見出し画像

コーポレートデザイン再設計のエッセンス②

Ⅱ.コーポレートデザインの基本概念

 経営環境激変の中でビジネス転換を企図する企業が最初に考慮すべきは,経営環境の何が,どのように変わっているのかを明らかにすることである。そして,それが当該企業にとって,どういった影響を与えるのかについて知ることである。それなくしてビジネスを闇雲に進めると,元も子もなくなってしまう。当然であるが,変化への対応は早すぎても遅すぎても成果を収めることはできない。いかに巨大な組織であっても持てる経営資源は希少であり限界があり,タイミングが重要である。また,ビジネスを運営し組織力を強化していくために,組織を形成しているメンバーの管理体制も重要である。さらに,時として対立矛盾に陥ってしまうステークホルダー間の関係を上手くコントロールすることも求められる。経営者は,さまざまな経営資源をどのように組み合わせるかを考え,その資源をどのように調達し,パートナーや顧客とのコミュニケーションをどのように行い,いかなる流通経路と価格体系の下で財・サービスを提供していくのかといった事業構造とそれを展開するための基本的な活動プロセス,つまり「企業の全体構造」を再設計していかなければならないのである。
 ここでは,企業の全体構造を経営環境との関係から設計し直すことを,「コーポレートデザインの再設計」と呼ぶ。
 「コーポレートデザイン」とは,収益やṶけ生み出す事業の仕組み・仕掛けで設計である「ビジネスデザイン」,それを有効かつ効率的に機能させる組織管理の仕組み・仕掛けである「マネジメントデザイン」,さらにステイクホルダー間の関係を調整する企業統治の仕組み・仕掛けである「ガバナンスデザイン」,それらの総体である。そのため,経営環境の変化に適合したビジネスデザインを構築したとしても,それを適切に運営するマネジメントデザインの体制を整備できなければ,期待通りのパフォーマンスをあげることはできない。
要するに,企業が期待されたパフォーマンスをあげるためには,環境変化,ビジネスデザイン,マネジメントデザイン,ガバナンスデザインの間の適切な組み合わせが成立しなければならないのである。

図表1. コーポレートデザインの概念

図表1コーポレートデザイン

1.変化する外部環境

 以下では,企業を取り巻く外部環境の主要な要素である,「市場環境」「技術環境」「競争環境」「制度」の変化とその影響について考えていくことにする(注8)。

(1)市場環境の変化

 外部環境の中で最も身近なものは,市場環境である。
 生活者が形成している消費市場の変化,すなわち需要の変化である。日本の場合およそ300兆円が個人消費であり,13億人超を抱える中国の消費市場の規模は約650兆円と日本の倍以上である。どちらの国においても経済に占める生活者の割合は大きく,日常生活が経済状況を左右しているのである。
 冒頭でも述べたが,経済の動きが消費者行動に大きな影響を与えることを実感したのは,バブル経済崩壊前後であった。1987年の円高不況後始まったバブル経済最高潮時の消費者の購買決定の要因は,崩壊後のそれと全く異なっていた。バブル経済の中で生活者の間に高価格品は付加価値が高く,それが購買欲求や意欲を喚起するといったムードが蔓延していた。そのため,企業側も市場が求める以上の機能やサービスを提供することに躍起になり,オーバースペックであることを当然のように評価する傾向にあった。当時の家電製品には使用方法の分からない多くのボタンやスイッチがついていた確かな記憶がある(注9)。現在まで続く過剰包装もその一例であるが,無駄も付加価値の一つなのであろう。

