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言葉の日に人生を振り返る

はじめに

みなさん5月18日は「言葉の日」です。言葉の日は「横浜みなとみらいBUKATSUDO連続講座 言葉の企画2019」の企画生らが同名の「ことばの日」を制定。記念日は2019年(令和元年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された記念日です。当社のメンバーもこの企画生として関与していたらしく社内でも少し話題の記念日だったりもします。
先日当社のマネージャー陣の中でも話題にあがり、何か書こうということで私はnoteに「言葉」について記すことにしました。
あ、最初に言っておきます。長いと思います。

私にとって言葉となは何か

昔mixiのプロフィールにも書いた内容なんですが、私は言葉に対してすこし拘りを持っています。
みなさんは「魔法使い」ってどんな人を想像しますか?たぶんトンガリ帽子を被って黒いマントに大きなはてなマークみたいな杖を持っていて、ごにょごにょ唱えると火の玉を出したりするファンタジーの世界に要る職業を思い浮かべるんじゃないでしょうか。最近ハリーポッターのゲームもリリースされて大ヒットを飛ばしてますしね。
ファンタジーの世界の魔法使いは、呪文を唱えることで敵を打ち破ったりドアを壊したり、邪魔な大岩をどかしたり、手ではできないことをやってのける存在だと思うのですが、この「呪文」っていうのは英語では「Spell」(スペル)と言い「Spell」っていうのは日本語で言うと「言葉」に当たるもので、魔法使いは言葉で手を触れずにものを動かす人と考えられます。
私は幼少の頃から魔法使いが大好きで大きくなったら魔法使いになりたいと言っているほどでした。今でもオンラインゲームを始めるときはだいたい魔法使いから初めて茨の道を歩みます。茨の道だと分かってても歩みます。
大人になり、私は「言葉」で物事を動かす魔法使いになりました。
文芸部を経て、小説の執筆、雑誌の執筆、技術本なんかも執筆したり、パソコンショップの店頭でマイクを持ってお客さんにパソコンを売ったり、デザインチームを率いてWebサイトの運用をしたり、言葉を使って生きてきたといっても過言ではありません。
なので、言葉に対して強い拘りと敬意を持っています。

中学生の頃文芸部に所属していた岩崎

人生の方向性を変えた言葉

45年以上も生きていると、人生の転機みたいなものをいくつか経験するものです。私もこれまで幾度となく人生の転機を経験しましたが、人生の表裏がひっくりかえった言葉があります。
15歳くらいからパソコン通信を始め、日々の生活はパソコン通信が中心となり、交友関係も学校や会社ではなく、ネットワーク上の誰かと一緒にいる環境となりました。当然当時パソコンていうのは安くても1台30万円程する高価なおもちゃであったことから、交友関係はだいたい20代後半から40歳くらいまでの自分とは親子程差がある人達となります。
その中で特に私の面倒をよく見てくれていた当時50歳〜60歳くらいの大人が5人程いて、学費や食費という生活費はもちろん様々な部分でサポートをしていただきました。
私が20歳になった頃、彼等に「大人になったら絶対恩返しする」と行ったときその中の一人がこんなことを言いました。

「いいか、俺達はお前に恩を売ってるんじゃねーんだよ。楽しいからやってるんだ。だから恩返しなんていらねーんだよ。もし、どうしても恩を返したいと思うなら、自分が大人になって若い連中に自分ができることをやってやれ。そんな立派な大人になれたらならそれが一番の恩返しってもんだ」

ほんと映画に出てくるようなクサい言葉ですよね。
でもなんか当時この言葉がすごく心に刺さり、自分の生き方として常に「誰かのために」を意識して生きるきっかけとなりました。彼の言葉は弱冠20歳という私を一夜にして「大人」にしたんだと思います。
私はそれ以来、住む場所を提供するというのを軸に自宅を下宿場にして若い人たちの成功を応援したり、家庭に問題を抱えた若い人を保護したり、夢を見て上京する若き挑戦者を応援する生活をしています。
もう、彼はこの世にはいませんが彼の意思や生きるマインドは私に受け継がれています。私も受け売りではあるものの、同じようなクサい言葉を時々発するようになり、齢45を過ぎ、ようやく恩返しができてきてるんじゃないかと思っています。

自分の意思を尊重するようになった言葉

私はあまり自分の生き方に自身がなく、言われたことをなんでもやる。やめろと言われるか体を壊すまでやめない性格でした。唯一自分の人生において自分の意思で初め、自分の意思で今でも続けていることがあります。
それは「ゲーム」です。私は今でも毎日ゲームをします。なんのために生きているのかと聞かれたら「ゲームをするため」と答えることにしているくらいゲームが好きです。私に「どんなゲームが好きですか?」なんて野暮な言葉は言わないでください。私は「ゲーム」が好きであって特定のタイトルが好きというわけではないんです。ゲーム自体、ゲームに関わる全てを愛しています。先日46歳の誕生日を迎えたのですが、友人より頂いた誕生日プレゼントの中で一番うれしかったものは「ゲーセンによくある灰皿」です。

