東京生活タイトル

「自分のうんこを流せない人はキライ」という話

あなたはトイレに入って大便をした後、「それ」をそのままにして個室を出ちゃう人だろうか?僕はそういう人は心の底から嫌いなので、どうかお引き取り願いたい。

例えば個室恐怖症とか、水洗恐怖症とか、僕が知らない得体のしれない恐怖症や宗教上の理由で、誰かに流してもらわないと自分ではどうでもできない人がいるかもしれない。でも理由はどうであれ、そういう人は嫌いだ。

「まあ、そういう人は滅多にいないだろう」と普通は思いますね。僕も「自分のうんこが流せない人」は極めてごく少数だと思う。隅田川のハチドリのように(汚い単語が続いているので、キレイな鳥の名前を入れてみました。こう見見えて僕は細かいところに気を配るタイプなのです)。

ところで僕は「自分のうんこを流せない人」と同様に「片づけられない人」が嫌いだ。実は「自分のうんこを流せない人」はどうでも良くて、本当は「片づけれない人」の方が嫌いなのです。片づけられない、不用なごみを捨てられない人ですね。僕の中では「モノを片付けられない=出したものをそのままにするから片付かない=うんこ出しても流さない」という論理が成り立っています。

「おいおい、今はちょっと忙しいだけで、モノがいろいろ出ているだけさ。暇になったら片づけるんだよ、もちろん」と言い訳する人がいるかもしれないが、じゃあ自分しか使わないトイレだからといって、数日間ためっぱなしで後でまとめて流す…なんてことをしないのは自明だ。

「モノはいいんだよ、臭くないからな。でもうんこはそのままだと臭うだろう?だから流すんだ。片づけられないことだけで、私を『うんこ流せない人』と同列に扱うのはやめてほしい!」と言い訳をする片づけられない人もいるかもしれない。

でもね、僕から見たら「片付いていない空間」というのはすぐに分かる。「モノが多いが機能的な空間」と「一見乱雑だが、ルールに基づいて整理されている空間」もよく分かる。なぜなら「片付いていない空間」は見た目の悪さが違うからだ。要するに「視覚的な悪臭」が漂っているのですね。公害です。

という訳で、片づけられない人を片付けられる人に意識変革させるために、「あんたは自分のうんこ流せない人?」と声掛けし、自分が意識していない所業の醜さを気づかせる運動を展開中です。うちの娘と息子には効果がありました。…本命の奥さんにはこれから試してみます(笑)。皆さんもいかがですか?

もう一つ、「自分の感情をコントロールできない人」も「自分のうんこを流せない人」に例えられるかもしれない。過剰な怒りや恐れ、悲しみなどは排泄物と一緒で、ずっと外に出していてもロクなことがない。さっさとジャーと流して、霧散させるべきものです。

なのに自分がひりだした「過剰な怒り」をいつまでも大事そうに振り回しているのは、「自分のうんこを流せない人」と同列だと思いませんか?

これは特に自分に言いきかせるといいかも?
「おれは自分のうんこを流せない男なのか?…そうじゃないだろう!」って感じでね。

◆ ◆ ◆

話変わりますがこれは僕の2週間ぶりくらいのノートです。なぜか放置していた時の方がスキやフォロワーが増えている。イヤになっちゃうよな。


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