可愛い子にはマップとコントローラーを与えよ_大人が子どもにできること
可愛いからといって、大人が子どもの困り勝手に手助けをしてしまうことで、
その子の成長の貴重な機会を奪ってしまうことが多々ある。
私が今でも大切にしている言葉に以下のようなものがある。
教育者は、孤独な存在です。誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていく。感謝すらされることのないままに。
これは、岸見一郎さんがアドラー心理学をわかりやすくまとめた「幸せになる勇気」に書いてあった文章だ。
この文章を読んだときから、私の教育観が少しずつ固まり始めた。
教育する者として、子どもたちの「自立」を支援することが必要なのだと。
教育は、何を子どもたちに提供できるか?
社会のロールモデルが刻一刻と変化している現代で、大人が子どもに教えてあげられることは少ない。
人生の失敗談などは非常に子どもにとってためになるかもしれないが、それ以外の経験は、はっきり言って足枷にしかならない。
大人の言うことが正しいとは限らないのだ。
そんな世の中で、子どもの教育をどのようにしたらいいのか?
私もそれをずっと考えてきた。
その答えの一つが「自立した学習者を育てよ」というものだ。
今は、スマホなどで情報が簡単に手に入る時代だ。そのため、昔より大人の存在価値は低くならざるを得ない。
では、教育では何を子どもたちにしてあげればいいのか?
(うーん。「してあげればいいのか」という表現はなんとなく押し付けな気がして嫌だなぁ。)
現在にある多くのツールを使いこなし、自立して、自分のために学習を進めていくスキルを獲得させることなのではないだろうか?
先ほど、スマホで情報が手に入ると書いたが、全ての情報が正しいとは限らない。インターネットの情報の中には、生物学の基本さえしっかり押さえておけば見抜けるであろう怪しい情報も数多く存在する。
したがって、情報を得るためには、スマホだけでなく、本や経験なども重要である。(これまでは、それらで情報を収集してきた)
一番危険なのは、ツールを一つしか持てないことだ。本だけでも、経験だけでも、スマホだけでも足りないのだ。
RPGを進めるためには、マップとコントローラーが必要
子どもたちは、現実世界を生きているのだが笑
まぁ、現実世界も、RPGの世界も似たようなものだ。
どちらも
①世界が、まわりが見渡せるマップが必要だ。
②主人公を動かすためのコントローラーは必須である。
が重要である。
ゲームの世界であれば、①②だけで子どもは勝手にゲームを進めていくことができる。誰にも教わることもなく、自ら進んでゲームの攻略法を学んでいくのだ。
もしかしたら、教育者は、子どもにマップとコントローラーを渡してあげるだけで良いのかもしれない。
教育におけるマップは、今自分自身がいる位置を確かめるためのもの。
教育におけるコントローラーは、学習を効率的に進めるためのもの。
このマップとコントローラーを持ち、生徒は学校に用意されたダンジョンをクリアして、自らの行動範囲をどんどん広げていくのだ。
時には、学校の教室の中。
時には、校庭の片隅。
時には、町の商店街で。
時には、企業や大学で。
学校で得たマップとコントローラーがあれば、社会に出てもやっていけるし、適宜マップとコントローラーをアップデートしながら自分だけのRPGを進めていけるようになることが教育の最終目標なのではないだろうか。(今のところは)
マップを作ろう、コントローラーの使い方を教えよう
「考え方がわからない」
「何て書いたらいいのか分からない」
そもそも、このような状況が生まれるから、子どものやる気が削がれるのだ。
「あ、これならできる!」
「できそうで、できないなぁ…」
このような感覚は、主体的に学習を進める上で非常に大切なことだ。
自分で考えて、選び、その結果を踏まえて次へのチャレンジをおこなえる。
これが自立した学習者だ。
そもそも子どもたちは、好きなことをやるときに無意識的にそういうことをやっている。ゲームが良い例だ。
これからの教育者は、その子どもが無意識に好きなことをやっているときの行動を言語化・可視化してあげて、他のことにも転用できるようにしてあげることが必要なのだと思う。それが、さっきから繰り返しているマップとコントローラーだ。
「今、こういうことをこのようにしているよね」
と事実を言語化してあげる。
子どもたちのメリットになるように、行動・思考のベクトルを修正してあげる。
このようなマネジメント能力が、教育者として求められるスキルの1つかもしれないのだ。
これからマップとコントローラーをつくっていきたい。
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