図表2. 1980年〜1995年までのGDP推移

図表2
出所:World Economic Outlook Database, October 2020

 ところがバブル経済が崩壊すると,市場の価値基準は一変して生活者の購買行動も大きく変化した。高価格志向は一掃され,いわゆる「価格破壊」が拡散した。生活者はメーカーが設定した定価(小売希望価格)での購入を拒否し,より廉価なものを求めてディスカウントショップ(DSS)(注10),カテゴリーキラー(注11),100円ショップ(百均)といった業態に群がるようになった(注12)。もっとも,価格破壊はそれほど長く続いたわけではない。果して「平成不況」と命名される頃になると,市場は低価格だけで購買意欲を喚起されることが少なくなった。TPOに応じて高級品や高価格品を求める人々が登場するようになり,「市場の二極化現象」がいわれるようになると市場はますます不透明感を増した。
 「不況,不況」といわれる中で,銀座に世界の高級ブランドショップが軒を広げていた。一円でも安い日用品や食品を求める一方で,ブランド・ショッピングをしたり,一流ホテルやレストランでランチタイムを楽しむなどの相反行動がみられるようにもなった。一昔前であれば,前者は金持ちの行動パターンであり,後者は貧乏人(注13)の行動パターンとして理解されていたが,ニューミレニアム時代の「市場の二極化」パターンはそれほど単純ではなかった。裕福な専業主婦がメルセデスに乗ってファーを羽織って百均を日常的に利用するし,低所得で日々倹約を迫られている非正規社員の若い女性がルイヴィトンの高級バッグを身につけているのも珍しいことではない。そのため,市場は,ますますターゲットを絞りきれない複雑さや不透明さが強くなった。

図表3. 1980年〜1995年までの日経平均株価

図表3
出所:日経電子版ヒストリカルデータ
https://indexes.nikkei.co.jp/nkave/archives/data?list=monthly

 また,市場の変化が街の様相も変えた。2007年の夏以降東京銀座の中心部に,「ファスト・ファッション」と呼ばれるSPA業態(注14)のアパレルの大型店舗が立ち並び始めた。スウェ−デンのH&M社日本第1号店の開店を皮切りにして,わが国最大SPAのユニクロ(UNIQLO),世界最大SPAブランドのZARA,そしてSPAの生みの親ともいえるGAP社などの大型旗艦店舗である。オートクチュールやプレタポルテといった高級アパレルとは違い,高価格でも高級でもなく,本来であれば銀座とはいかにも不釣合いである。古の銀座は変わり,それが発信するイメージも徐々に変容しつつある。果たして,パンデミック直前のインバウンド・ブームの最中には,中国人観光客であろうか,アジア人観光客の観光バスが長蛇の列で銀座通りを占有していた。パンデミックの収束後,銀座は,どのように変わっているのだろう。
 いずれにしても,市場は経済状況によって大きく左右される。それに加えて,生活者の購買方法にも変化がみられるようになった。平成不況の中で百貨店の統廃合が進むと,ここ数年はスーパーマーケットの売上も伸び悩んできた。さらに,一人勝ち状態であったコンビニエンスストア(コンビニ)の成長にも陰りが見え始めた。小売業界の中で,店舗を持たない通信販売市場だけが拡大してきた。テレビやラジオの番組の幕間のCMではなく,一つの番組として組み込まれ,そこで直販するようにもなってきた。中には,プログラムの中で別の企業のCMも流れるものまで見られるようになった。加えて,eコマース(EC)市場も急拡大している。とりわけ,パンデミック下の緊急事態宣言が市場変化を助長していることも事実である。流通構造の変化が生活者の購買行動にも影響を与えている。米国マーケターのローランド・ホールによれば,店舗販売型の流通システムの中で,一般的に消費者は「注意(Attention)→興味関心(Interest)→欲求(Demand)→記憶(Memory)→行動(Action)」,すなわち「AIDMA」という購買行動をとってきた(注15)。しかし,インターネットの普及で消費者が検索サイトを活用して情報を収集し,FacebookやTwitter,InstagramなどのSNSを通して,面識の有無に関係なく多くの他者と容易に情報交換するようになった。すると消費者の購買行動が,「注意(Attention)→興味関心(Interest)→検索・比較(Search)→行動(Action)→情報共有(Share)」へと変化した。「AIDMA」から「AISAS」への変化である(注16)。

図表4. 購買行動の変化

図表4

 その結果,市場や消費者の手にする情報は質量とも格段に向上し,時として企業のそれを上回るまでになっている。しかも,情報を拡散させる「おしゃべり好き(情報共有)」の消費者の数も確実に増えている。実は,市場は確実に着実に賢くなっており,侮ることのできない怖い存在に育ちつつある。
 また,インターネットの普及は,従前魅力ある市場ではなかった潜在市場も顕在化させた。2割の優良顧客が売上の8割を稼ぎ出すといった「パレートの法則」に支配されてきた流通システム下では商売が成立しなかった「ロングテール(注17)」という巨大な潜在市場が顕在化してきた。ロングテール市場では,それまで「死に筋商品」としてしか扱われることのなかった商品が収益源とみなされるようになる。限界費用が限りなくゼロに近いエコシステムの下で,無視されてきた80%の潜在市場の顕在化である(注18)。もはや,「オタク」市場は,オタクだけのものではない。

