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ざらついた世界と、あなたに

 昔住んでいた街には川が流れていた。用水路や暗渠のような目立たないものではなく、それなりに幅のある、確か一級河川だったと思う。駅から市街地へ出ようとするならばその川を渡るほかなく、橋を渡るのは私の日常だった。

 その頃の私は死というものに取り憑かれていた。いつまで経っても上がらない花火。蕾のまま立ち枯れた桜。地方都市特有のよく澄んだ空気が肺に満ちれば、まだ若い私の呼吸はたちまちに途切れてしまいそうになる。遠くへ行きたかった。例えば、この川の続く先。飛び込んでしまえば、流れ流れて、行けるだろうか。ここではないどこかへ。

 橋を渡るのは好きだったけど、渡った先に特別なものはなにもなかった。川を見下ろせば、滔々とした流れがある。渡り切るでもなく、引き返すでもなく、わたしはしばし足を止めては、目まぐるしく変わる水面を見つめていた。

 夏には花火があった。河川敷は芋を洗うような人手で、年に一度あるかないかの熱気に包まれる。こんなにもこの町には人が住んでいたのだなあと、わたしは少しだけ、嬉しくなった。死にたい私と死にかけのこの町。そんなフィルターを通してみれば、毎日はくるくると回る走馬灯のように美しかった。どうせいつかすべて、終わる。早いか遅いかの違いでしかない。

 八月、うだるような暑さとともに台風がやってきた。これが通り過ぎてしまえば、夏も終わり。小さい頃からの経験で、私はそのことをよく知っていた。秋が来て、冬が来て、なにもない今年が終わる。
 友人がひとり、来年この街を出るらしい。台風の予報よりも少し先に、そんな噂が街を駆け巡った。お前じゃないのか。別の友人に会うたび、私は同じ質問を投げ掛けられた。一体誰が街を出るのか、そのことを知る者はどこにもいなかった。

 この街に残っている同級生は、両手で数えられるほどしかいない。残りの半分は南の県庁所在地に、残りは関東に。沈んでいく船のようだった。前途ある若者は救命ボートで海へと漕ぎ出す。残された人間がどうなるかは、想像に難くない。

 世界が広いことは知っていた。世界の広さは知らなかった。いつかこの現実というドミノがぱたぱたと倒れていって、すべて理想の景色に変わっていくはずだと、私は願っていた。

 そのドミノをどうやって倒せばいいのか。私を含めた誰もが、その方法を知らなかった。

 だから私は死にたがっていた。漠然としたタナトスの渇望。望む自分になれないのならば、この生には何の意味もない。そう決め付けることこそでかろうじて崩れ落ちそうな生のバランスを保っていた。しにたがらなければ、いきていることさえままならない。

 春が来る少し前、私は街を出た。父親の転勤に付いていく形で、留まる理由のない私は関東へと発つことになった。

 その日も川は相変わらず流れていた。新幹線の窓から眺めたそれは私の手を離れてしまっていた。河川敷の桜並木は寂しげに、私のいない春を待っている。この街に私は必要なかった。

 気付けば希死念慮はなくなっていた。

 クソが。肘掛けに両の拳を擦り付けながら、誰にも聞こえない声でそう言った。流されてたまるか。吐き気がするほど生々しかったこの数十年を、美しいの一言で片付けられてたまるか。

 突き抜ける衝動もいつしか薄れて、記憶にはセピア色のフィルターがかかる。あんなこともこんなこともあったけど、全部全部いい思い出だった。

 私は私に抵抗する。季節がどれだけ過ぎ去ったとしても、私のこころが安息地を見つけたとしても、この命を肯定なんてしてやらない。日々を糧にすることは絶対にない。私は死ぬまでこの薄汚れた日々の記憶を引き摺ったまま、自己肯定感とか自尊心とかいうやつと戦い続けていくのだ。

 それ以来あの街には帰っていない。思い出は固く封をしたきり、荷解きをできずにいる。

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