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80年代レンタルレコード店の思い出

CDではなくレコードのレンタルが昔あった

1980年代、私が洋楽を聴きはじめた頃、LPレコードは高額品でした。ビートルズで2,500円、現役アーティストは2,800円くらいでした。となると子供のお小遣いでひょいひょい買える代物ではなく、LPを聴きたければ友達から借りるかレンタルで借りるかしかなかったんです。
そういえば当時は「レンタル」ではなく「貸しレコード店」という呼び方が普通だったと思います。
Wikipedeiaによると、『1980年に東京都三鷹市でLPレコードをレンタルするサービスを当時立教大学の学生であった大浦清一が開始したのが第一号。 屋号は「黎紅堂」(れいこうどう)だった。 レンタル料金はレコード1枚につき250円から300円程度。』とあり、意外にも70年代にはなかったサービスだったんですね。
料金についてはあまり記憶がないですが、書かれている通り大体300円前後だったと思います。
今回は、そんな貸しレコード店の思い出をつらつらと書いてみたいと思います。

初めて行ったレンタル店のアウトなサービス

中学1年から2年だったでしょうか。私が住んでいた地域は田舎なので、隣のY駅に行かないとレコードが買えませんでした。
友達から教えてもらったのか思い出せませんが、そのY駅の前の雑居ビル2階にその店はありましたが、今思うとかなり異質なお店でした。
まず、レコードよりカセットの方が多かった。そう、昔はレコード以外にカセットでも売ってたんですよね。カーステレオで使うんだと思いますが。で、なぜそこはカセットが多かったかというと、なんとそこでダビング(コピー)ができたんです。これ完全にアウトのサービスなんですが、どういうことかというと、まず客が聴きたいアーティストのカセット(これは空箱)を持っていきますよね。そしたらお店の人がその本体のカセットを出してきて小さな機械にセットします。そして客は自分のカセットテープを持ち込んで同じ機械にセットしてもらいます。その機械のボタンを押すとシュルシュルとテープが倍速かそれ以上でシンクロして動き、ダビングしていくんです。つまりお店の人が自らコピーテープを作ってくれるんです。
さらに面白いのがここから。当時のカセットテープは片面23分の46分がメインで、これはLPレコードの標準的な時間がそれだったからですが、レコードによってピタッと同じ時間ではなく大体持ち込んだテープが余る(録音されていない無音の部分が残る)わけです。なのでお店の人がその余った部分を今度はカッターで切り捨て、元のカセットに繋げてくれるんです。
繰り返しますがこれは完全にアウトのビジネス。でも客としては楽でした。なぜならレコードの場合は再生しながらカセットに録音しないといけないわけで、レコードによっては片面23分を超えてしまうようなものもあり、その場合はまた50分や54分テープを買い直して1から再生・録音をし直さないといけない。また逆に録音時間が短いレコードはテープの余りが多く、再生するときに早送りして裏返さないといけない(当時はまだオートリバースが出始め出した頃)。だからその店はよく利用しましたし、狭い店でしたが客は多かったですね。この頃にスパンダー・バレエやポリスは軒並みダビングしてもらった思い出があります。

オフモールより画像拝借。何と今買うとこの状態で5500円もする模様。

お店はいつの間にかとっくに無くなりましたが、当時のビルはまだそのまま残っており、何とも懐かしい気分になります。

二階にいけないモノが売っていたお店

次にご紹介するのは、高校時代に通い詰めていた店。高校は某政令指定都市にあり、その頃は家族もその地域に引っ越していたので自転車で高校に通っていました。その通学路にあったのがこのお店。
このお店の特徴は普通に販売もやっていたこと。2フロアあって、1階がレンタルと当時は珍しい輸入盤(国内盤は売っていなかった。理由は後でわかります)、普及し出したCDを売っていました。輸入盤が買える店は当時このエリアにはなかったので、日本未発売のイギリスの12インチやピクチャーディスクなどを買っていました。レンタルの品揃えも広く、いわゆる流行のアーティストより、クラシック・ロックやニューウェーブ系が充実しており、ハウスマーティンズやXTC(ちょうど名盤「スカイラーキング」の頃)を聴くことができたのはこのお店のおかげでした。
さて、問題は2階。確か1階とは別の店の名前名義になっていたと記憶しますが、おそらく経営者は同じで、ここには売ってはいけないモノがあったのです。ロックT
シャツなどのグッズはともかくも(しかし多分これはアーティスト非公認)、ブートレッグ(海賊盤)を売っていたんです。1986-87年ごろだったので、おそらくアナログブートの末期だったと思いますが、見たこともないレコードがいっぱいあったんです。ブートレッグの存在は、兄がビートルズの「Sweet Apple Trax」という2枚組のゲットバックセッションを収録したものを持っていたので知っていましたし、音楽系雑誌には普通に西新宿を中心とした店が広告を出してましたし、「ビートルズ海賊盤事典」なんていう文庫本(これは今読んでもすごい。プレミアついてます)も出ていましたが、地方の都市でブートレッグの現物を店頭で見たのはそこが初めてでした。

ビートルズ、特にポール・マッカートニーのファンだった私は当然初めて見るブートに興奮。今でも覚えているのは、未発表曲集「セッションズ」(当時アップルが発売を予定していたアルバムの流出音源)と、ポールの「マッカートニーII」のアウトテイク集である「ロスト・マッカートニー・アルバム」。

ジャケットも当時流出したものを使っていると言われた
McCartney IIのジャケットの別ショットを使用していた

いやあ、この2枚は特に欲しかったですね。後に前者は「アンソロジー」シリーズで、後者はスペシャル・エディションでほぼ全て公式音源化されましたが。ただ当時は公式の輸入盤ですら3000円台でしたし、ブートとなると5000円以上がほとんどだったと思います。とても手を出せる価格ではありませんでした。
このお店は通ってた頃に閉店となり、閉店セールをやっていましたが、レンタルは格安だったものの、ブートの価格はそのままでした。

個性あふれる店舗

他にも通ってた店は3つほどありましたが、品揃えなども含め個性が溢れていました。だからアーティストへの出逢い方も違いました。
某全国チェーン店ではバウハウスを借りたのを思い出します。ツェッペリンの4thも確かそこ。さすが全国チェーン、バランス良く在庫していました。
ダイエーの近くのビルの2階にあった店舗はオムニバス盤が多く、ここではグリーンピースなどのチャリティーオムニバスとか60年代のリバプール・サウンズとかを借りていて、一気にここで音楽の幅が広がりました。
高校(私はそこに通っていませんが)の近くにあったお店では、王道のヒットアルバムに加えて、12インチが結構多かったのが印象的でした。
某駅のロータリーにあった店舗はイギリス系やベスト盤が多く、とりあえず聴くには都合が良く、ここではクィーンやストーンズを初めて聞きました。
ネットで普通に聴けてしまう今となっては消えていくのは仕方がありませんが、ある意味アパレル店舗みたいに品揃えの個性のある店舗は魅力的でしたね。

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