図表5. パレートの法則とロングテール現象

図表5


図表6. 外国人観光客の推移

図表6
出所:日本政府観光局(JNTO)公表データより作成https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/visitor_trends/

 さらに,日本の「内なるグローバル化」が新しい消費市場を誕生させてきた。アジアの発展途上国の多くが急速な経済成長を遂げてきた。少子高齢化が進み人口減少傾向にある日本にとって,訪日観光客の増加は大歓迎である。幸いなことに,アジア圏の各国の人々にとって未だ日本は魅力的な国であるようで,ここ数年のインバウンドブームの波に乗って観光客数は鰻登りであった(注19)。加えて,「低コスト・低サービス」を追求するLCC(Low Cost Carrier)がアジア市場で本格的に稼働したことも,発展途上の国々のグローバル化や観光業推進に一役買っていた。訪日観光客による「内なるグローバル化」は経済的便益だけでなく,市場の多様化を促して,硬直化した市場の柔軟性を高めることにも有益である。硬直的で同質的な市場は,大きな変化に直面した際に壊滅する確率が高くなる。大きな変化に耐えうるために柔軟性・弾力性を強化しておくことも重要である。「内なるグローバル化」は,日本市場の多様性を高度化するという意味でも重要であり,パンデミックのできるだけ早い収束が待たれるところである。いずれにしても,市場環境の変化は,コーポレートデザインの再設計を促す大きな要因なのである。

