えますが、もちろん、それはちゃんと確かめている、と。
とにかく、もう一度、電話口で案内する通りの手順で、お客様に機械を操作して、初期化をしてもらって……戸惑いながらも、そう案内をして。
「……ああ、うん。デフォルトのパスワードで入れたよ」
お客様のその言葉を聞いて、ほっとひと息。
あとはパスワードを変更してもらって、そのパスワードでもう一度アクセスできれば、それで……。
「あれ、何か勝手にログアウトした、もう一回入り直すから……え?」
え?
「また、アクセスできなくなった……」疲労が濃い声でした。
え??
何で? そんなことある訳がない。それは、その機器の挙動として、あり得ない動きでした。
「……これってさ、中からじゃないと、変えられないよね?」
中? いわゆるローカルネットワーク、家の中のネットワークということでしょうか?
確かに、同じネットワークの中にある、別のパソコンから、誰かが嫌がらせでパスワードを変更するということは、可能です。
しかし、パスワードを変更するなら、もとのパスワードを知らなければならないはずで……そんなことを説明しながら、私まで落ち着かない気持ちになってきてしまいました。
「そういうことじゃなくて、いや」
だけど、お話を聞く限り、このお客様は一人暮らしで……あれ? なら、このお客様は一体、どうして、誰に聞かれたくなくて、こんなひそひそ話を?
「いや、そうじゃなくてさ、そうじゃなくて」
思わず黙り込んだ私に、もどかしげにお客様が続けます。
「そういうことじゃなくて……パソコンの、中……、とか」
……はい?
「ああ……うん、そう。分かった、うん、そういうことなら仕方ないか……うん、ありがとう」
え? 何? 待って?
「あ、メールはいらないから。見られたら面倒だから」
その言葉を最後に、お電話は切れてしまいました。
「もういいっていうなら、もう相手しなくていいよ」
相談した先輩は素っ気なく、私は仕方無しにその履歴に「対応済」のタグをつけ、上長に提出しました。

一体、あの電話は何だったのでしょう。
お客様が、所謂少しおかしな人だったのか、ただ私がからかわれたのか、あの機器に、特定の環境下で発生する未知のバグがあったのか……、それとも……
「パソコンのなかの問題だっていうなら、うちの保証範囲外だよ」
先輩は、そう言いましたが……。
確かなのは、私は、パソコンのなかの、なにかに怯えるあのお客様の悩みを解決できなかったし、これからもきっと解決する術がないということでしょうか。

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