「ありがとう」をやりがいにする危うさ
看護師だけでなく、医療現場・介護現場で「仕事のやりがい」について、今どきはインターネットのトップ記事の上の方にこんな風に書いてある。
【患者さんの笑顔や感謝の言葉】
患者さんが回復して退院する場面での「ありがとう」はもちろん、ちょっとした気遣いや処置に対して「小さなことまで気に留めてくれてありがとう」「楽になったよ、ありがとう」「あなたが担当になってくれてよかった」など、患者さんから笑顔で感謝の言葉をかけていただける瞬間が一番うれしいと語る人はとても多いです。
やりがいを持っている人が、どこに何の感情を抱こうがそれはその人の自由だし、むしろ「ありがとう」が返ってくるとそれだけで報われる。
それはわかる。
でも、
例えばやりがいを持てない人、やりがい探し中の人、やりがいを見失ってる人、やりがいについて素朴に知りたい人にとったら、どうだろう。
認知症の患者は、細かいナースの行動に「ありがとう」とは言わない。
意識障害の患者は、自分が何をされているかわからない。
全身麻酔の患者だって、何も覚えてないので「ありがとう」とは思えない。
新生児室だって、重心だって、救命士だって消防士だって検査技師だって、
相手から直接「ありがとう」が届くことはない仕事は、医療現場だけでも山のごとし。
よくオペ室の看護師が術後訪問に言った時に、
「私が手術を担当したんです。術前もお話させていただいたんですが、覚えてらっしゃいますか?」
と患者に訊く場面を見る。
患者さんは困って、
「あ〜ら、そうだったのね。よく覚えてないんだけど、でもあなたが私のそばに居てくれたのね。ありがとう。」
双方笑顔で、いかにも微笑ましい限りなんですが、このやり取りって結構ヤバいと、私は個人的には思ってるんです。
「ありがとう」を欲しがるべからず
仕事としてこの手の領域に居る人が、「ありがとう」を自分の仕事の成果物や結果と捉えたらマズイ。
「ありがとう」を求めるなんて、ますますマズイ。
もっとその手前に「結果」を見て、「モチベーション」はそこから作るんだと伝えたい。
例えば、
慢性期のナースがかけた言葉が、患者や家族にいい感じに刺さって、患者の行動が変わったとか。
OTさんがやった粋な工夫が、患者のQOLに大きく関与したとか。
1人の救命ナースの動きで現場がスムーズに回ったとか。
CCUナースの綿密な観察やアセスメントで、急変に至る前に異常を早期発見できた、とか。
この辺りに我々の「仕事の結果」が出ていて、ここに対して一喜一憂して欲しい。
この結果が出ないことに悔しがり、改善を繰り返し、ここに成果が乗った時に喜び、自分の仕事に誇りを持つ材料にすればいい。
「ありがとう」を求めると何が危険か?
いや、それでも、「ありがとう」って言われたほうが、言われないよりは良くない?
私達だって人間なんだし。
と思うでしょうか。
人の役に立つ仕事
誰かの人生に貢献できる仕事
感謝される仕事
苦しむ人を笑顔にできる仕事
私達の仕事はこんな風に表現されることが多いから、「ありがとう」を求めるマインドのままでいると、患者の感謝や笑顔がそこに無かった時、
「ありがとう」よりも、はるかに多い色んな苦悩や葛藤を越えられない。
患者や家族、医師やコメディカルとのやり取りの中で「感謝」や「承認」を直接受け取ることの少なさに耐えられない。
できて当たり前、足りなかった時に叱責される事で傷つき、自分自身が辛くなっていく。
私は手術室に長らく居たのでよく分かるんですが、
患者さんの
「看護師さんに居てもらったから、意識がある手術でも安心して居られました、ありがとう。」
とか
医師の
「君のおかげでオペがスムーズに行ったよ、ありがとう。」
この言葉の持つパワーは、正直ヤバい。
何もかも吹き飛ぶ、自己肯定感がMAXに満たされてしまう言葉だから。
ヤバいからこそ、ここをゴールにせず、「感謝」と「承認」を求めず、
「ありがとう」を、おまけやデザートみたいなもんだと捉えて、自分の仕事の成果や結果を求める場所を、もう少し手前にしっかり持って、ガッツリ見据えて仕事してほしい。
そこからプロ意識は育っていくんだ、と私は考えております。
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