(2)競争環境の変化

 コーポレートデザインの再設計を促す変化の第二は,競争環境である。変化の一つは,盛者必衰サイクルの短縮である。近年,特定業界・業態の中での勝者と敗者の入れ替わりが著しく短くなっている。今昔を問わず特定の業界で一旦トップの座についたとしても,その地位に長くとどまり続けることが保証されるわけではない。近年,その入れ替わりは余りにも激しい。
 20世紀世界の自動車産業を支配していたのは,「ビッグ3」といわれた米国企業であった。また,長年に亘って世界の写真フィルム市場でトップの座に君臨していたのは米コダック社である。PCが市場に登場したばかりの1980年代初頭,多くのメーカーがビッグブルー,IBMの後塵を拝していた。1990年を前後して日本のPC市場は,「C&C」のNECに完全に牛耳られていた。日本のGMS業界で常にトップの座に君臨していたのは日本最初のスーパーマーケットのダイエーであり,液晶事業で世界のトップを走っていたのは「目の付け所が違う」シャープであった。確かに,これら当時のエクセレント・カンパニーは大成功を収めた後も,成功を続けていくに十分な資源や組織能力を保有していた。
 しかし,20世紀の勇者の多くは,21世紀になると間もなく,トップの座を追われ,市場から姿を消したり姿を変えたり,あるいは第一線から退いたりした。安寧の時代は,そう長くは続かなかったのである。『両利きの経営』を著したオライリーC.A.とタッシュマンM.L.の「50年前であれば,いや20年前までも,経営者には時間がたっぷりとあった。変化への対応が少々遅れたとしても,Ṣ回できたのである。それが,もはや通用しなくなっている」との指摘通りである(注20)。
 盛者に登り詰める時間が短くなる一方で,業界のトップに上りつめても,その地位を守り続けられる期間が短くなっている。トップになった瞬間から新しい競争と向き合わなければならない,戦国時代の下剋上状態である。敵は次々と新しい武器を準備して挑んでくるため,その度毎に新たな対応が求められる上に,その間合いも短くなっている。ネットサービスの草分けだったYahoo!は,日本市場でも先行者として市場を拡大したが,Amazonや楽天が登場すると市場を一挙に奪われた。わが国最大で1,000万人まで会員を集めたSNSのミクシィも,Facebookに反撃する間もなくシェアを奪われてしまった。
 そして,競争環境の変化を促しているもう一つの要因は,経済のボーダーレス化,企業活動のグローバル化の進展に伴う変化である。わが国で近年急速に国内市場のグローバル化,「内なるグローバル化」が進むとともに,日本市場でも外国企業との競争激化を招いている。しかも,それら競合は,手の内を知った欧米先進国のグローバル企業だけではない。アジアの新興企業やそれらによって買収されたグローバル企業などの新参企業(ニューカマー)の参入である。かつてと比べて財力・魅力が失われたとはいえ,1億人超の豊かな生活者を抱えている日本市場は,おいしい市場である。その上に,彼らのルールや常識がわれわれのそれとはかなり異なっていることから,手の内もほとんどわからず,徹底的に攻め込まれることも度々である。例えば,世界最大の家電メーカーになった中国企業ハイアール社は,小型冷蔵庫生産の国営メーカーであったが,三洋電機を提携すると一挙に家電のフルラインメーカーに変身している。いつの間にかである。
 さらに,ニューカマーの中には,同じ業界・業態だけでなく従前なら直接対峙することのなかった業界・業態から予告なく乱入してくる企業も少なくない。業種・業態を超えて産業のボーダーレス化に挑戦してくる競合は新しい武器を手にしており戦い方も違う。例えば,トヨタがgoogleと競うことになると考えた者がいるだろうか。Amazonが巨大なプラットフォーマーとしてネットワーク・システムを各国政府に提供するなどとは想像さえしなかったであろう。まして,日本の電信電話事業を独占していた電電公社(注21)の末裔が,eコマースのAmazonと競合することになるなどと10年前に想像する者などいなかったはずである(注22)。かつて競争関係とは無縁だった業種・業態がその気配を感じさせることなく,市場に食い込み制覇してしまうこともあるのである。
 しかも,「昨日の味方が,今日の敵になる」ことも珍しくない。情報技術の革新と企業活動のグローバル化が急速に進展する中で,境界不明瞭なボーダー上で闘争が展開されている。例えば,iPhoneやiPadの委託生産をしている台湾EMS企業の鴻海(ホンハイ)も,液晶メーカーのシャープを買収したことで下請け製造専業アウトソーサーからの転身の用意は整っている。もしかすると,鴻海がappleの最大の敵になるかもしれない。また,文房具メーカー,プラスの通販子会社としてスタートしたアスクルも,そうした例の一つといえる。競合他社の製品を扱うことが不可欠な文具通販に参入することは,文具メーカーとしては非常識な行動であり社内の多くが反対した。併せて,メーカーが直販をすることは顧客である文具店にとって裏切り行為にもなる。本社にとっても,文具店にとっても,白昼夢であった。しかし,アスクルのビジネスモデルは精巧で両者の問題を解決した。当初両者の説得に必要であった「エージェント制度」などという方便も,20年を経て状況が大きく変わっている中では,もはや無用になっている。
 このように競争環境の変化がコーポレートデザインの再設計を迫っているのである。その意味で,かつて強者であったがためにサクセストラップに陥り易い日本企業が,ニューカマーたちの格好の㕒食になってしまう可能性は決して低くないのである。

