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難民/入管問題に関する講演についての備忘録①

はじめに

これは、長い間、難民を支援し、入管と文字通り戦ってこられたある弁護士の先生の講演会の内容の備忘録です。
本来であれば、その先生の許可を得た上で、講演者のお名前、講演会の日時、場所、講演タイトルもきちんと記すべきものです。しかし、ここに備忘録を公表する上で、講演会の先生の許可をまだ頂いていないということ、もう一つは、私の聞き間違いなどがあった場合に無責任な情報発信になりかねないということ、私自身の考えも付せて記すという理由などにより、先生のお名前等は伏せることにしました。

コンゴ共和国から日本に逃れてきた男性Aさんのケース。

1.なぜ、日本を選んだのか。

 コンゴでは公然と政府批判をすることはできない状況。Aさんは、たまたまテレビに出演する機会があった際に、政府を批判するような発言をしてしまった。そしてある夜、家にいたところを急襲され逮捕、拷問を受けた。知人が警察関係者に賄賂を渡し、なんとか脱出した。
 コンゴの公用語はフランス語なので、Aさんも当初はフランス語圏への脱出を検討していたが、たまたま国外脱出のチャンスとして、日本行きのルートが確保できたため、急遽日本に向かい、難民申請を行うことにした。

(私のメモ:よく、インターネット上で、難民の方や難民の支援者が日本政府の難民政策/入管問題を批判するのを聞いて、「そんなに日本が嫌いなら、そもそも日本に来るな。難民を積極的に受け入れている他の国に行け」といった無知に基づく書き込みを散見するが、このAさんのケースを見ても分かる通り、日本は第一候補ではなかったケースも多い。たまたま、最初に得られた国外脱出のチャンスが日本行きだったにすぎない。そして、文字通り命が危険にさらされている難民は、日本以外の「第一候補」の国に行くチャンスを悠長に待っていられない立場である。
 一方、遠い日本の国について、世界第三位の経済大国でG7のメンバー国であり、繰り返し国連の非常任理事国にも選ばれているような立派な民主主義国だという良いイメージがあり、それなら自分のような難民も温かく迎え入れてくれるだろうという期待を持っていた人も少なくない。そして我々は、その期待を裏切り続けている。)

2.空港で難民申請をするとどうなるか

 もちろんコンゴ政府を批判したせいで逮捕され、拷問されているくらいだから、コンゴを脱出する際に、普通に自分のパスポートを提示して出国手続きをできるわけがない。だから、Aさんは支援者が用意してくれた偽造のパスポートを使用せざるを得なかった。
 もし、Aさんが、そのまま偽造のパスポートでまずは日本に入国し、その後、支援者を頼って難民申請を行っていれば、まだその後の展開は変わっていたかもしれない。
 しかし、Aさんは正直だった。そして、日本はコンゴとは違い、民主主義国であって、命からがら逃げてきた難民を、当然、優しく受け入れてくれる国だと信じ切っていた。
 だから、日本の空港の入国カウンターで、Aさんは正直に、「実は私のこのパスポートは本物ではないのです。記載されている名前も、本当の名前ではありません。私は難民です。保護して下さい」と言ってしまったのだ。

 日本の入管のことを少しでもご存じの方なら、その後の入管の対応についておおよその想像はつくだろう。空港の入国警備官たちはあっという間にAさんを身柄拘束し、収容したのである。日本を信じ切っていたAさんのショックはいかばかりだったろうか。
 その後、Aさんは難民申請を行ったが、当然のごとく却下。何しろ、日本の難民認定率は0.7%。のべ1,000回の申請の内、たったの7人しか認定されない。(近年、ウクライナ難民やアフガニスタン難民の関係で1%台まで上昇した年度もある)
 その後、1年収容され、その後に6年の仮放免生活が続いた。この間、就労は禁止され、健康保険も何もない状態で、支援者の助けで何とか生き延び、ようやく難民認定がなされた。(①終わり。②は執筆中)


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