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子孫・遺伝子を残すことについて

子孫を残すこと。遺伝子を残すこと。子に未来を託すこと。次世代に生命を繋ぐこと。
これらを人生における至上命題、究極の目的とする価値観も見受けられる。

上記について、自分の考えを整理してみた。
子をもうけないことによる社会保障へのフリーライドや人工再生産により担保される社会の持続性が云々といった観点はひとまず置いておく。
この記事では、それらを抜きにした筆者個人の、個体としての純粋な価値観を記載する。


結論から言うと、子孫・遺伝子を残すことについて自分としては「どちらでもいい」

こどもがいた方が幸せな人生になりそうな気はしつつ、パートナーが否定的な意見であれば子なしもそれはそれでいいかなという程度。
愛していない人との間に子をもうけるくらいなら、愛するパートナーと子なしの人生を歩みたい。

子孫・遺伝子を残すことについてどちらでもいい理由は主に3つあり、それぞれ以下のとおり。

①こどもは親と別個の人格・存在

どこかで「こどもは親の所有物ではない。『授かりもの』ではなく『預かりもの』。独り立ちするまで一時的に預からせていただいているだけに過ぎない」といった意見を見かけたことがあり、かなり納得した記憶がある。

こどもは親の遺伝子の継承先・乗り換え先かもしれないが、それ自体が1人の人間であり、(愛しい我が子でありつつも)親とは別個の人格・存在である。

そのため、「自分が死んでも遺伝子がこどもの中で生き続けるからそれでいい」的な考え方がどうもしっくり来ない。遺伝子が生きている?のは別個体でだし、意識を共有したり乗り移ったりできるわけでもない。

こどもの人生は「自分」の物語の続きではなく、その子自身の物語である。
子孫を残した場合物語は終わらずに続いていく……などということはなく、自分の物語は自分の人生で完結する。


②今後も残るかは微妙

自分が子をもうけたとして、その子がさらに子をもうけるか、遺伝子を次世代に繋いでくれるかは割と怪しい。
不意の事故などで死んでしまうかもしれないし、能力や病気や巡り合わせの関係で希望があってもこどもができないかもしれないし、子をもうけない選択をするかもしれない。

次世代以降にも子孫・遺伝子を残したい場合、これは非常に憂慮すべきリスクだ。多産でリスクヘッジしたところで、「ちょっと運が悪かった」だけで全てが断たれてしまう。
そしてこれは自分の子世代に限ったことではなく、孫世代、ひ孫世代……と永続的に続くリスクである。

筆者としては、そんなあまりに不確かなものに自分の全てを託すかのような考え方はせず、比較的自分がコントロールできるもの・していいもの、安定的な保存等が期待できるものに力を注ぎたい(これについては後述する)。

そして、遺伝子メインで考えて子に託すとなると、何としても子を成すようこどもをコントロールしたい欲が出てしまいそう。「遺伝子」への信仰に関する宗教二世問題感もある。
「遺伝子を残させようとすることの何が悪いのか?」という開き直りがあってもいいと思うが、少なくとも筆者はその手の毒親にはなりたくない。


③残したいのが「遺伝子」かと言うと……

筆者にも「自分が生きた証を残したい」という欲望はある。
しかし、残したいものが「遺伝子」かと言うと正直微妙なところ。

遺伝子は先天的なものであり生まれてからの活動で後天的に変わるものではない。子に受け継がれるのは生まれた時に持っていた遺伝子であり、後天的形質=獲得形質は一般に遺伝しない。

自分が後天的に習得したこと・得た能力は何も次世代に反映されず、「自分が生きた証」という感じがしない。しかも遺伝子は代を経るごとに「自分」の要素がどんどん減っていく

そう考えると、自分の中で「遺伝子」は絶対的な位置を占めてはいないという結論になった。自分の人生における最重要テーマ・集大成はそれではない、と。
(自分とパートナーの組合せの遺伝子が残った方が嬉しいは嬉しいので托卵は絶対NGだが)


●では何を残したいか?

「自分が生きた証」として遺伝子は微妙、では何を残したいかと言うと、何かしら自分なりのコンテンツ(作品、記録など)がよいのではないか、という気がしている。自分の場合はnoteで書いているようなものなんかがそうだ。

これなら自分が残したいものを概ねそのまま残すことができる。
ネットの海に放流するもよし、データで記録媒体に保存するもよし、印刷するもよし。特に、出版物として国会図書館に電子や紙で納本すれば、より安定的かつ長期的な、半永久的な保存が期待できる。

まあこれは別に遺伝子を残すことと二者択一ではないので、関心があるならどっちもやっておくとよいかと思う。

ただ、自分としては、何をどう残そうが極めて長い時間軸で考えると結局は失われるという前提で考えている。子孫が永遠に繁栄し続けるわけはないだろうし、データも紙媒体も永遠に残り続けはしないだろう。
いずれにしろ自己満足であることに変わりはなく、その上でどのような自己満足を取るか、何を残すか、あるいは残さないかは個々の価値観次第という認識。


なお、これは人生を大きく左右するテーマなので生涯を通してじっくり考えたいところだが、そう悠長に構えてもいられない。

遺伝子を残したいとなっても年齢的に手遅れな場合がある。しかし、こどもができてから「やっぱこどもいらないわ」となってもこれはこれで割と手遅れなので、迷うなら子をもうけた方がいいともなかなか言いづらい(ただ、どちらかと言えば後者の手遅れの方がまだマシか)。

そのため、このテーマについてはある程度の年齢になる前に自身の中で結論を出しておいた方がいいと思う。筆者が出した結論はこの記事のとおりだ。

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