(3)技術環境の変化

 第三の要因は,技術環境である。
 1980年代半ば以降に進化を遂げたデジタル技術は,コアプロダクトである半導体の集積度と処理速度の大幅な向上によって日進月歩の発展を遂げてきた。そうした性能向上と反比例するように電子機器の価格が大幅に低下して,PCのコモディティ化とインターネットの普及を促した結果,本格的な「ネット社会」が到来した。そこでは,B2B取引の範囲を拡げ大幅な効率化を実現して生産性が大幅に向上した。また,B2C取引においても,ワンツーワン・マーケティングによる市場の囲い込みやEC市場の拡大など消費市場を変容させただけでなく,C2C取引をも大いに活性化させた。さらに,SNSはヒトとヒトのコミュニケーションの手段や方法,その内容を変えるとともに,情報の受け手であった普通の人々を能動的な表現者やサービス提供者へと変身させることにもなった。われわれ生活者の日常生活は,アナログ技術からデジタル技術への技術軌道の変化によって,20世紀後半のわずかな期間で革新的進歩を遂げたのである。いうまでもなく,社会構造や産業構造を変容させているのは,ICT分野の技術革新だけではない。バイオテクノロジー分野のイノベーションによって,第一次産業の農業が第二次産業と第三次産業を取り込んで「第六次産業」といった新分野の産業を誕生させた。観光地では,ブランド牛やブランド豚,ブランド魚が大人気である。また,医学分野の新発見や技術革新によって多くの疾病が解明され数多くの生命が救われているし,かつてならば頻発しかねなかったパンデミックを未然に防いでもいる。環境技術の発展によって地球の持続可能性もかろうじて担保されているし,エネルギー革命なしに環境問題を回避することもできない。これに限らず,科学分野のイノベーションがあってこそ,今日のわれわれの生活は維持されているのである。
 とはいえ,いかに優れた科学者であっても,当該分野の技術の詳細な内容まですべてを熟知しているわけではない。かといって,ビジネスをメインにしている企業に期待することはできない。しかし,ビジネス側もその分野の技術がどういった方向に進もうとしているのかという,「技術軌道」を明確に把握しているべきである。自社のビジネスに直接関わる技術はもちろんのこと,主要な科学分野の技術軌道を知らずして変化に対応していくことができないことは当然である。
 技術軌道だけでなく,ビジネスにとって技術変化がどのくらいのスピードで市場に普及するのかということが重要なことはいうまでもない。例えば,自動車が世界市場シェアのおよそ50%に普及するまで80年以上の時を要している。米国で大量生産体制を確立した自動車産業は,米国市場で普及し産業としての地位を確立した後,欧州先進国市場で普及した(注23)。その後,多品種少量生産を可能にするリーン生産方式を導入した,日本メーカーが,国内市場を開拓するとともに欧米先進国にも輸出するようになった。時を経て,アジアの開発途上国の市場を開拓すると,1980年代には世界の自動車市場の半分以上を日本企業が供給するようになった。こうして自動車は世界市場普及したが,1980年に至るまで世界で自動車普及率は50%前後に過ぎなかった(注24)。高額な自動車の普及率が各国の一人当たりGDPに連動することが影響したのであろう。
 それに対して,フューチャーフォン(携帯電話)が一般市場に登場して世界市場の80%ほどに普及するまでに20年程であったし(注25),同様に1995年に本格化したわが国でインターネットの利用率が約90%になるまでわずか20年であった。また,2007年に米国で発売されたスマホは5年を待たずに世界標準になっている。これらの製品・サービスの価格が自動車に比べて廉価であったことも一因であろう。しかし,このことは世界が「漸進型社会」から技術・製品のライフサイクル・スピードの速い社会に変容していることの証左でもある(注26)。例えば,携帯電話メーカー,ノルウェーのノキア社は,携帯電話市場で世界一であったにもかかわらず,スマホ市場への参入を断念せざるを得なくなった。また,1980年代後半世界最大シェアのレコード針メーカーであったナガオカも,CD市場の予想を超えた急拡大と普及スピードによって解散に追い込まれている(注27)。
技術環境の変化を知るには,技術軌道とともに技術の市場への普及スピードも考慮しなければならない。

図表7. 技術と製品の変容

図表7

 このように技術環境の変化は,コーポレートデザインの再設計を迫っているのである。

(4)制度の変化

 第四の要因は,制度の変化である。
 ここでいう制度とは,法律や規制,商慣習・商慣行などであり,それが企業行動にとって大きな制約条件となっていることはいうまでもない。法律や規制を無視して事業を継続することはできない反面,規制緩和がビジネスチャンスを大きくすることも少なくない(注28)。過去50年間の規制緩和を振り返ってみると,その多くは,経済のボーダーレス化や民営化がその理由である。
 例えば,1990年代半ばわが国の金融市場は諸外国の圧力によって開国を迫られた。グローバル・スタンダードを突きつけられた日本政府は,金融ビッグバンを回避できず,参入を許されていなかった外国の金融機関に市場が開放された。その結果,強力な国際競争力を持った黒船が大挙して日本市場に参入してきた。黒船にとってバブル崩壊以降,多額の不良債権を抱えていた日本の金融機関は格好のターゲットであった。その結果,わが国の金融機関は規模に関わらず合従連衡策を選択せざるを得なかった。旧財閥系に加えて群雄割拠していた大手銀行が姿を消し,現在に至っては全国規模で事業を展開するメガバンクは,三菱UFJ銀行,三井住友銀行,みずほ銀行の三行のみとなっている。
 事の善し悪しは㙽に角,伝統的な金融システムの瓦解が,金融業界以外のさまざまな産業全体にも影響を及ぼしたのである。財閥系銀行を頂点にして形成されてきたバブル経済崩壊以前の古い産業構造は,金融機関の統合によって構造改革を余儀なくされた。従来系列の取引先・顧客企業で株式の持ち合いを行って企業間の結びつきを強化し収益機会を増やして,他の系列企業や外国企業からの買収の防波堤となっていた護送船団が瓦壊したのである。そして,このことが企業経営における株主の立場を大きく変容させることにもなった。無口で無力な株主が企業の所有者として力を発揮し始めた。当然のように企業統治が問題となって,コーポレートガバナンスという用語が᷿でも飛び交うようになった。その後,会社法の改正などを経て今日に至っている。

