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自分の原体験

こんにちは。アクトビ・Senior Engineerの江崎です。
立場とかじゃなく年齢が高めという意味での「Senior」なEngineerです(冗談)。

今回は、弊社メンバーのnoteの記事を読んでいて「自分も書いてみよう!」と思ったことがありまして、それを書いてみたいと思います。


この記事を書こうと思ったきっかけ

弊社CEO藤原の記事の中に「普段口数の少ない父親の発言が自分の心に思いっきり刺さり、今の自分の圧倒的な体験となりました。」という一節があります。「今の藤原が藤原であることを決定づけたその出来事」とでもいいましょうか。

これを読んで「そういえば。自分にもそういう原体験というか『今の自分がこうなった決定的な出来事』ってあるな」と思い始め、昔を懐かしんでいるうちにいよいよ書きたい欲の収拾がつかなくなったので、一度書いてみることにしました。

今の自分とは?

多分こんな感じだと自分では思ってます。結構盛って書いてます笑。

  1. フッ軽

  2. うまくいくか分からないけどとりあえずやってみる

  3. 常識やまわりの言うことを疑ってみる

  4. 絶対怒らない、徹底的に寄り添う

こんな感じかな。では1つ目から。

1. 「フッ軽」の原体験

両親は両方とも九州出身で大阪在住、自分は大阪育ちですが生まれは九州です。乳幼児の頃から母の帰省に同行していたと後に聞きました。生まれた当時(1970年)は大阪〜九州の新幹線はまだ開通しておらず、専ら飛行機(JALのダグラスDC-8)のバシネット(座席の前に取り付ける簡易ベッド)に乗せられていたそうです。

新幹線開通後も母に連れられ帰省、小学3年生になる頃にはジュニアパイロットで一人で帰省。また旅行にもたくさん連れて行ってもらったので「移動すること」に対する抵抗は幼少の頃よりゼロでした。

1991年、大学3年の夏休みにイギリス・エジンバラに3週間の語学研修に行ってからは「海外に一人で行くこと」への抵抗もゼロに。この語学研修では周りに日本人が皆無で英語に苦労したのでなおさら病み付きに。ドMなのか俺は。
♫♫♫エジンバラは〜〜いいとこだっせ〜、グランシャトー(じゃなくてエジンバラ城)おまっせ!!♫♫♫

その後も旅行や出張にたくさん行き、2019年には某青い航空会社の生涯搭乗距離が100万マイルを超え、晴れて「ミリオン・マイラー」に仲間入り。特別なネームタグもGET!(POSTやPATCHはしてない)。

歳のせいか最近は新幹線を利用することが多くなりましたが、いずれにしても「東京〜大阪は余裕で日帰り圏」という感覚です。のぞみ200号(新大阪6:00発)で東京行ってのぞみ265号(東京21:24発・新大阪行き最終)で帰ればOK!何なら次の土曜日(2023/8/19)に日帰りで広島行きますしね。

2. 「うまくいくか分からないけどとりあえずやってみる」の原体験

時は今から35年前、昭和63年(1988年)。江崎少年は高校3年生、大学に進学しようと受験勉強に(適当に)勤しんでいたが成績が全く振るわず、入試全戦全敗!予備校(代々木ゼミナール大阪校)で1年間浪人することにしました。

当時の自分の成績からすると、志望校は「『全く歯が立たない』では済まない」状況でした。高校の担任からは「浪人したって合格は絶対無理!」と匙を投げられ、両親からも「絶対無理!やめとめ!」と言われる始末。

でも、どうしても行きたい。絶対行きたい・・・!
だから来年受かるか分からないけどやるだけやってみる!と決心しました。

春休みに予備校に入ってからは毎朝9時から授業、授業が終わったら自習室で夜9時まで勉強。自習室が終わったら自宅で勉強。平日は朝9時から夜2時まで、土日は午前9時から夜0時までずっと勉強。これを1年間続けました。大量のルーズリーフに式を書きまくり、英語の辞書は2倍の厚さに膨らみ、物理の参考書はボロボロに。9月から年末までは毎週日曜日に模擬試験を受けまくりました。見えるかどうか分からないゴールに向かってただひたすらに走り続けてました。

持てる全ての力を注いだ結果、翌年には無事志望校に合格。ガッツポーズ。死ぬ思いでガッツポーズ・・・。
高校の担任に合格を報告しに行った時の担任の「お、おお・・・」という驚きの表情は今でも忘れることができません。

自分の中ではこれが間違いなく成功体験の一つになっていて、今の自分を構成する要素の重要な1ピースだと思っています。

3. 「常識やまわりの言うことを疑ってみる」の原体験

原体験その2と似たようなことをその後もう一度体験しました。

今度は学部生から大学院生に上がるとき。「院試」があるのですが、当時所属していた学科の院試は倍率が他の学科よりかなり高く、結構な狭き門でした。学生時代成績があまり振るわなかった自分(またか!!!😂)がそのまま挑むとまず落ちる。当時所属していた研究室の教授からは「断言する。お前は落ちる。しなくても落ちるかーーwww」とまで言われる始末。

というわけで(?)前回と同じく「とりあえずやってみるか!」となりました。再び平日は朝9時から午前1時まで、土曜日は大阪の中之島図書館に朝9時から午後5時まで籠もって勉強開始。半年かけて全必修科目と選択科目を基礎から全てノートに書き出して再勉強し、練習問題をたくさん解く日々を半年間続けた結果、無事首席で院試合格。

この時に思ったんです。周りの人が言う事は確かにその通りかもしれないけど、頑張ればひっくり返すこともできるよね?と。常識の範囲を超えて検討してみることも大事じゃないかと。

これも自分を成す重要な1ピースになっていると思います。

4. 「絶対怒らない、徹底的に寄り添う」の原体験

前述の原体験を体験していたその時、研究室の教授からは事あるごとに叱責を受け、結局合計4年間メンタルがボロボロになるまで叱責され続け精神的に完膚なきまでに叩きのめされた、という出来事もありました。

実は原体験2と3を経て、疲れ切ってしまって教授の要求水準を満たすことが全くできなかったという事情がありました。

そこに追い打ちをかけるように失恋も重なり、世間では山一證券の廃業が報じられ、1997年の終わり頃には当時の自分の感覚としては「自分もダメ、世間もダメ、何にも良いことない」という感じでした。あの時の辛さは筆舌に尽くしがたい。。。

そんな暗黒時代に声をかけてくれたのが、1997年当時すでにWeb業界で働いていた知人でした。徹底的に「こうしたらいいんやない?」「これしてみませんか?」と提案してもらって、徐々ではあるが復調していきました。
後にこれがきっかけとなってWeb業界に身を投じることになりました。

なので自分も同じように振る舞いたい。叱責ではなくて徹底的に寄り添ってボトムアップできるよう頑張る。そもそも自分に叱責できる資格なんてないし。これも自分を構成する大事な1ピースです。当時は辛かったけど今となっては非常に貴重な経験でした。

まとめ

以上をざっくりまとめると

  • 昔から移動が多かったのでいつでもどこでも行くよ!!!

  • (頑張る対象としてはアレだけど)とにかく必死に頑張った時期があった

  • (言い返す対象としてはアレだけど)周りが言った通りにはしなかった

  • そして疲れ果てて叩きのめされたけど丁寧なフォローで生き返った

こんな感じでしょうか。
(ついでに言うと常に学業不振だった!というのもありますかね!!!😂)

この4つを自分の礎として、今後もアクトビで努力を重ねていきたいと思っております。

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