当社喫煙者は入社できない会社なのでたばこは吸いません。一皿120円です。

そのくらい「ゲーム」が好きなのですが1本だけこれまでの人生において「好きなゲーム」があります。それがスクウェア・エニックスより2001年7月19日にリリースされた

「Final Fantasy X」(以降:FFX)

です。
このFFXですが、私の人生に対する「向き合い方」を変えた1本なのです。何が私の意識を変えたかというと、このゲームの序盤に出てくる主人公「ティーダ」と、謎の指導者「アーロン」。平和だった世界ザナルカンド突如現れたモンスター「シンのコケラ」!逃げ惑う民衆たち!ティーダもアーロンを探しながら目的地もわからず走り続けます。
夜空に現る時空の裂け目に吸い込まれるティーダとアーロン。絶体絶命のピンチ!!なのに指導者アーロンは落ち着いた面持ちでティーダに問う。

アーロン「さあ どうする!今こそ決断する時だ!死んで楽になるか 生きて悲しみと戦うか!自分の心で感じたままに 物語を動かす時だ!」

「覚悟を決めろ 他の誰でもない、これはお前の物語だ!」

どうよ。かっこよくて痺れるっちゃろ。
この瞬間から私は、私の物語を生きていると自覚して人生に向き合っています。ほんとこのゲームすごいので、もし未だにプレイしたことない読者がいましたら是非プレイしてみてください。
私は年に1本FFXを誰かにプレゼントするということを17年間続けています。今年は岐阜県に住む知らない高校生に贈りました。崩壊スターレイルが忙しくてプレイできていないようです。

この世に必要の無い言葉

冒頭にも書きましたが、私にとって言葉は魔法です。人を幸福にもできるし、人を死に至らしめることもできる地球上で唯一人類が持つ力です。
その言葉の中には、危険なものが多数あります。この記事の最後に危険な言葉の話をしようと思います。
私は今まで三度人生を終わらせようと思ったことがあります。その一回目は言葉によるものでした。
当時私は仕事も忙しく朝から晩まで会社にいて点滴しながら仕事をしていたこともあるくらい仕事をしていました。コンテンツの制作会社に所属していて、昼は印刷、夜は映像、朝は3DCG制作なんていう有給休暇に希望もへちまもなく24時間戦うサラリーマンでした。
16歳くらいから付き合っていた年上の彼女もいて、もうこの人と結婚するんだ、ちゃんと稼いでないと駄目だと、給料も良かったので日々仕事に邁進していました。
でも、私が子供だったんでしょう仕事ばかりで彼女と一緒にいる時間をないがしろにしたことが原因で、ある日別れを告げられました。
「私といるより仕事してるほうが楽しそう」なんていう月次な言葉を言われた私は当然そんなことないと必死に…多分言い訳をしたんです。
いろいろと言い訳をする私に彼女は一言

「もういいよ」

という言葉を発しました。
この一言は、両者の関係を否応無しに断ち切る黒い魔法の言葉です。私はそれ以来一言も発することができず、失意に飲まれしばらくは言葉も出なくなり食事もできず、それまでやっていた仕事もできなくなりました。体重は34Kgまで落ちていました。今思うと絶望してたんだろうなと思います。そこから先は長くなるので割愛しますが、周りに支えられ、運もあって生きていますが、この当時のことは一生忘れないでしょう。

みなさんはこの「もういいよ」という言葉、とっさに言ってしまうことってありませんか?私は今でもこの「もういいよ」という言葉を聞くと脳が過剰に反応します。
言葉の日だから敢えて言います。

「言葉には気をつけよう」

私もとっさに他人が傷つく言葉を言ってしまっていることはあるかもしれません。自分がそう思わなくても相手にとっては弱点かもしれません。
失敗してしまうこともあるかもしれません。でも、気をつけようとする意識は持って言葉を使うことを自戒も込めてお伝えしたいと思います。

最後に伝えたいこと

言葉は、伝える相手を幸せにできる素晴らしい魔法です。
喧嘩したり、意見の食い違いがあって、激しく言葉をぶつけ合うこともあるでしょう。
でも忘れないでください。言葉は強力な魔法です。どんなときでも相手へのリスペクトと自信の優しさを持って使いこなしてください。その気持は多分強い言葉であっても相手に伝わるものだと思います。


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