図表8. わが国の主な規制緩和(1985〜2005)

図表8

 また,グローバルスタンダードの御旗の下で,国際会計基準(International Financial Reporting Standard: IFARS)の導入が企業活動に大きな影響を及ぼしている(注29)。かといって,それを無視することもできない。さもなければ,足かせをつけた状態のままグローバル市場で事業展開することにほかならないし,資金調達の面でも大きなハンディキャップを負うことにもなってしまうからである。
 他方,民間による経済活性化をスローガンに,戦後日本の経済社会の根幹に変化を求める規制緩和が積極的に進められてきた。明治維新以来,国家によって独占されてきた郵便事業が2005年に民営化され,全国一律で展開されてきた郵便事業は民間企業に開放された(注30)。全国に盤石なネットワーク網を構築してきた宅配業者にとって大きなビジネスチャンスのように思われた。結果的に激しいサービス競争,価格競争に晒されることになり,早々ヤマト運輸は郵便事業から撤退した。もっとも,それまでのヤマトの宅急便事業の成功は,多くの運輸規制緩和に対する挑戦の結果であった(注31)。

図表9. 銀行の合従連衡の歴史

図表9
http://www4.airnet.ne.jp/koabe/misc/bank.html

 とはいえ,規制緩和だけが是とは限らないのも事実で,事象に応じて規制強化の動きも進みつつある。公害規制や個人情報保護法などはそうした事例である。また,ネット社会の拡大に伴って想定していなかったような事件が起こり,法規制が必要になってきた。もちろん,そうした規制強化がビジネスチャンスとなることも少なくない。
さらに,コンプライアンス(法令遵守)だけでなく,社会的存在,社会の公器として常識的に守るべき,目にみえない規制や道義的・倫理的責任にも配慮が不可欠である。今や企業の社会的責任(CSR)に対して関心が高まり,自発的にそれに取り組まない企業は成長はおろか存続さえ保証されない。地球環境への配慮はもとより,企業を取り巻くすべてのステイクホルダーに対する配慮も企業に強く求められるようになっている。内部統制システムの強化や公益通報者保護法の施行などコーポレートガバナンスに関わる規制強化にみられるように,経営者に対して誠実さと高潔さが求められるようにもなってきたのである(注32)。
 企業が特定の国や地域に拠点を置いて事業を展開する場合,そこでの法制度や風習,商慣習に従わなければならないことはいうまでもない。制度を理解し遵守して,企業を成長・発展さらに進化させていくためにも,コーポレードデザインの再設計が必要なのである。

2.企業の内部システム

 これまでみてきたように,企業を取り巻く外部環境は絶えず変化しており,それを無視することはできない。ビジネスでは,何がどのように変わり,ビジネスに対して,直接間接にどのような影響を及ぼしているかを分析することが不可欠なのである。
 以下では,それに適応する企業の内部システムを構成する三つの要素,ビジネスデザイン,マネジメントデザイン,ガバナンスデザインについて考えていくことにしよう。

(1)ビジネスデザイン

 コーポレートデザインの第一の要素であり,収益を生み出すための仕組み仕掛けが「ビジネスデザイン」である。
 ビジネスデザインは,個別事業の展開方法やそのための具体的仕組みや仕掛けを設計すること示しているのであり,「ビジネスモデル特許」で脚光を浴びるようになった情報通信技術を利用したビジネス手法を示すことに限定するものではない。企業が収益を生み出すための仕組み仕掛けとしてのビジネスデザインは,企業が存続と持続的成長を実現するために市場で展開している事業の基本的方向と価値創出の具体的方法論,および収益を生み出す事業領域などを指している。
 そこで,既存事業を強化することによって企業力が増大するのか,あるいは新規事業を立ち上げることによって事業領域の拡大を図っているのか,国内あるいは海外市場を主力市場としているのかなど,事業展開の方法とそのための「ビジネス・コンプレックス(事業複合体)」を設計することがビジネスデザインの要諦となる。また,いかなる技術や資源を組み合わせて事業構造や収益構造を構築しようとしているのかや,どのようなバリューチェーンを構築あるいは変革することによって事業革新を実現していくのか,そして,企業力を強化するために資源をどこからどのような方法によって獲得していくのかなどの意思決定の仕組み作りもビジネスデザインの機能と密接に関連している。
 いうまでもなく,収益を生み出すための仕組み仕掛けは,それを取り巻く企業の外部環境に左右されるので,その変化や動向をどのように認識するかが重要になる。経済的動向がどういった傾向にあるのか,市場や顧客はどういった変化をみせるのか,あるいは技術軌道はどういった方向に向かい,市場への普及速度はどの程度であるのか,そのとき競合はどういった行動をするのか,競合状態は現在と同じなのかなど,さまざまな視点から経営環境の変化を仮説することが求められるのである。

(2)マネジメントデザイン

 コーポレートデザインを構成する第二の要素は,企業を機能させるためにデザインされる組織管理の仕組み仕掛け,すなわち「マネジメントデザイン」である。
 ゴーイングコンサーンである企業の究極的な目的は存続にある(注33)。企業が究極的目的を達成するためには,持てる経営資源を効果的・効率的に活用して,価値を生み出していくことが求められる。そこで,企業の理念やビジョン,戦略など企業方針や企業文化をどのようにメンバーが共有し,どういった組織体制を構築して人を配置し活用していくのか,組織を構成するメンバーをいかに管理し,モチベーションを高め,能力を強化していくのかなどが,マネジメントデザインの要諦となる。いうまでもなく,それと収益を生み出すビジネスデザインとの適合を維持することは重要な課題となる。象とネズミのように,がたいが違えばそれぞれの時間軸に差があることは,言うまでもない(注34)。
 ビジネスデザインとマネジメントデザインのミスマッチが,企業のパフォーマンスに大きな影響を与えることは想像に難くない。高品質・低価格で日本製品が世界市場を席巻していた1980年代,終身雇用,年功序列を中核に据えた日本的経営は,輸出主導で経済成長を支えるビジネスデザインを底支えしていた。日本的経営は,当時の日本企業にとって最適なマネジメントデザインであった。バブル経済崩壊後,凋落する日本企業の多くがビジネスデザインの再設計を試みた。しかしながら,経営状況が激変する中で,好循環を生み出していたビジネスデザインとマネジメントデザインとの関係にヒビが入りギクシャクし始めた。変化する経営環境が,終身雇用や年功序列,同質性によって生み出されてきた強さを許容しなくなったのである。そこで,多くの企業がコーポレートデザインの再設計にチャレンジした。しかしながら,一部を除いてそれに成功する企業は出現してこなかった。
 COVID-19のパンデミックによってニューノーマル(新しい日常)が求められている現在も,バブル経済崩壊直後と同様,新しいビジネスデザインとマネジメントデザインとの関係の見直しが求められていることは確かである。それは,今後の日本経済,日本企業にとって,極めて重要な選択となるに違いない。

(3)ガバナンスデザイン

 コーポレートデザインの第三の要素は,企業統治に関わるガバナンスデザインである。
 従来多くの日本企業は,日常的に身近な少数のステイクホルダーとの関係に注目して経営してきた。つまり,顧客よりも従業員や経営者,会社のオーナーであるはずの株主よりも債権者である銀行を重視し,他のステイクホルダーはなおざりにされることが多かった。製品・サービスを提供することに集中してきた反面,自社の製品・サービスが引き起こした環境問題や社会常識に反する行為などには大きな関心を向けず,問題が表面化してから初めて対処するのが通例であった。コーポレートガバナンスに対する関心が高まるにつれて,さまざまなステイクホルダーとの関係が改めて問い直されるようになった。顧客満足度(CS)は高まっているか,経営者は企業価値を高めるような経営を行っているか,環境やリサイクルに配慮した製品設計や生産活動を行っているか,従業員満足度(ES)は高いかなど,すべてのステイクホルダーとの双方向関係を強く意識せざるを得なくなった。この点については,前節の「制度の変化」で詳述したので,ここでは簡単に触れるだけにする。
 いずれにしても,経営環境が変化する中で,ビジネスデザイン,マネジメントデザイン,ガバナンスデザインをそれぞれ再設計し,それらを齟齬なく機能させることが求められているのである。

8) ここであげた4つの要因だけに必ずしも限られる訳ではない。

9) 使用できないわけではなく,使用方法を購入者が理解できないという意味である。

10) ディスカウントショップとは,廉価販売の大規模量販店のことをいった。

11) カテゴリーキラーとは,一定の流通経路は省くことによって価格低廉化を行った小売業者である。例えば,「カクヤス」「アオキインターナショナル」など。

12) 1990年初頭のバブル崩壊後に,希望小売価格を決めかねた一部のメーカーが,オープンプライス制度を導入している。

13) 貧乏人というと言葉が悪いかもしれない。「市井の人」というべきかもしれない。

14) スペシャリティー(S)・ストア・リテーラー・オブ・プライベート(P)・レーベル・アパレル(A)」の頭文字で,「自社ブランドを販売するアパレル専門店」のことである。1980年代に米国GAP社が自らの業態を説明するのに使用した。2021年2月の報道によると,2020年の売上世界一のアパレル企業は,ユニクロである。

15) ローランド・ホールは1920年代のアメリカの販売・広告の実務書の著作者である。

16) AISASは,わが国最大のPR会社である電通(株)による分析に基づいて,2004年に明らかにされた概念である。

17) クリス・アンダーソン,『ロングテール─「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』,ハヤカワ・ノンフィクション文庫,2014年

18) ジェレミー・リフキン,『限界費用ゼロ社会〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』,柴田裕之訳,NHK出版,2015年

19) 2019年の訪日外国人観光客の数は史上最高であったが,2020年のパンデミック以降,このブームも一気に収まってしまった。

20) チャールズ・A.オライリー&マイケル・L.タッシュマン『両利きの経営』に詳しいので参照。

21) 日本電信電話公社(電電公社)は1985年に民営化した特殊法人であり,日本の電信電話事業を独占していた。

22) この典末として,NTTは2021年中にNTTドコモを完全子会社として取り込み,競争力強化を図ることになった。

23) Raymond Vernon, “STORM OVER THE MULTINATIONALS The Real Issues”, Harvard University Press, 1977年,(古川公成訳,『多国籍企業を襲う嵐─政治・経済的緊張の真因はなにか─』,ダイヤモンド社,1978年に詳しいので参照。

24) 図表7技術と製品の成長を参照。

25) 国際電気通信連合(ITU: International Telecommunication Union)2019年公開版による。

26) こうした社会は「リープ・フロッグ」社会と呼んでもいい。同様のことは,オライリー=タッシュマンも指摘している。『両利きの経営』pp.85-87

27) 解散後,同社の事業の一部を山形ナガオカが引き継いだ。1999年商号を株式会社ナガオカに変更した。因みに2010年頃よりアナログレコードの人気が回復傾向にあり,レコード針の生産が増えている。

28) 内閣府の試算によると,2005年度における1990年代以降の規制改革の経済効果は,約18兆3,452億円となっている。

29) 現在,日本で求められている会計基準は,日本会計基準,米国会計基準,国際会計基準,国際会計基準の日本版である。

30) 郵政民営化は,2005年,小泉政権の下で実施されたいわゆる「郵政選挙」で決められた。

31) ヤマト運輸宅急便を誕生させた故小倉昌夫氏が,旧運輸省や旧郵政省と規制緩和を巡って激しく対立していたことは,つとに有名な話である。

32) 岩﨑尚人,前掲書,pp.251-259,白桃書房に詳しいので参照。

33) 生物学的アナロジーに従った場合である。

34) 本川達雄,『ゾウの時間ネズミの時間サイズの生物学』,中公新書,1992年に詳しいので参照。

Top画像はイメージです original image: / stock.adobe.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?